2021年1月


●屈指のIT後進国   2021.01.31
何度も言うが、日本は先進国の中では屈指のIT後進国だ。地方の商工会議所主催で地域企業の会員向けにZoomで会合を開こうとしても参加する会員は誰もいない、というのが現実だ。テレワークテレワークと騒いでいるのは都市部の限られたほんの一部の企業だけである。地方の中小企業ではテレワークなどとは程遠い。地方といってもド田舎ではなく都心から電車で1時間圏内だ。情報のやりとりは今でも電話とFAXだけなんてところも珍しくはないのだ。「今からテレワークやれって言われても何にも分かんねーし」と悪びれる様子もなく開き直り、Zoomの講習なんて受講する気は全く無い。それでも頑張ってZoomぐらいできるようになりましょう!とか言うと「薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけやがる!」「おまえの身内も住めんようにしちゃる!」とか言われてしまう。今に始まったことではない。2000年のIT革命のころからずーっとだ。そんな救いようの無い惨憺たる状況はこれからも続くことだろう。いかんせん日本は屈指のIT後進国なのだ!どうしても会食やカラオケに行ってしまうジジィが後を絶たないのは、何てこたぁない、あいつらはリモートができねーんだよ!


●抗体   2021.01.30
海外旅行に行くと特に運動をしたわけでもないのにどっと疲れる。緊張や不安が要因というわけではない。人間の移動による疲労は移動時間ではなく移動距離に比例するとのこと。人間は遠くに行けば行くほど抗体を持っていない多くの細菌やウイルスに晒される。そいつらと身体が戦っているから体力を消耗するのだ。はじめてアフリカに行った日本人の8割が下痢をするのも、抗体を持っていない雑菌によるものだ。同時に人間はゴキブリやネズミとは比べ物にならないほどの雑菌やウイルスを運んでいる。自分が抗体を持っていない多くの細菌やウイルスに晒されるのと同時に、現地の人が抗体を持っていない多くの細菌やウイルスをばら撒いてくるということになる。だから基本的に生物は普段暮らしているエリアから遠くに移動してはいけないのだ。そうして考えてみるとGoToの中止が感染拡大に影響があったかどうかなどという議論は、極めて短絡的で瑣末でバカバカしく建設的ではないことが分かるというもの。


●息苦しいマスク   2021.01.29
医療用のn95マスクをつけると階段の上り下りをするだけで息が苦しくなるという人がいる。当たり前の話であり、マスクの通気性や開口率は感染阻止率と基本的にはトレードオフの関係になる。従って息が苦しくならないフェイスシールドやマウスシールドはほぼウイルス出入り自由ということになり、単体での使用ではほとんど効果が無いということになろう。開口率の高いメッシュの生地を使ったスポーツマスクなんてもんもあるが、果たして意味があるのかどうかは甚だ疑問である。マスクがファッションの一部となっているが、残念ながら効果が高いとされる不織布マスクには、そのファッション性はなかなか求められない。不織布にインクを染み込ませて印刷したのではさらに息苦しくなってしまうためだろう。逆に言えば色柄デザインが自由でファッショナブルで、さらに息苦しくないマスクは感染リスクも高いということにもなろう。従って感染リスクを避けたいのであれば色柄デザイン、ファッション性の有無にかかわらず、とりあえずちょっとはかけていて息苦しいマスクをしたほうが良いということだ。


●コロナ対策は万全   2021.01.28
コロナ対策に「万全」などというものはない。コロナウイルスの大きさは直径80-220nm(1nmは10億分の1メートル)程度で何かに付着していても空気中を漂っていても目には見えないし、マスクをしようが手を洗おうが無数に存在する直径80-220nmのウイルスを完全に遮断することは我々の生活空間の中では不可能である、ということぐらいはちょっと理科ができれば分かることだろう。だから対策が「万全」のはずの病院内でもクラスターが発生するわけだ。「万全」とは「全く完全」と言う意味であり、コロナ対策に「万全」という言葉を使うこと自体が「嘘」になるわけだ。超気密性の特殊な実験室でもない限りは明らかな「嘘」である。正しくは「できる限りのコロナ対策は施してある」とか「感染のリスクを最低限にするように努力した」というような言い方になるだろう。にもかかわらず、よくもまあぬけぬけと「コロナ対策は万全」などと言っているもんだ。この大嘘つきの愚民どもが。。


●お付きの人   2021.01.27
何度も言うが、日本は先進国の中では屈指のIT後進国であり、50歳以上でメールの送受信ができない人がうようよといる。本当にうようよといるのだ。しかし彼らは普通のメールの受信ぐらいはできる。ただしZoomの招待メールが来て本文中のURLをクリックしてブラウザが起動してアプリをインストールするかどうか聞かれるあたりから分からなくなる、というようなレベルの人が本当にうようよといるのだ。だから彼らは「お付きの人」がいない限りは自力ではZoomなどのオンライン会議アプリには参加することができない。そんな人が企業の上層部や政治家なんかにもうようよといるのだ。偉そうにオンライン会議アプリにはスーツ姿で参加している様子がTVに写ったりもするが、裏では「お付きの人」がオペレーションしている場合も多いのだ。日本は先進国の中では屈指のIT後進国であるから偉い人はオンライン会議アプリに参加するときには「お付きの人」が準備と段取りをしてくれるのが当たり前と思っている。海外の首相クラスの人が明らかに自分でパソコンを起動してZoomで情報を発信している姿を見ると、日本は「すっげー遅れってる〜!」と思わざるを得ないのだが屈指のIT後進国だから仕方がない。


●戻らない   2021.01.26
コロナ前の生活に戻りたいと思っている人は多いことだろう。しかし実際にはコロナ前の生活に戻ることはない。いかんせん世界の人口はコロナの感染者と同じくらいの勢いで増え続けている。要するに地球上に人類が「密」の状態になっていて、さらにその密度を増そうとしている。そんな中にウイルスを一滴垂らせば瞬く間に広がるということだ。2100年ごろまではこの人口増加傾向は確実に続き、それ以降も増え続ける可能性が高そうだ(国連は世界の人口について、2030年に85億人、2050年に97億人、2100年に109億人になると予測している)。世界の人口は1年で8千万人増えている。世界のコロナの感染者数は約1年で1億に到達しようとしている。世界のコロナの死者数は約1年で200万人だ。人口が増えれば増えるほど(コロナに限らず)感染症が蔓延する可能性が高くなるということだ。そして人口が増えれば増えるほど、我々人類一人ひとりの行動範囲を小さくしていかなければいけない。行動範囲を広げれば、それだけ感染する可能性も、感染させる可能性も高くなるということだ。これからはいかに移動しないで1箇所にとどまって人生を送る(終える)ことが人類が生き延びるための条件となるだろう。これからはStayHomeを、コロナが収束した後も、ず〜っと続けなければならないのだよ。スペイン風邪では世界で5000万人が死んだし、黒死病ではヨーロッパで3人に1人が死んだし、天然痘では世界で2億人の人が死んだ。もちろん当時に比べれば医療制度や医療技術は格段に進歩している。しかし人口密度は格段に密になっているということも忘れてはいけない。


●コロナ禍   2021.01.25
国がこう言っている、とか、都が要請している、とか、その内容にいちいち文句を言ったって仕方がないだろう。国や自治体が言っていることを踏まえて、自分がどう行動したらいいかは自分自身が考えるべきことのはずだ。全てにおいて誰かからの指示や命令がないと行動できないやつに限って、その指示や命令に不具合やミスがあった場合に烈火のごとく怒ったりする。指示や命令を踏まえて、自分自身が考えて自分自身でアクションしろよ、ってことだろう。だからといって、組織のトップに立つ人間が「コロナ禍でも、やり方は工夫すればナンボでも出来る。」などと発言するのは愚の骨頂だ。コロナ禍という現象が今回が最大であるとは限らないし、4部屋65力士が全休するという状態で初日を迎えたこと事態が異常だったはずだ。コロナ禍は今がピークである(ことを願いたいが)とは限らない。ワクチンの接種と人類の意識の変革によってコロナに打ち勝つことができるかもしれないが、逆に第4派、第5派の大きな波が来るかもしれない。スペイン風邪のように世界で5000万人が死ぬかもしれないし、ヨーロッパで3人に1人が死んだ黒死病のようになるかもしれないのだ。そういった最悪のシナリオにならないために、一人ひとりが自分がどう行動したらいいかを自分自身で考えるべきなのだろう。


●武漢   2021.01.24
中国の武漢に行けと言われたらどうする?武漢がコロナ発祥の地であることはもはや世界的にも有名だ。今は収まっているとのことでもあるが、世界中の多くの人は「行きたくない!」と答えるだろう。東アジア以外に住んでる人の多くは、中国と日本の地理的関係は分かっていない。しかし中国と日本は近くにあるということは何となく知っている。だから日本の東京は中国の武漢のきっと近くだ、という風に何となく思っている。だから東京で開催されるオリンピックなどには絶対に行かない!と思っている人は世界中に沢山いることだろう。いや、いくらなんでも中国と日本の違いぐらいは分かるだろう!とか言っているそこのあなた、だったらノルウェーとデンマークの位置をを世界地図上で指差してみたまえ。


●緊急事態   2021.01.23
人は集まりたがる。緊急事態宣言が出ていても、コロナ対策は万全!と言いながら何かと集まっている。〇〇の集い、とか、〇〇のパーティー、とか、〇〇の勉強会、とか銘打って集まる。隠れて集まるのであればまだいいのだが、その集まった様子をわざわざフェイスブックに載っけている。全員がマスクをした集合写真だったりもする。そうまでして集まり群れたいのだろうか。「人間は人と会ってコミュニケーションするために生きている!」と豪語する人もいるくらいだ。これからは「人間は人と会ってコミュニケーションするものから順番に死んでいく!」のだよ、感染して。そのくらい緊急事態なのだ。


●パンデミックの予測   2021.01.22
ビルゲイツは2015年に今回のパンデミックをほぼ的確に予想している。 そして2019年にはほぼ的確なシミュレーション動画が公開されている。日本ではこれらのことを知らない人も多く「こんなことになるとは誰も予想していなかった!」などと呑気なことを言っている人も多い。賢い人はちゃんと予測していたということだ。しかし残念ながら地球上には賢くない人の割合のほうが圧倒的に多く、パンデミックに対する準備をほとんどしていなかった。そして結果として数百万人の死者を出すことになった。ではこれからはどうしたらいいのか?というとビルゲイツが1995年に語った未来のようにatomからbitの世界に移行していくのだろう。情報伝達のために移動するのはatom(物質)からbit(デジタルデータ)になるということ。そしてatomには当然人間も含まれる。つまり人間は移動しないでデジタルデータを移動させよ!ということだろう。人間がごちゃごちゃと不要に移動するからパンデミックも起こるのだ。


●給付金   2021.01.21
給付金の金額が不公平だ!と吠えている人たち。だったら公平で平等な金額を誰が算出して誰が決めればいいのだろうか。そんなことを算出していたら膨大な予算と人員と時間が必要になるということは想像できないのだろうか。早く対応するには多少の不公平は仕方がないのだよ。現状でも地方の飲食店では「給付金太り」の現象が起きているようだし、給付金詐欺とか詐欺紛いのなんちゃってコンサルが暗躍していたりもする。国は国民の保護者ではない。国民は税金を払う代わりにある一定の補償をするという契約の元に成り立っている。今回は「ある一定」の範疇を超えての非常事態だし、いくら吠えたところで包括的な事態は改善されない。改善されるとするならば、あんたのやっている商売のやり方を変えることだろう。たとえそれが創業何百年であろうとも、あんたが何代目であろうとも。もうこれから恒久的にコロナ前の状態に戻ることはないのだよ。


●原稿棒読み   2021.01.20
菅総理の原稿棒読み演説は感情ややる気が国民に伝わらない!という意見をよく耳にする。確かにそうだ。安倍前総理に比べると機械的で気持ちが伝わらない。しかし歴代の日本の総理で気持ちのこもった演説ができた人間はいただろうか?確かに小泉、安倍あたりになってくると、以前の竹下、宮沢あたりに比べると気持ちのこもった演説ができるようになってきたなぁ、と感じられたのだが、菅でまた竹下、宮沢に戻ってしまったという印象は拭えない。バイデン、メンケル、マクロン、ジョンソン、欧米各国の元首の全ては感情ややる気のいこもった演説や配信ができる。ニュージーランドのジャシンダ・アーダーンは、自らの個人的な動画配信による国民への呼びかけがコロナの感染拡大を防いだとも言われている。それに比べると日本人の発信力、演技力、パフォーマンス力の貧相さは際立つ。今の若者はそれなりの演技力が身についた人間は少なくないが、それでもまだ演技力ゼロの人間は多い。ビデオカメラを向けると「中学校の学芸会の村人B」のような原稿棒読み状態になってしまう人もいる。日本も義務教育の中で「演技」というものを教えなければいけないのでないかな。ただでさえ無表情で何を考えているか分からない!と欧米人には思われているのだから。


●売る側の理屈   2021.01.19
テレワークで通勤する人の数を7割減らすというのは所詮無理なハナシだ。そもそも7割というのは国の数値目標であって、国民の目標ではなく、国民一人ひとりがどう頑張っても7割を達成することはできない。7割なんて言っちまうと「ウチは残りの3割だからテレワークしないでいいんだ!」というふうにテレワークをしなくていい方向に煽ることにもなってしまう。人間はものごとを自分の都合の良い方向に解釈するという勝手な生き物である。なので都合の良い方向に解釈されないようなメッセージを発信するべきであろう。といってもどんなに分かりやすいメッセージであっても無理矢理にでも自分の都合の良い方向に解釈してしまうのだから始末が悪い。日本には「商売」という言葉がある。これはモロに「売るための商い」である。だから売る側が売る側の都合だけで消費者に商品をガツガツと売りつけようとしている。消費者の立場などはいっつも無視である。ということで7割減らすというのは、完全に売る側の理屈でしかない。


●Zoomをやらない中小企業-4   2021.01.18
→昨日の続き。そうして1回目の緊急事態宣言でやらざるを得なくなったテレワークも、2回目の緊急事態宣言が出されたころには、それまでの出勤して仕事という形態にずるずると緩んだパンツのゴムのように戻っていってしまった中小企業が多いことも確かなようだ。要するに多くの中小企業の社長にとって、従来通りの形態のほうが、色々と新しいことも勉強して試用しながら実践していくテレワークよりもラクチンということだ。というか会社としての売り上げを維持するためにはテレワークなどという新しい就労形態を試している余裕などはないのも事実だろう。ただでさえコロナ不況で売り上げが落ち込んでいるというのに。日本の会社のうちの中小企業が占める割合は99.7%である。つまり残り0.3%の大企業がテレワークしたところでたかが知れているのかもしれない。しかし従業員数で見れば大企業が30%、中小企業70%である。それにしても全労働者のうちの70%がテレワークしないとなれば感染は収束しないということにもつながりそうだ。いずれにしてもIT化が遅れている、または不得手な中小企業は、仮にコロナが無かったとしても、テレワークでないにしても、これからは生き残ってはいけないのだから、今回のコロナ禍を機に、頑張ってテレワークに移行したほうが良いはずだ。ということは多くの中小企業の社長は分かってはいるのだがね。いずれにしても50歳以上でメールの送受信ができない人がうようよといる以上、テレワークで通勤する人の数を7割減らすというのは所詮無理なハナシだ。


●Zoomをやらない中小企業-3   2021.01.17
→昨日の続き。ではなぜメールの送受信ができないということをひた隠しにしているかというと、一旦メールの受信がうまくいくと「オレはメールができる!」と思ってしまう。そして周囲に「それはメールで送ってくれ」とか「詳しいことはメールで頼む」とか言ってしまう。ところがファイルの添付方法とか、同時に複数のアドレスへの送信とかはできない。そしてデバイスを買い替えたときのメール設定はできない。そうこうしているうちにプロバイダーへの使用料を払い忘れて(プロバイダーからのメールが受信できないので忘れる可能性は大きい)完全に繋がらなくなる。でもって業者に電話してメールを使えるようにしてもらう。でもってまたしてもトンチンカンな使い方をしてメールが使えなくなる。でも「オレはメールができる!」と言ってしまった都合上、全部自分が悪いにもかかわらず「パソコンが壊れた」ということにしてしまい、それ以降メールを開かなくなる。しかし表向きはメールが使えることにしておく。といった感じなのだ。そしてメールよりもLINEが簡単だということに気づく。そうして仕事の連絡も全てLINEで済ませるようになり、尚更メールは使わなくなる。と同時にブラウザも使わなくなる。ということでZoomに参加するためのURLやIDの連絡が来ても、その先には進めないのであった。→明日へ続く。


●Zoomをやらない中小企業-2   2021.01.16
→昨日の続き。ただし、中小企業に限らず、色々な事情でテレワークできない会社もある。例えばインターネットではなくLANで仕事をしている会社、どうしても顧客との対面でなければ信用が得られない物件を扱っている会社などなどだ。しかしコンピュータでDTPを行なっている会社もテレワークができないとのことであった。もともとパソコンの前に座っての仕事なのでテレワークへの移行は比較的簡単なのでは?と普通は思うのだが、なかなかそうはいかないらしい。会社には複数のパソコンがあり、そのうちの何台かはバージョンの異なったOSがインストールしてあり、そこにバージョンの古いアプリがインストールしてある。またパソコンによってインストールしてあるフォントが違ったり繋がっている外部記憶装置が違ったりもする。そして顧客の要望に従ってそれらを使い分けて制作を行わなければいけない。あらゆる工作機器が揃っている本社工場に行けなければタイムリーで効率的な作業ができない、ということのようである。しかし最も大きな問題は、今でも50歳以上でメールの送受信ができない人がうようよといるということ。そしてそのうようよの人たちはメールの送受信ができないことへの罪悪感は持っていないということである。しかもそのうようよの人たちは自分がメールの送受信ができないということをひた隠しにしているということ。→明日へ続く。


●Zoomをやらない中小企業-1   2021.01.15
中小企業の社長がZoomをやらない理由は「一人ではZoomに入れない」のと「Zoomに入れないことを社員に知られたくない」というのが主な理由だ。そしてもう一つ「Zoomでは社長も社員も動画の画面の大きさが同じであることが気に入らない」ということもあるらしい。中小企業の多くは社長あっての会社であり、社長の存在意義というのは大企業よりも遥かに大きいからなのだ。そして社員にとっては「社長の訓示だけで40分が終わってしまう」ということもある。そしてZoomをはじめとするリモート会議では「顔を出して喋ることができる」というのも問題であるようだ。本来は必要なことや必須の連絡事項は文書化して予めネットで配信するかチャットに載せて配布すれば良い。Zoom顔出しではその最低限の補足説明を行う。と、そうすることで情報がより正確に伝わりお互いの時間の短縮と効率化につながるというものだ。それをリアルでの対面のときと同じように「喋り」だけで済まそうとするから非効率、旧態依然、うざったい、原始的、なものになってしまうのだ。忘れてはいけないのは、日本は先進国の中では屈指のIT後進国であるということ。→明日へ続く。


●仲良し   2021.01.14
小池都知事と杉並区長は仲が悪いとか、小池都知事と菅総理は仲が悪いとか書いているマスコミがある。ばっかじゃないのか。政治家に仲が良いとか悪いとかはない。大きな組織内での人間関係にも仲が良いとか悪いとかは基本的に無い。その場その場の立場や役割の違いで敵対したり共闘を組んだりするだけだ。少しは気が合うとかウマが合わないとかもあるかもしれないが、人の上に立つ人間は基本的にまずは誰とでも仲良くなれる素養は持ち合わせている。しかし立場や役割の違う人間と話を進めていくうちには、どうしても擦り合わせができない、お互いに妥協ができない部分が出てくる。それを第三者が見て「仲が悪い!」と言っているだけのことである。仲が良いとか悪いとかに興味を持っているということは、自分が仲間ハズレになるのではないかという不安を持っているからであろう。人の上に立つ人間は、基本的に仲間ハズレにされてなんぼ、のところから始まっている。誰とも仲良しにならなくても良いと思っている。そうしないと自分のやりたいことはできないし人の上に立つことはできない。


●Zoomに入れない   2021.01.13
政治家は「会食は控えるように!」と言いつつ、自分たちは会合をしているではないか!とお怒りの方々もたくさんいるようだ。しかし政治家は我々庶民とは違って公務、政務ともに多くの人と会わなければいけない。それを少人数で小分けにしていたら回らない。特にこんな状況だからこそ多くの人に会わなければいけない。だったら直接会わなくてもオンラインで会えばいいだろ!というのももっともなご意見である。しかし政治家の会合というのはタヌキの腹の探り合いでもあるので、パソコンモニター越しでは相手が何を考えているか解らない。しかもZoomではセキュリティ上の問題もある。などと色々と説明(言い訳)をしているが、実際のところは秘書課や総務の助っ人がいなければ自力でZoom(を始めとする遠隔会議アプリ)に入れないのではないのかな?後期高齢者の多くは自力でZoomに入れない、と思った方が良いだろう。招待メールのURLをクリックすればいいだけのハナシじゃん!なのだが、そのメールの送受信自体ができなかったりもするのだよ。


●ウィズコロナ東京かるた   2021.01.12
確かにかるたを今どきやる人は少ない。都のサイトからダウンロードできたらしいが、データをダウンロードしたところで、それでかるたで遊べるわけではない。そんな厚紙に印刷できる家庭用のプリンターを持ってる人など極めて僅かなはずだ。そしてかるたで遊ぶということは複数の人間が密になることを意味する。疑問や批判の声が挙がるのも当然のことだ。しかしこの事象をまるで小池都知事(女帝)が独断で決めて実行したかのように書いているマスコミもいかがなものか?と思わざるを得ない。このコロナ禍の中で小池都知事(女帝)はかるたを企画しているヒマは無いだろう。市の職員が立案したものを訴求力の高い知事がプレゼンしただけのハナシだろ、と思いたいところではあるが、なんせ二階建て電車の件もあったので、もしかしたら「かるた」も知事が自ら立案したのではないか?とも思える。それにしても「百合子が必ず見ているゾ」のインパクトは凄いね。


●デヴィ夫人   2021.01.11
デヴィ夫人が大晦日に都内高級ホテルで年越し90人パーティーを開催した。色々と言い訳をしているが、それはまるで「泥棒がいるからお巡りさんは給料をもらえる」みたいな説得力のないもので、圧倒的に批判のほうが大きいということは言うまでもない。デヴィ夫人は80歳である。人間歳をとってくると操舵装置(ステアリング)と制動装置(ブレーキ)の性能が落ちてくる。世の中の状況に合わせてタイムリーに舵を切ったりブレーキを踏んだりすることができなくなる。だから制動装置の性能が落ちた高齢のドライバーがアクセル踏みっぱなしで事故を起こしたりもする。高齢になってくるとアクセルから足を離してブレーキを踏むという動作が日常生活の中でもできなくなってくる。まぁ今のところ感染者は出ていないそうだが、これからはデヴィ夫人がテレビに出たとき、子どもに「この人、誰なの?」と聞かれる。そんなとき「この人はね、悪いお婆さんなんだよ」と答えなければいけなくなる。妙に納得する子どもでもあった。


●不安   2021.01.10
緊急事態宣言が発令される。感染者の数は増える一方で、家に篭ることを余儀なくされ、収入は減るは、仕事は無くなるかもしれないわ、大雪の被害は出るわで、全く先行きが見えない不安の中で過ごしている人々。こうなったのは誰のせいでもないし、この先どうなるのかは誰にも分からない。そこで批判の対象になるのは政府であったり、県知事であったりもする。とはいえ批判しているマスコミにしてもコメンテーターにしてもジャーナリストにしても芸能人にしても、みんな共通しているのは結果論で偉そうに宣っていること。不安なのは分かる。今はみんなが不安なはずだ。こんな時に声を荒げて吠えたところで何も進展はしない。個人的な思いつきの対策を訴えたところで同調する人はいない。今は大人しくしていることが一番であろう。


●通勤   2021.01.09
テレワークが普及するにつれて疑問に思うことがある。今まで通勤していた会社は本当にその人に対して相応しい会社であったのか?また会社にとってもその人が会社にとって本当に相応しい人材であったのか?お互いに相応しいかどうかの判断基準として双方の地理的な距離というものがあったはずであるが、それが必要なくなりつつあるときに改めて考える必要があるだろう。もっと適正に合った会社、もっと要求に合った人材、をお互いに選ぶことができるということだ。そういえばZoomをやっているときにお互いがどこに住んでいるのか?ということを考えたことはないなぁ。


●政治   2021.01.08
2回目、3回目の給付金がなければ生活ができない!と訴えている人がいる。しかし国は無限金庫ではない。現在コロナは第3派であるが、この先4派、5派と続くことも考えておく必要もあることだろう。その「◯派」のたびに給付金を国民に支給していたとすれば財政は破綻する。とはいえ、そんなことを言っている場合ではない。国の財政赤字がウン百兆円増えようとも多くの困っている国民を救うべきだ。いやいやそうは言っても給付金だけでは救えるはずもなく、このままバラマキを続ければ国の財政も国民も共倒れになるかもしれない。といったような板挟みの状況の中で、国や自治体はどの方向に舵を取るべきか模索している最中であろう。しかし「給付金がなければ生活ができない人が大勢いることを、国の偉い人たちは知らない!」などと言っている考えの浅い人たち。政治というのは失敗ができない分、慎重にならざるを得なくて、その分アクションが遅くなるのじゃよ。何かをすれば必ず不公平感や不平等感は発生して文句を言うやつが必ずおるのじゃよ。なんだったらおまえさんが政治をやってみるかい?


●オリンピックの開催は?   2021.01.07
箱根駅伝では沿道での応援を自粛要請が出ているのにも関わらず多くの人が沿道で応援をした。大手町のゴール付近では何重もの人垣ができその多くがスマホ片手に撮影をしていた。そんな愚鈍な連中がたくさんいる日本で本当にオリンピックが開催できるのだろうか?要請ではなく強制に法改正することは2021年7月までに可能なのだろうか?マラソンは札幌予定なので東京よりかはマシになるのだろうか?いや、いずれも無理だろう、と思うのが普通の人の考えではないのか。現時点ではバッハ会長も「開催する」と断言しているが、裏では「もう無理だ」と思っているのかもしれない。今の段階での「中止」の発表は影響が大き過ぎるとの判断からだろう。おそらくギリギリの3月後半まで引っ張って、その頃の世界の感染状況を見て判断するのかもしれない。では2021年7月にはワクチンが世界中に行き渡りコロナは収束の方向に向かうのだろうか?いや、これも無理なハナシだ。当初開催予定の2020年7月に比較しても現在のほうが明らかに状況は悪化している。これが今年の7月に収束化に向かい2020年7月よりはマシになるということは無いだろう。であれば2021年7月の開催は普通に考えて不可能ということになるのだがね。


●飛沫   2021.01.06
先日NHKのあさイチに平野レミが登場して料理を作っていた。マスクもしないで絶えずベラベラと喋りながら料理をしている。テレビと人間の目の解像度には限界があるため確認はできないが、恐らくこの料理には飛沫が大量に降りかかっていたはずである。営業時間が制限された飲食店の厨房でもマスクをしていない料理人やスタッフを見ることはなくなった今、マスクをしないで料理をするような非常識な人間をテレビに出すな!と思った人も少なくないはずである。マスクをしないなら、せめてベラベラベラベラ喋るな!ということだ。多くの飲食店が生き残れるかどうかの瀬戸際の時に、全くもって無神経な行動である。というような批判が多く呟かれていると思いきや、twitterでは当日着ていたセーターの柄の話題で持ちきりであった。まだまだ日本は無緊張事態なんだなぁー。


●万全   2021.01.05
緊急事態宣言が出るということは実際に緊急の事態になっているということだ。ところが多くの人が家にじっとしていられずに色々なところに出歩いている。会食がクラスターの大きな要因であるという認識が浸透してきたせいか、会食をしないでマスクと手洗いを徹底することでコロナ対策は万全!というふうに勘違いしている人も多いのではないか。コロナ対策には万全というものはない。マスクと手洗いは感染のリスクを下げるためのものであって、完全に防ぐものではない。とにかく家にステイすることでしか感染の拡大は防げないということだ。密になるということはコロナに感染することを覚悟するということだ。にもかかわらず、用も無いのに、または無理に用を作り、家から出てほっつき歩いて密になっている愚か者の多いことよ。これではコロナの収束なんてありえないということだ。こんなに日本人にも「あったまわりィやつ」が多いのかということを改めて実感する。


●コロナはただの風邪   2021.01.04
例えば東日本大震災は海底で核兵器を爆発させた人為的な破壊行為である。とか、9.11同時多発テロは保険金目当ての人為的な破壊行為である。とか、大きな事件や災害が起きたときには必ずこういったデマが流れる。東日本大震災が人為的な破壊行為というのは規模的にあり得ないが、同時多発テロが人為的な破壊行為であるというのは可能性が無いとは言い切れない。そして今回のコロナも、地球温暖化で人類の移動を防ぐための環境保護団体の戦略が功を奏した。とか、中国の世界戦略の足掛かりである(疑われないようにするためにまずは自国で感染させた)。とか、難民や貧困層を一掃するための世界規模の虐殺行為である。とか、実に色々なデマが飛び交っているようだ。さらには神の逆鱗に触れた結果である。とか、ただの風邪をマスコミが視聴率を取るためにでっち上げた。とか、もはやひっちゃかめっちゃかである。そしてそれらのデマを信じてしまう人が少なからずとも存在することがさらに事態を混沌とさせているようだ。そうしている間にも、コロナウイルスはまた1人、また1人と感染を広めていくのであった。


●福   2021.01.03
政府が初詣の分散参拝を呼びかける中、元日の全国の主な神社の人出は2020年に比べ、調査対象の10カ所すべてで、6割程度以上の大幅な減少となったとのこと(Agoopのデータによると)。デパートでは密回避のため福袋を2日、3日は販売しない、又は年末に予約販売するなど、異例の対策を実施したとのこと。これらはもちろんコロナ対策のためであるが、そもそも初詣とか福袋って「無くてもいいじゃん」と感じた人も少なくなかったのではないか。生活に欠かせないものではないし、初詣や福袋(を買いに)へ行かなくたって何も具体的な支障はない。昨年初めに初詣に行ったからといってその人がコロナの影響を受けなかったわけではない。福袋を買ったからといって確実にその分のお金は減っているわけであり、販売店の在庫一掃に加担しただけのハナシだ。祈願しても参拝しても、そんなこととは関係なくコロナは襲ってくる。「福」が欲しいのであれば、とにかくできるだけ外出は避け、家でじっとしていることだ。


●生涯学習   2021.01.02
昭和の人たちは、学校→勉強する場・社会→学校で勉強したことを活かす場・大人→勉強しなくても良いもの、と思っていた。だからパソコンもインターネットも勉強しなかった。そして知らないことに罪悪感や焦りや引け目を感じることもなかった。本来、人間は生涯、学習を続けなければいけない。現在の目まぐるしく変化していく世の中では、国の教育システムは次々と現れる新たな事象には絶対にはついていけない。義務教育で教わることが社会に出て必要となることに占める割り合いはどんどんと低くなっていくことだろう。棺桶に片足を突っ込みつつも勉強を怠ってはいけない。どうせ死ぬんだから…と思ってはいけないらしいのだ。


●パンデミック   2021.01.01
パンデミックは人口が増えると起こる。最初の大きなパンデミックは天然痘で世界の人口が緩やかに上昇し始めたころに流行り始め、世界で3億人以上の人が死んだ。ペストでも2億人が死んだとされているが大流行したのは1800年代後半と言われている。これも世界の人口が緩やかに上昇し始めたころである。コレラでは5000万人が死んだとされているが、現在の世界的な流行(7回目の流行)は、1961年から1991年に広がった。これは急激な人口増加の最中の出来事だ。1918年から1919年にかけ猛威を振るったスペインかぜでは5000万人が死んでいる。この時期は人口が緩やかに上昇から急激な上昇に転じ始めたころである。エイズは1980年ごろの人口爆発の真っ只中に世界に広まり、死者は3200万人だ。そして新型コロナの死者は現在180万人、まだまだ増えることを覚悟しておかないといけなさそうだ。



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