2020年9月


●人間はがめつい   2020.9.30
ほとんどの人間はがめつい。利を得ることに抜け目がなく押しが強いことをがめついと言うそうだが、押しが強いように見えなくても心ががめついヤツも多い。ほとんどのがめつい人間はいつでもカネがほしくてしょーがない。そしてカネを出さないでモノを得ようと常にガツガツしている。「もう少し心の余裕を持って生きろよ」と言われれば「そうだね…」と答えるのではあるが、いざ目の前に「無料!」という看板がぶら下がると心の余裕など全て忘れて食いついていく。「低予算」「激安」という単語(撒き餌)を入れるだけでホームページのアクセス数は面白いように上昇する。そんなやりかたに「人の哀れ」も感じつつも止められなくなる。


●脱ハンコ-2   2020.9.29
昨日の続き→。1995年にビル・ゲイツが提唱した「アトム(物理的なモノ)からビット(デジタル)へ」によって音楽、写真、動画、通信など多くのことがデジタル化されてきた。そしてハンコやファックスが時代的に不要、無意味であることは誰もが分かっていた。印章憲章には「印章の歴史は、人間社会の文化発生と同時に生まれ、五千年を経ている。そして様々な形態の変化はあったが、明治六年太政官布告以来、現代に受継がれ重要な実用の場を保っている事は周知の事実である。」ともある。五千年を経て現代に受継がれているからどうだ?ってことだ。歴史があるもの無駄であると分かっていても継続させないといけないの?ってことだ。あえて問題があるとすれば、日テレの「名字研究家の知識vs伝説のはんこ屋」が見られなくなるということだけだろう。


●脱ハンコ-1   2020.9.28
脱ハンコは今までも何度か議論されていたが、その度に全日本印章業協会の猛烈な反対によって潰されてきた。全日本印章業協会の印章憲章では「印章業界の機械化・省力化は、時代の趨勢(すうせい)である。 しかし、機械化の限度と機械万能の認識から陥る弊害に特に留意すべきである。機械化により印章本来の使命を忘れてはならない。」とある。「省力化は、時代の趨勢(すうせい)である。」ってことは分かっているんじゃん。そして「機械万能の認識から陥る弊害に特に留意すべきである。」とあるが、その留意すべき弊害が全く無いということも立証されている。弊害があるとすれば、それはハンコが売れなくなっておまえらが困るということだけだろう。もっとも「機械化」という言葉を使って誤魔化してはいるが、これを「電子化」に置き換えてみれば、この印章憲章がいかに無意味であるかということが明瞭になる。死刑になる寸前の受刑者の命乞いのようにも見える。→明日へ続く。


●面白いものには意味はない   2020.9.27
面白いものには意味はない。意味が無いというのは、その現象だけが起こって、その現象が起きた理由が分からないということ。その理由を無理に想像してみようとしても「そんなんありえへんやろ!」と自分で自分にツッコミを入れ、そこに至るまでの思考回路を客観的に見たときに「何をやってるんだオレは?」ということになりさらに可笑しさを増長させる。理由が分からないで現象だけが起こるということは、理由は見た人が如何様にも考えられるということで、花嫁が真っ白なウェディングドレスで「好きな色に染めて!」と言っているような無限の可能性があるから、面白いものは面白いのだ。などいう理屈で説明することができないから、面白いものには意味はないのであった。


●正常な生息数   2020.9.26
コロナの感染減少が鈍化しているらしい。やっと減ってきたのにGo toなんとかを始めたりするからそういうことになるのだ。とはいえコロナ対策と経済の活性化は並行して同時に行わなければならないことも多くの国民は理解している。コロナで死ぬか経済的に喰えなくなって死ぬかのどちらかしかない、という人も少なくないことだろう。しかし今の世界の状況を超俯瞰的に見れば、増えすぎたゴキブリがついつい人目につくところに出てきて人間に殺虫剤をかけられてしまう、とか増えすぎたレミングスが集団で溺れ死ぬ(自殺というのは違うらしい)とかと、同じような状況に映ることだろう。神から見れば「なんと愚かなことよ」だろう。そうして人類は緩和と感染増加を何度も繰り返しながら、その生息数を少しずつ減らしていき、正常な生息数に戻っていくのではないか。そして正常な生息数が何人なのか、それまで何年かかるのかは誰にも分からない。


●保存   2020.9.25
新規にファイルを作る、またはファイルを修正したときには、最後に必ず「保存」という作業をしなければいけない。しかしこの保存というアクションをしなくてもファイルを作った時点、または書き直した時点で、自動的に保存できるアプリもある。保存をし忘れたがために、それまで何時間もかけて行ってきた作業が水の泡!という無念さはは誰しも経験したことだろう。そしてControl +S(Command +S)のショートカットを頻繁に行うという動作を無意識に行えるような癖を身体に染み込ませたという人も少なくないはずだ。そしてそんな人たちは保存というアクションをしなくても済むというアプリにはなかなか慣れることはできない。保存はできているということは頭で分かっていても手は勝手にショートカットを押してしまう。将来的には全てのアプリが「保存レス」になるのだろうが、ルーティーンの中で「今までやっていたことをやらなくて済む」ということは「これから新しいことを追加する」のよりも難しいのかもしれない。


●メモ帳   2020.9.24
数年間使っていなかった銀行口座。数年ぶり(何年ぶりかは定かではない)にネットバンクからアクセスしようとしたところ、ID、パスワード、本人確認の質問や答えを書いてあったテキストファイルが見事に文字化けして読めなくなっていた。文字コードを色々と変換したりインストールされている全てのテキストエディタやアプリで試してみたのだが全くダメ。考えてみたらその数年間でMacOSを何回バージョンアップしただろうか?ということでこのテキストファイルを作ったときのアプリも分からない。銀行に事情を話してIDやパスワードを再発行してもらうしかないか…と諦めかけたが、2011年と書かれたMac本体をまだ捨てないでしまってあることを思い出し、そのMacで開いたことろが(当たり前であるが)無事に化けることなく開くことができた。テキストファイルはできるだけシンプルなアプリでプレーンテキストのUTF-8で保存しておこう。それを考えるとWinの「メモ帳」は立派だ。


●嘘つくんじゃねーよ!   2020.9.23
私はパソコンで毎日仕事をしており、SNSに毎日投稿して、スマホも便利に使っている。って「嘘つくんじゃねーよ!」パソコンはしょっちゅう変な操作をしでかしその度に「壊れたー」と大騒ぎをして、SNSは娘に設定をしてもらって投稿する度に画像のアップ方法や文章の改行方法を毎回のように質問してきて娘がいないときには投稿はできず、スマホは「文字が小セー!」とか「使いずれー!」とか文句ばかり言っていて結局電話としてしか使っていない。にもかかわらず、できねーないくせにできるようなことえを言っちまうから、できるものと思って説明することになってしまうのだよ。なぜ分からないことを分からないと正直に言わないのだよ。「だって正直に『分からない』って言うと、『ちっ、こんなことも分かんねーのかよ!』って顔をする若いヤツがいることが許せねーからだよ!」


●やり直し-2   2020.9.22
→昨日の続き。算数が苦手という人は数えるという作業自体が苦手らしい。算数が得意な人にとっては考えられないことであるかもしれないが、とにかくモノの数が数えられないそうだ。とはいっても普通に置いてあるモノの数は数えられる。ところが例えば園庭に並ばせた幼稚園児の数を数えるときに、何回数えても数が違うという保育士がいるそうだ。なぜ数が合わないのか? その原因の一つが「自分が数えた数を間違いないものと信じてしまう」ということがあるようだ。頑なに信じてしまうから臨機応変な対応ができなくなる。つまり動き回る園児に対して数えたときの動く前の数を頭の中で「確定したモノ」としてしまうからだろう。例えばhtmlを学生に打たせるとする。20行、30行と打たせれば普通は一つや二つのタイプミスはある。ということを前提に見直しをすれば良いのだが、算数が苦手な人は一度自分が打ったコードは「正しいモノ」という前提でチェックをするのでタイプミスが発見できない。つまり数えるという作業が「重いものであり、やり直しをしたくない」という心理が常に優先してしまうからなのだろう。物事には常に「やり直し」があるということを前提にしておく必要があろう。とはいえ多くの人が「やり直し」の効かないことをしでかしちまって後悔しながら生きている。


●やり直し-1   2020.9.21
普通はやり直しはしたくない。しかしいかにやり直しを繰り返して成果物のクオリティを上げていくかが自分のスキルを向上させるためのポイントとなる。だからやり直しをしない人間はいつまで経ってもスキルが向上しない。いつまで経っても絵が下手な人間に共通しているのも描き直しをしないということだ。紙に描いた一本の線でさえ消しゴムで消して描き直そうとはしない。教える方はその一本の線を消させるためにあの手この手で説得して本人を納得させなければならない。この作業は非常に疲れるし消耗する。自分が絵が下手だと思っているから習いに来ているのだろうが…という話をスポーツジムのインストラクターや音楽教室の先生にすると、どこも似たようはものでやり直しはしたくない生徒がほとんどで、やり直しさせるために使う労力はハンパないそうだ。→明日へ続く。


●著名人や有名人   2020.9.20
ネット上で芸能人や政治家や文化人が色々とツイート合戦を繰り広げている。それはそれで読んでいて面白いのではあるが、そういったツイートに反応してツイートしている一般人ってどうなの?とも思う。「私は◯◯さんの意見に賛成です。なぜなら◯◯さんは‥‥‥」とか言っているのだが、あんたは◯◯さんの家族でも友人でもなければお互いが面識があるわけでもねーだろ。そして◯◯さんの意見はどんな目的があってどんな策略があってどんなウラがあって言ったことなのかも分からないはずだ。それを著名人のツイートの同じスレッドでツイートすることで、あたかも「同じ土俵」にいるような錯覚に陥っている。そもそも著名人や有名人と、一般人の間には目に見えない大きな大きな壁があるのだよ。例えば日本人の10人のうちの1人が知っている有名人であれば1千万の人が知っているということにになり、一般人のあんたを知っている人は多くてもせいぜい1000人ぐらいであろう。この1万倍の差が大きな壁ということだ。不思議とこの1万倍の差について不公平とか不平等とかは言われない。


●塹壕   2020.9.19
世界には色々な職業がある。そしてその職業に携わっている人の多くがその職業のプロである。プロになるからにはそれなりの鍛錬と修行と経験をしたはずであり、そのプロと同じ仕事を素人がやろうとしたところで一朝一夕では同じ仕事は出来ない。ところが世の中には、自分は才能があるのでちょっとコツをつかめば何でも出来る!と勘違いしている人もいる。そういう人は他人の職業を甘く、軽く、下に、見ている。そして戦争シミュレーションゲームをしながら「実際の戦争になったらオレは軍師になる」と何の疑いもなく勝手に思っているのだ。実際の戦争になったら塹壕の一つも掘れないであろうくせに。


●世界の基準はヨーロッパ   2020.9.18
ヨーロッパから見て東にあって比較的近くにある地域を近東。ヨーロッパから見てインド以西のアフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の総称が中東。中東と近東の総称で主に便宜上の理由から使われる用語でありその範囲は時と場合によって異なるのが中近東。イスラム圏イコール中東というイメージもあるが、中東にはインドネシアやマレーシアが含まれないためにイコールではない。もっとも日本から見ればイランもアラビアも近くではないし東でもない。ようするに世界の基準がヨーロッパということである。だから日本から見ればほぼ同じ方向に位置するロンドンとパリが斜視を意味するロンパリという言葉になっているのだろう。ただしロンパリは日本語であって、仮にヨーロッパ中心であってもドーバー海峡から見ない限りはロンパリにはならない。


●お笑い芸人   2020.9.17
あるお笑い芸人が「総理大臣は直接国民が投票して選びたい」ってバカかね君は!?選挙権のある国民が日本には何人いて投票所が何箇所必要で集計する人が何人必要で選挙運動期間は何日にして集計に何日かかりそのための予算はどのくらいかかるのか?ちょっと考えれば不可能なことは分かりそうなものだ。そのために代議士がいるわけだろ。「レジ袋有料化で環境にどれくらいの効果があるのか説明してもらいたい」そうだ。バカかね君は!?そんなものは算出する条件設定でいかようにも変わるし、すぐに効果が出ないことは誰でもわかっているし、長期間やることでの効果を見るための実験的な要素もあり、そもそも実質的な効果よりも環境に対する意識付けの意味もあるのだろう。効果を知るためのアプローチはいくらでもあるが、どれも多岐に渡る情報収集と膨大な量の計算と膨大な量の人手と手間と費用と時間が必要になるだろう。だからといって出た結果が正確である保証はそこにもないはずだ。お笑い芸人がその知名度を利用して政治的なことを言ったり呟いたりしたところで底の浅さが露呈するのでやめておいたほうがいいだろう。


●詳しいことは   2020.9.16
「△△のことは◯◯さんに話はしてあるし、詳しいことは〇〇さんに聞けば全部知っているよ」ということで◯◯さんに話を聞きにいくと「よくわからないけど『△△をやれ!』って言われたんですよ」ということで△△のことは全く知らないし、何のことだかさっぱり分からないということだ。仕方がないので〇〇さんに△△のことをゼロから全て教えてあげることとなった。ということで今では◯◯さんは△△のことは全部知っていると言っていいくらいに詳しくなった。人間はこんなふうにして物事に詳しくなっていくのであった。


●60歳の会話   2020.9.15
「ご両親はお健在で?」「はい、二人とも元気です」「そりゃ大変ですな…」これに対して「ご両親はお元気で?」「いいえ、親父は2年前、母親は昨年亡くなりました」「そりゃ良かった」、というのがちょっと酒が回ってきてからの60歳のおっさんたちの宴席での実際の会話だ。不謹慎極まりないがこれが現実だ。60歳の両親は80〜90歳だ。終戦を経験し、瞬間的に価値観が180度を変えられることを余儀なくされた年代だ。それだけに卑屈で頑固になってしまったようにも思える。そんな頑固で卑屈な高齢者は根本的に人の言うことは聞かないし、他人の言うことは何でも否定するし、命令されるのは大っ嫌いだが命令するのは大好きな人たちである。そんな両親を看てきた60歳の人たちは「自分は絶対にアァは(周囲に迷惑をかけまくることに)ならないようにしよう!」と心に固く誓うのであった。もしくは「ボケたもん勝ちや!」と心に固く誓うのであった。


●予定   2020.9.14
ホームページに具体的なイベントの予定表を載せてくれとのクライアントからの依頼。確かに具体的なこと細かなスケジュールが載っていればすっごく便利なことは誰でも理解できる。しかしだ。問題はそのスケジュールが変更になった時だ。クライアントが自ら変更できれば問題ないのだが、それを外部に依頼した時には、当然のことながら時間的なロスが発生する。そうなると間際の時間変更などは結局個別に電話連絡しなければならなくなる。さらにクライアントが自ら変更したとしても利用者は毎日ホームページをチェックしているとは限らない。となるといずれにしても結局個別に電話連絡しなければならなくなる。だったら最初からホームページには掲載せずに個別に電話連絡しとけというハナシだ。そして人は予定を決めた時には「これでもう変更することはない!」と思うのであるが、実際には必ずと言っていいほど予定の変更は発生する。だから「確定」ではなく「予定」と言うのだ。


●引きこもり   2020.9.13
現在の世の中には「引きこもり」なる人種が多く存在する。人間は他人とのコミュニケーションをしてなんぼのもの!とか言っている人も多いようだが、そのコミュニケーションを遮断したまま何十年も生き続ける新しい亜種の人類のようだ。しかし本当に新亜種なのだろうか?江戸時代や平安時代にも「引きこもり」は存在したのだろうか?また縄文時代や原始時代にもいたのだろうか?恐らく人類が森林生活をしている霊長類だったころは自分という個体を食わしていかなければいけなかったので引きこもってる場合ではなかったはずだ。しかし100万年前にサバンナに出てコミュニティーを作って生活し始めたころには、もしかすると「引きこもり」的な個体はある一定数の割合で存在していたのかもしれない。そして存在するということは意味や役割があるはずだ。その役割は「生贄」「餌食」「囮」などだったのかもしれない。だから巣籠もり生活が長く続くことで、巣籠もり転じて「引き篭り」になってしまわないように注意しよう。


●高齢者とスマホ   2020.9.12
高齢者はスマホにしない。ずーーっとガラケーのままでいる。そしてガラケーのまま頑なに機種変しようとしない。しかし思い起こしてみよう。携帯電話が普及し始めたころ、高齢者の多くは「そんなものはいらん!」「公衆電話で充分だ」「電話を持ち歩くなんぞは人間をダメにする」とか言っていたはずだ。ところが今では携帯電話を携帯していない高齢者はほとんどいない。つまり高齢者をスマホに機種変させるにはスマホに次ぐ新しい何かが普及し始めないとダメなのかもしれない。高齢者は常に周回遅れであり周回遅れであることを肯定している。だが周回遅れが2周目に入るとさすがにマズいと思うようなのであった。


●ピクチャー   2020.9.11
Photoshopで画像修正は職人仕事である。コンピューターだから操作手順をマスターすれば画像修正が出来ると思っている人も多い。確かに操作手順をマスターすればある程度のところまでの細部の修正は可能だ。しかし細部ではなく全体に及ぶ修正になると操作手順をマスターしただけではできない。必要なのは「デッサン力」である。そもそもの画力がなければ手順をマスターしたところでどうにもならない。「デッサン力」の無い人間が傷んだ中世の絵画を修復しようとしてとんでもないことになってしまうのと同じだ。西洋絵画における写真と絵画の概念は基本的に同じだ。だからどちらもpicture(ピクチャー)と呼ぶ。


●切り抜き   2020.9.10
Photoshopで画像の切り抜きは職人仕事である。コンピューターだからボタン1つで自動的に切り抜いてくれると思っている人も多い。切り抜こうとしているオブジェクトが背景と同じ色の箇所は、いくらAIを搭載したPhotoshopであっても、人間の目と手による作業でなければ上手くいかない。切り抜く精度によってツールの許容量や解像度、作業の効率化のための自動選択ツールとの併用など、紙に印刷された写真を切り抜くのと原理的には同じ作業となる。違うのは切り取った部分のゴミが出ないという点ぐらいだ。そして画像処理の専門家であっても、この切り抜きの作業が上手いとは限らない。というか職人仕事であるということを知っているから、恐らく自分ではやらないだろう。またこの画像の切り抜きだけを中国に外注しているという場合もある。将来的にはPhotoshopのAIが完璧な切り抜きをできるようになるのかもしれないが、その手順の全てをAIに学習させる時間があれば、人間がやっちまったほうが今のところは早いようである。


●驚く   2020.9.09
100mを10秒で走る人の速度は時速36kmである。恐らく人間という生物の移動する際の速度の限界がこの時速36kmほどなのであろう。それを超過すると人間は怪我をしたり時には死んでしまう。時速100kmで生身の人間が何かに衝突すれば確実に死ぬことだろう。クルマに乗っていれば何かに衝突したときに車体が潰れることで衝撃を吸収し、エアバックが作動することで助かる可能性もあるが、クルマという箱の中でなければ間違いなく死ぬ。これは仮に衝突ではなく、時速100kmで移動していた人体が一瞬で止まったとしても同じだろう。脳や内臓の大部分は一瞬でぐちゃぐちゃになるだろう。交通事故死の多くは、ぶつかったことの衝撃で死亡するのではなく、高速で移動していたものが一瞬で止まることによって死亡するというわけだ。だから人間は「突然のこと」「瞬間的なこと」には「驚く」ようにできている。それ以上に「驚く」ということで「突然のこと」からは回避するようにするためだ。そうしないと死んでしまうからだ。


●履歴の削除   2020.9.08
20年近くWEBデザイナーという仕事をしているが、未だに多くの人が概念的に理解していないのがウェブブラウザの「履歴の削除」である。そもそもがなぜ履歴を削除しないといけないのかが分かっていない。同時に回線速度もCPUの処理能力もこれだけ向上している中でブラウザの履歴を優先して読ませなくても表示速度は体感的にはそれほど変わらないのではないか?という気もするのだが、世界中の人たちのみんながみな恵まれたネット環境の下にあるのではないのでそうもいかないのだろう。それにしても多くの人が「履歴の削除」を概念的に理解していない理由の一つがその呼び方であろう。履歴は、閲覧履歴、キャッシュ、cookie、と一緒くたになっている。削除は、消去、クリアー、などとも呼ばれる。ただでさえ難しいのに、これだけ呼び方にバリエーションがあったのでは覚えようったって覚えられない。


●クーラー   2020.9.07
クーラーの効いた部屋のドアを開けっ放しにしている人がいる。どうしてなのか聞いてみると、こうすると廊下も冷えるそうだからだ。これだから理科ができないやつは困る。廊下からつながっている玄関や階段を含めた容積はどんくらいになるの?部屋のクーラーが6畳用だとすれば、その6畳用の能力のクーラーで(恐らく)20畳分くらいの容積を冷やすことになり、軽自動車のエンジンでマイクロバスを走らせるような負荷がかかるということになる。だって電車はクーラーが効いたままでドアを開けてますよ!って、電車のクーラーは家庭用の10倍以上の電圧で超強力に強制的に冷やしているので冷却能力の桁が違うのですよ。ちなみに軽自動車用のクーラーでも一般家庭に設置したとすると、めちゃくちゃ冷えるんですね。クーラーの効いた部屋のドアを開けっ放しにするのは、電子レンジにお弁当を2つ同時に入れて温めようとするのと同じだ。


●学問のすゝめ   2020.9.06
家にいてもタダでできることは「勉強」である。これだけネットが普及した世の中であれば何を調べるのも比較的簡単である。何かを調べてその内容をレポートしてブログにでもSNSにでもアップすれば、それだけで時間を費やせるし知識も深まるしおカネもほとんどかからない。「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」と 福澤諭吉が言ったのは1872年のことである。しかしそれから148年経った今、国が「Stay Home」を促す中でも我慢できずに夜の街やパチンコ屋にでかけて行く人たち。かれらを愚人と呼ばずに何と呼ぼう?


●スーパーベスト   2020.9.05
NHKの天気予報で、台風が近づいているので「ベストではなくスーパーベストの準備をしておきましょう」というようなことを言っていた。ん?ベストというのは最上級のはずなのでベストより上のものはあってはいけないのではないか?という疑問を持った人も多かったのではないかと思う。ではスーパーベストという言葉が一般的に使われているかどうかググってみると、これがたっくさんあって、ほとんどが音楽アルバムのタイトルだった。つまりその歌手の「スーパーベストアルバム」なのだそうだ。ということはそれまでのベストアルバムはベストでなかったということだ。JAROに訴えてやろ。


●WordやPPTからの入稿   2020.9.04
印刷通販各社はIllustratorやInDesign以外のアプリで作ったデータも入稿、印刷できるようなサービスを以前から考えているようだ。WordやPPTからの入稿ができればより多くのユーザーを確保できるということになる。7〜8年前からPDFからの入稿が可能になったところも多いようであり、PDFであればWordやPPTからの出力も可能であることから一定数の需要は増えたのではないかと想像する。しかし印刷通販各社のテンプレートにPPTを用意しているのは調べた限りではラスクルの1社のみであるようだ。いずれにしてもプロは基本的にIllustratorやInDesignを使う。そしてWordやPPTを使うのは素人である。そして素人は素人なので常識というものが通用しない。そして常識を一脱した、常識を超越した、想定外の要求やクレームを出してくる。それをまともに対応していると膨大な労力をそこに割くことになる。だからWordやPPTからの入稿や印刷には各社とも消極的なのであろう。


●パソコンドクター   2020.9.03
分からないことがあったら誰かに聞く。ということを当たり前だと思っている人がいる。例えば「お腹が痛くなったのでどうしようか?」ということを色々な人に聞いたとする。しかしその答えは様々であるはずだ。「病院へ行け」「薬を飲め」「安静にしていろ」「ネットで調べろ」「放っておけ」「神に祈れ」「身体を鍛えろ」などなどだ。複数の人に聞けば聞くほど分からなくなる。なのできちんと対価を払って専門家に診てもらう。または自分でネットを駆使して徹底的に調べる。のどちらかしかない。しかし体調が悪い状態での後者の方法は無理がある。ということは対価を払って専門家に診てもらう、しか方法は無い。パソコンの調子が悪くなった時も同じである。色々な人に聞けば聞くほど分からなくなる。きちんと対価を払って、完全に治るまで付き合ってくれる専門家に依頼するのが一番良いのである。といってもパソコンドクターには免許が不要なので、偽医者、ヤブ医者に当たる可能性も高いので注意しよう。


●人間と動物の違い   2020.9.02
人間はいずれ自分が死ぬということを知っている。では人間以外の動物は仲間が死んだ時に何を思うのだろうか。動かなくなった。呼びかけても返事をしなくなった。おいらのことを無視するようになった。とかなのだろう。だから決して悲しみに暮れてそばを離れない。とか、死を悼んで最後のお別れをしている。とかではない。いかんせん獣なのだ。基本的に自分のことしか考えておらず他人(他の個体)のことはことなど考えていないはずだ。そこに愛情とか喜びという感情があるとすれば、それは単に、子孫を作るための相手を探す、安全に子育てをする、不要な戦いを避ける、などのための手段に過ぎない。あっ、ということは人間と同じだ。違うのは自分が死ぬということを知っているかどうかだけである。これが唯一、人間と動物の違いなのだろう。


●政権批判   2020.9.01
ことあるごとに政権批判をしている芸能人や著名人の多くは炎上商法や売名行為が目的であろう。与党を批判する野党も言ってみれば芝居で敵役を演じているようなもんだろう。しかしその政権批判を真に受けている一般人は可愛そうなものである。政権が変われば自分の暮らしが良くなる=政府や政治は自分たち庶民のために働いてくれる=今の政権は既得権を利用して私腹を肥やしている=というようなことをイメージしているのだろう。例え10人、20人でもの組織のトップに立って、そのメンバーをコントロールしていくことがいかにタイヘンであるかを知っていれば、そういう発想にはならないのだろうが。今の時代、政権が変わったくらいで暮らしは良くならないし、庶民の暮らしを良くするためには、その前にやることは沢山あるし、既得権を利用して私腹を肥やしているヒマもないし、そんなことしてもすぐにバレるような仕組みになっているし。政権批判をしている暇があったら今の与えられた環境と条件の中で自分が幸せになる方法を考えればいいのだ。増してこんな状況なのだから、政権が変わったところで何をどうすればどのようにどこが良くなるのかは全くもってイメージができないはずなのだが。



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