2021年4月



●農作物無人販売所   2021.4.30
郊外でも頻繁に見かけるようになった農作物無人販売所。確かに安くて新鮮な野菜が買えるので重宝するのだが、問題があるものも少なくない。①お金を入れる場所がわからない。ポストだったりヤカンだったり空き缶だったり竹筒だったりするのだが、どこにも書いていなかったりもする。設置した本人は分かっているのだろうが。②値段が不明。「全品100円」とか書いてあるのだが、「ニンジン1本50円」とかも書いてあって、いくら払ったらいいのか分からない。値段を決めた本人は分かっているのだろうが。③野菜の名前が書いていない。主婦なら分かるだろうが、婆さんに頼まれて買いに来た爺さんとかでは、文字で書いていなければ、それが野沢菜なのか、ほうれん草なのか、小松菜なのかは見分けがつかない。生産者本人は分かっているのだろうが。とまあ「この人たちは商売に向いてないな!」と思えたりもするのだろうが、とはいえ、そんなこんなでいい加減だから安くて新鮮なのだろう。



●世界の状況   2021.4.29
感染者の数が大阪で何人、東京で何人、とか騒いでいるが、じゃ、世界はどうなんだ?ということを把握しておかないといけないだろう。世界はつながっているし今さら鎖国はできないしPCR検査で陰性だったからといってキャリアでないとは限らない。インドで感染者数が劇的に増えているのはニュースになるが、同様にパキスタンやバングラディッシュでも激増している。またブラジルは落ち着いてきたもののアルゼンチンやコロンビアでも増えている。そしてアフリカでの、特に西アフリカの情報はなかなか上がってこない。もともと飢餓に苦しいんでいる人たちの死亡原因を特定できないのだろうし、途上国では国全体の感染者数を把握するのは困難であろう。そして中国は相当な感染者数であるのだろうが、その数を国外に情報を公開していない(嘘をついている)し、北朝鮮は感染者ゼロだと大嘘をついている。ということは公にされている世界の感染者数1.47億人は、実際には最低でも2億、下手をすれば3億ぐらいはいることだろう。仮に2億としたら世界の人口78億のうちの2.5%である。この数字は相当にヤバい(人類滅亡の危機に瀕している)はずである。にもかかわらず「今日の埼玉の感染者数は少なかったね」などと言っているのは、まぁ、おめでたいもんだよな。



●マスク   2021.4.28
なぜテレ東のアナウンサー以外のテレビに出ている人たちはマスクをしないのだ。いくらアクリル板を立てたところで出入り口を直接施錠するマスクに比べれば効力は劣るはずだ。換気ができているということは空気も飛沫もアクリル板を超えて循環しているということだ。アナウンサーやお笑い芸人は、ラジオでも情報が伝えられる能力があるのだから、マスクぐらいしたってどうってことないはずだ。緊急事態宣言の緊張感を出すためには、テレビに出ている人全員がマスクをつけるくらいのビジュアル効果も必要だと思うのだが。そもそも人類が靴を履くようになったのはなぜだろうか?また、現代社会では公式の場に裸足で行く人がいないのはなぜだろうか?と考えてみると、裸足は原始的で野蛮な印象を与えるからではないだろうか。人間の足の指とかは両生類や爬虫類のような形状をしているので原始的に見える。だから公の場では隠して見えないようにしているのだ。口とか鼻の穴も同様に原始的で下品な部位だろう。卑しさや獰猛さや企みや魂胆が見えてしまう部位でもある。だったら隠すことが失礼のない公式の身だしなみというふうになってくるのではないのかな。マスク着用が社会的マナーになるのは、靴が社会的マナーになったときほど、難しくはないように思えるのだが。



●もう戻れない   2021.4.27
もうそろそろコロナ前の生活には戻れないということを覚悟したほうが良いだろう。いやいやそんなことはない「きっとコロナに打ち勝って人類は元の生活を取り戻すことだろう」とか言ってもう1年以上が過ぎているわけだ。1年前よりも世界の人口は8000万人(ーコロナ死者数310万人)増えているし、その中には1.47億人の感染者がいるわけだ。ワクチンを接種したことで、一時的に感染者の増加に歯止めはかかるだろう。しかし人流が増えることで、またジワジワと増えてくることだろう。地球上全ての人類がワクチンを接種できるわけでもないし、変異株に対するワクチンの効果も未知数である。1年前の世界の感染者数は100万人程度だったものが、その100倍以上になっているわけだ。そしてその数がゼロになることはないだろう。コロナ前の生活に戻りたいと思っている以上、全てが我慢となり、全てがストレスとなり、誰かを恨みたくもなるのだろう。防空壕の中でも快適で充実した暮らしを送ることも、工夫次第ではできるはずだ。



●ワクチン接種   2021.4.26
日本ではワクチン接種がなかなか進まない。日本人は何を決めるにも皆で集まって何度も相談しながらになるので遅くなる。とか、日本には軍隊が無いので何をやるにも強制力がなくクソ真面目に対応しているから遅くなる。とか、そもそも国内で開発、生産する技術が無いのだから当然のことである。とか、色々な意見がある。しかし根本的な理由は、フランクフルトの公園でクレープを買おうとした時にドイツ人に言われた「イエローは後だ!」という言葉にあるように思える。



●顔   2021.4.25
人と会う機会が少なくなった。街を歩いていても顔の半分をマスクで隠している。オンラインで顔を出すにしてもカメラの解像度と回線速度の問題もありかなり低画質になる。つまりディティールが見えないので年齢が若く見える。インスタの写真も加工してからアップするのでリアルの本人とは違った顔になる。というかリアルの本人の顔を知っているのは家族と極めて近しい人だけになる。とうことはだ、他人と会う時、見せる時の顔はリアルな本人の顔である必要は無くなるということだ。いや、そもそも家族と極めて近しい人であっても、声や体型や仕草や行動パターンによって個体を識別できるようになるのではないか?というのが顔不要論である。そんなことになったらどうしよう!と変える顔色も無いので有った。



●混みあい-2   2021.4.24
→昨日の続き。人類は知性で環境に対応できる能力があるから、6.3平方メートルで済んでいるのだろう。ただしこれはあくまでも居住空間であり、健全に生存を維持するために必要な土地面積は食料の確保も含めれば相応に広くなることだろう。そして今現在、その必要面積を大きく下回る空間の中で我々人類は暮らしているのではないだろうか。と同時に毎年人類は8000万人ずつ増え続けている。地球上の人間の「混みあい」は増すばかりである。そんな中で、家から出るな!と言われても、知性で環境に対応できる能力が低い個体はそれができないのであろう。動物としての本能は外に出たがる。しかし知性で環境に対応できる能力がある人類は、家に籠っても生き続けることができるのではないだろうか。人類は知性で本能を制御できる唯一の生物であるのだが、それができない個体が、ある一定数いるから困ったことにもなる。それから家に籠って運動不足で体重が増えたとか言っているそこのあなた、それはストレスによって副腎が機能亢進(こうしん)に陥って肥大化して体重が増えたのかもしれないぞ。



●混みあい-1   2021.4.23
動物は狭い場所に密集させると死んでしまう。感染症の発生の可能性もあるが、それ以前にストレスによる副腎の過剰活動が考えられるとのこと。副腎は成長、生殖、体の防御力の調節に重要な役割を果たしている。これがストレスにさらされることによって、副腎は機能亢進(こうしん)におちいって肥大する。閉ざされた島で生きるニホンジカの個体数の研究が行われた。シカに必要な土地面積は4エーカー(約1600平方メートル)であるが、1エーカーあたりシカ1頭という密度にしたところ、300頭以上いたシカが3ヶ月で半数に減り、2年で80頭になった。そしてストレス死したシカの体重は平均で34%重かったとのとこ。また1979年に東工大の小林陽太郎らが都市生活者の居住条件と健康・精神衛生に関する調査を行っている。それによると、夫婦が健康な精神状態を保つためには1人当たり3.5畳の居住スペースを必要とすることがわかったとのこと。土地面積と居住スペースではあるが、シカは1600平方メートルで人間は6.3平方メートル(3.5畳)なの?ということになる。→明日へ続く。



●アクリル板   2021.4.22
アクリル板を加工している業者の売り上げが上がっている。このコロナ禍で景気の良い業種の一つである。しかしこれは「脱プラスチック」と明らかに逆行する流れでもある。国内でも多くの学校や企業、飲食店などで大量のアクリル板が設置されるようになった。もちろんアクリル板はプラスチックである。そしてアクリル板は恒久的に使えるものではなく、必ず劣化していずれは廃棄しなければいけない。硬度も高く粉砕しにくく融点も高く溶けにくい。硬度が高いといってもガラスよりはキズがつきやすいので、長年使っていれば表面は細かいキズでいっぱいになってくる。そしてコロナ対策のためのアクリル板設置は「良いこと」という認識になっているが、その認識自体が問題ではないのか?と思うかもしれないのだが、実は大した問題ではないようなのだ。現在ではプラスチックの使用や廃棄に対して化学的被害、物理的被害を防ぐために、世界中で様々な規制がかけられている。それは2025年には世界のプラスチックの生産量が2015年と比較して10倍になる(今は既に2015年の5倍以上になっている)と予測されているからである。これだけ問題になると言われつつも10年で10倍になるのだから、アクリル板の設置増加などは微々たる問題なのであった。



●COCOA   2021.4.21
もはや「そういえばそんなのがあったなぁ」という程度の認識になっているだろう。利用率は国民の20%未満で、おそらく積極的に遊びに行くような連中に限ってインストールしてないことであろう。そしてこの20%未満という数値は、おそらく今後も急速に上昇することはないだろう。ということははっきり言って「機能していない」「意味が無い」アプリということだ。さらに最近になってアンドロイド版が昨年9月から4カ月間、陽性者との接触通知が届かない状態が続いている。これに対して開発元のパーソルプロセス&テクノロジー社は「アプリの不具合を発見できず、国民の皆様に心配をかけたことを重く受け止めており、受託金額の一部を自主的に返納することにした」とのことだ。ということはアプリの不具合を発見できないままとボケ続けて国民がその存在を忘れ去るのを待つという魂胆だ。国は開発費3億9000万をドブに捨てたようなものだろう。まぁ世の中が大きく変わるときには、こういうことも起こるさ。COCOAはCOVID-19 Contact-Confirming Applicationの略なのだそうが、COVID-19にしか効果がないのかな?とまぁ今となってはどうでもいいことだけど。



●Facebookで密になる   2021.4.20
フェイスブックで「密」になっている全員ノーマスクの写真を自慢気に投稿している人たち。あたかも「こんな状況下でも私には集まってきてくれる仲間がこんなにいるんだよ!」ということを主張しているかのようだ。恐らくノーマスクでお互いが寄り添うのは写真を撮る瞬間だけなのだろうが、その写真をフェイスブックに載せるという行為は愚かなことだ。そしてそんな人に限ってフェイスブックの「ともだち」の数を競っていたりするので、その写真を閲覧できる人の数も多い。どこか特定のサイトに掲載して、そのURLを写真に写ったメンバーだけに教えれば良い話だろう。集まっただけで感染することはない!ではなく、国民全員が、不要な集まりを避けるようにするという意識の問題だ。制限速度50kmの道路を60kmで走っても、死亡事故は1件も起きていないというのと同じだ。なぜ制限速度が50kmに定められているのか?ということを考えなければいけない。ということが分からない人のためには、まん延防止法で「不要な承認欲求を満たす行為」に過料を科されるようにしたほうが良い。



●トリチウム   2021.4.19
トリチウムは三重水素であり半減期12.32年で3Heへとβ崩壊する放射性同位体である。と、ここまでを聞くと恐ろしい放射性物質であると思われがちだが、結局は水素である。水素には普通の水素と重水素と三重水素があり、体重60 kg程度の人の場合であれば、50ベクレル程度のトリチウムを体内に保有している。つまり薄めれば飲んでも大丈夫ということだ。それと勘違いされがちなのが半減期だ。半減期が長ければ長いほど体内で放射線を出し続けるわけであるが、例えば半減期が1万年の核種であれば、ヒトの寿命を考えると生存期間中には崩壊しないと考えられるので、安定同位体とも考えられる。プルトニウム(半減期24000年)を飲んでも大丈夫なのはこの理論からである。では半減期が12.32年の三重水素はどうか?というと、それは結局、半減期だけじゃなくて、それがどの程度あるか(曝露時間中の総壊変数)ということが重要になるということだ。つまり放射性同位体の種類や半減期だけを見て語ってはいけないのだが、どうも核とかいう言葉に過剰反応する人間が多いようだ。あんたらの身体だって元はいえば核融合反応によって作られているんだよ。



●ワクチン   2021.4.18
国民全員がワクチンを摂取すればもうコロナなんか恐く無い!と思っている人も多いことだろう。しかしウイルスは、ヒトの免疫から逃れるために「免疫逃避」という変異を起こし、その変異種がN501YとE484Kなのかもしれないのだ。「免疫逃避」によって、すでにウイルスに感染したヒトが持っている抗体や、ワクチン接種によって作られた抗体が効きにくくなる可能性があるとされている。コロナにしてみれば「あ、ヤベッ!ワクチンが開発されたらしいぞ」「何?じゃ急いで免疫逃避機能を持った変異株を作ろう!」ということのようだ。このコロナウイルスvsヒトのイタチごっこはあとしばらくの間続くだろう。一本鎖RNAのコロナウイルスにとって変異種を生み出すことはそんなんい難しいことではない。普通に増殖を繰り返していれば自然と変異株は登場する。しかしヒトは地球全体にワクチンを行き渡らせるまでには相当な時間を要する。どう見てもコロナウイルスに分があるように思えるのだがどうなのだろうか?



●グルメ   2021.4.17
ワイドショーや情報番組を見ていると「不要不急の外出は避けるように」「会食はしないように」というようなことを言っている。しかし一方では堂々と美味しい店に芸能人が行って舌鼓を打つような番組を放映している。そしてその番宣をワイドショーのCMで流している。このチグハグ感はどうしたもんだろう。しかもグルメ番組の数は半端ないくらいに多い。民放もNHKもだ。いくら「会食はしないように」と言ったところで、その舌の根も乾かぬうちに舌鼓を打つ外食グルメの紹介だ。要するに「会食はしないように」は建前で、本当は美味しいものを食べに行ってもいいんだよ。と言っているようなものだ。ちょっと精神に障害のある子供が駄菓子を食べながら歩いているとガキ大将にばったりと出会った。するとその子供はさっと手に持っていた駄菓子を体の後ろに隠した。そしてその隠した体勢のままクルッとUターンしてガキ大将から走って逃げ去った。隠したはずの駄菓子は丸見えになった。と、そのときのチグハグな光景を思い出す。



●新型コロナウイルス   2021.4.16
新型コロナウイルスという言葉を頻繁に聞くようになって1年以上経つ。そこで改めて思うのが、新型コロナウイルスの新型ではない旧型コロナウイルス、または従来型コロナウイルスっていうのはあるの?ということだ。一般的な理解としては「新型コロナウイルス」があってその変異株の「N501Y」と「E484K」の3種類がある、というイメージに捉えられがちである。しかしコロナウイルスの家系図はもっと複雑でイトコやハトコが沢山いるようだ。まず新型ではない旧型コロナウイルスに当たるのは普通の風邪のウイルスとSARSコロナウイルスでこれだけでも数種類あるそうだ。その中のSARSコロナウイルスが変異したのが新型コロナウイルスでこれも数種類あり、その中の一つがCOVID-19なのだそうだ。要するにSARSの変異株がCOVID-19でその変異株がN501YとE484Kということになるらしい。で、これらの総称が「コロナウイルス」ということになる。さてそこでどこまでを新型と呼ぶのかというと発売から1年以上経った製品を新型と呼ぶには刷新感が薄れてくるというもの。新型コロナウイルスが登場した時点で、そこに「新型」とつけてしまったこと自体が見通しの甘さを露呈しているということだろう。



●だんじり祭   2021.4.15
岸和田だんじり祭の入魂式が開催された。4月11日のことだ。ノーマスク・密集の地獄絵図だったそうだ。感染者が1000人を超えている大阪での信じられない出来事である。まったくもって何を考えているのだろうか。医療機関はだんじり祭入魂式の参加者は受け入れないようにしなければいけない!という意見も出てきて当然であろう。しかしだんじり祭の参加者の中には「祭り命」の人も少なくないだろう。そういった人たちは祭りのために普段は大人しく我慢しながら仕事をしている。そしてその1年間の我慢の鬱憤を晴らすのが祭りなのだそうだ。昨年は中止になったので溜まった鬱憤は今年は2倍だったらしい。そして彼らはコロナなんか祭りで吹き飛ばすそうだ。まったくもって何と言おうか、おバカさんは死ななきゃ治らないというか、おバカさんは死んでも治らないというか。バカは自分の行いが他人に迷惑をかけているということが分からないらしい。というか、それだからバカと呼ばれるのであろう。しかしそのバカがこんなに多いとは。日本だけではない。洋の東西を問わず、何かと理由をつけて群れて騒ぐことが大好きな人間の割合は一定量存在するということだ。こんなんでは地球はいつまで経ってもコロナの天国であろう。



●親戚   2021.4.14
コロナによって冠婚葬祭が少なくなった今、親戚と会う機会も少なくなった。最も親戚に会うのは不要不急の用ではないことがほとんどであり、親戚に会うのは会食を伴うことも多い。そして親戚は何かを人に食べさせるのが好きだ。昭和の親戚は相手がクルマで来ていようとも構わず酒を振る舞ったりもしていた。そして親戚の中には大抵一人や二人「何もしないヤツ」がいて、その何もしないヤツは何もしないのに出された食い物は完食して出された酒は完飲して帰る。ということで親戚との付き合いというのは不毛で無駄なことが多かったようにも思う。そして親戚との連絡手段は、なぜか郵便や電話が多い。



●大富豪   2021.4.13
アフリカでは1分間に◯◯人の子供が餓死しています。これに対して「世界中の大富豪が食料を寄付すればその命が救われる!」と真面目な顔をして言うバカな大人が実際にいることには驚いた。仮に世界中の大富豪が食料を寄付したとしよう。しかしその食料が尽きればまた餓死が始まる。ではその子供たちが働けるようになるまで寄付を続けたとしよう。その間に餓死がなくなるために寄付の対象となる子供たちの数はどんどんと増えていく。そして寄付で食料を与え続けられてきた人間は働ける年齢になってもきっと働かないことだろう。生活保護受給者が働かないでパチンコしているのと同じで、与えられることに慣れてしまうと人間は働かなくなるものなのだ。もっとも世界中の大富豪が送金する相手は餓死寸前の子供たちではない。餓死寸前の子供たちは銀行口座を持っていない。となれば送金された大金のほとんどは途中の大人たちが搾取することになる。飢餓で苦しむ地域に先進国の支援団体が飛行機から食料を投下する。しかしその食料は子どもたちが拾う前に大人たちが奪い取る。これと同じ光景が展開されているだけのことであり、どんなに寄付したところで子どもたちは助からない。だからアグネス・チャンは都内の一等地に25億円の自社ビルを建設できるのであった。



●感染症の終息はないのだよ   2021.4.12
GoToなんちゃらはどうなったのだろう。とまあ第4波の襲来でそれどころではなくなったわけでもある。もっともGoToなんちゃらはコロナ感染リスクとトレードオフの関係にあるイベントである。とはいえ会食に比べればその感染リスクの数値はかなり低いようだ。しかしもちろんゼロではない。もっともGoToなんちゃらに限らず人間が移動するということは、その確率は低いとしても確実に感染のリスクは高くなるわけだ。そしてこのことはコロナに限ったことではない。その可能性に大きなバラつきはあるとはいえ、インフルエンザ、サーズ、マーズ、エイズ、ノロ、エボラ出血熱、B型肝炎など、全ての感染症について言えることだろう。だから不要不急の用でない限りは移動してはいけないのだ。そしてやむを得ず移動するときには必ずマスクをするということになるのだが、そのマスクとて直径が1億分の1メーターのコロナウイルスの侵入を100%防げるものではない。ということは分かっていても人は移動してしまう。移動する以上は感染症の終息はないのだよ。



●四季   2021.4.11
自然は美しい。四季を通じて色々な表情の移り変わりを見せる。植物や昆虫、鳥類や魚類、爬虫類などの様々な変化を見ることができる。しかし1年を通じて自然を観察していると、だいたい毎年同じ時期に同じ場所に同じ花が咲く。だいたい毎年同じ時期に同じ場所で同じ昆虫を見る。だいたい毎年同じ時期に同じような場所で同じ種類の鳥を見る。つまり2クール目は1クール目とほとんど同じということになる。1クール目を見てしまえば、その後のクールは見てもあまり新鮮味が無いし面白くも無いということになる。変化があるとすれば人間がおこなった「開発」による部分だけだ。田舎の生活は最初は新鮮だが長年住んでいると飽きるというのも当然のことであろう。



●〇〇〇   2021.4.10
第4波が始まっているんだから聖火リレーなんぞやってる場合じゃなかろうて。聖火リレーで有名人が走れば〇な人たちがぞろぞろぞろぞろ出てきて沿道で密になるということぐらいはやる前から分かっているだろうに。なんせ〇〇な人たちは〇〇〇な人なのだから有名人を見るためであればコロナのリスクなどはそっちのけで有名人を見に行くぐらいに◯◯〇〇なのだ。ではなぜ〇〇〇〇〇な人は有名人を肉眼で見たがるのか?それは自分たちは大勢の人の前で注目を集めることも、スポットライトを浴びることも、多くの人に尊敬されたり話題にされたりすることが無いから、有名人が羨ましく妬ましくて仕方がないのだろう。そして有名人に近づくことで、その妬みややっかみが少しは解消されるからなのであろう。そして〇〇〇〇〇〇な人に限って「私の知り合いは〇〇〇と知り合いだ」などとすぐに口に出す。〇〇〇は有名人の名前である。



●SDGs   2021.4.09
持続可能な開発目標をSDGsと呼びマスコミでも頻繁に登場する言葉になってきた。「すべての人にとってより良い、より持続可能な未来を達成するための青写真」とか「より良く、より達成するための青写真となるように設計グローバルな目標連結されている持続可能な全ての未来を」とか訳される。よくわからないが、どうやら素晴らしいことのようだ。しかしよく考えてみると、いままではSDGsではなかったということのようでもある。「一部の限られた人にとってより良い、その場限りの目の前の利益を得るための青写真」だったようだ。しかも青写真を元に検討することもなく実行してしまったようでもある。そうして作ってしまって取り返しのつかなくなってしまった物が地球上には大量にある。そろそろ何とかしなければいけないということでやっと始まったのがSDGsなのだろう。とはいえ、地球上のすべての人にとってより良い、というのはまだ無理だろう。より良い人がいれば、必ずより悪い人がいる。



●紙ゴミ   2021.4.08
テレワーク、リモート会議の普及で出かける機会が減ると同時に減らなくなったものが、まずは現金、次にPASMOである。そして減らなくなったのではなく増えなくなったものが「紙ゴミ」だ。いかに今まで「出かけるたびにもらっていた読まずに捨てていた紙」が多かったか?ということだろう。とにかく紙は安い。特に印刷した紙はタダ同然という感覚にもなる。チラシやリーフレットなどは100枚刷るも1000枚刷るも値段は大して変わらん!ということで大量に刷ったところが配布しきれずに大量に捨てるといった行為を繰り返してきた。この行為自体が異常だったのだ。ということに気付く。とはいってもすぐに紙の印刷物が減るわけではないだろう。どう考えても無駄のカタマリであり原始的な情報伝達手段である「新聞」などというものを未だにとっている人がいるくらいなのだから。



●制服   2021.4.07
高校に制服は必要か?というテーマを「スッキリ」が取り上げていた。制服は必要、私服で良い、選択制にすべき、の3択で視聴者にその場でアンケートを取ったところ、制服は必要がダントツで多かった。その結果を見てスタジオでは「え〜、そうなんだ〜!」と驚きの声が上がっていた。しかしこの結果は驚くほどのことではないように思う。「スッキリ」はテレビの番組だ。テレビの番組を観るのは間違いなく高齢者だ。そしてテレビのアンケートを送信するのはその中でもヒマな年寄りだ。若者はテレビを見ていたとしてもアンケートなどを送信することはない。つまりアンケート結果はヒマな高齢者に偏ったがための制服推奨ダントツ勝利だったのではないか。ちなみに高校に制服は必要か?の答えは「偏差値による」が正解だろう。DQN高校は制服着せて管理しやすいようにしないといけないし、頭の良い生徒は、何を着せてもしっかり勉強するだろう。



● オリンピック   2021.4.06
聖火リレーが行われている。沿道の観衆がまばらの中でスポンサーの宣伝カーの過剰で大袈裟なパフォーマンスだけが目立つというシュールな光景な下で。「えー、オリンピックほんとにやるのー?」というのが大方の国民の意見だろう。いまのところ海外からの観客は無し。カナダやニュージーランドは不参加の可能性を匂わせている。最悪参加国は30カ国になるのではないかというニュースもあった。とはいえ「やる!」という方向に変わりはないようである。始まってしまえばそれなりに観ていて楽しいものにはなることだろう。そして人類が直面しているパンデミックの中でも開催に漕ぎ着けたという記念すべき大会!とかなんとか言って、感動を誘うであろうことだろう。インドでは1日に8万人の感染者が出ている中で、世界的にはまだまだこれからもコロナは猛威を振るうであろう。それでもやるのだそうだ、例えオリンピックという冠のついた国体になったとしても。



●月   2021.4.05
例えば平安時代の人間は月を見て何だと思っていたのだろうか?「神々しい」で片付けてしまえばカンタンなハナシではあるが、神だとしてもあまりに無機質で無表情で静的ではないのだろうか。太陽であれば神として崇めるには相応しい輝きと熱量と恵みを感じられるのだが、月は「ただあるだけ」であり、何も目に見える恵みは与えてくれない。しかも落ちてこないで宙に浮いている。近くに行くこともできない。実際はどのくらいの大きさがあり、触ると暖かいのか冷たいのか舐めると甘いのかしょっぱいのかも分からない。まったくもって「一体なんじゃろう?」と思っていたのではないか?しかも出てくるたんびに形が少しずつ変わっていくという摩訶不思議なものでもある。そうして月の実体を知らないまま死んでいた人が人類10万年の歴史の中の大半であり、残りの0.001%が月の実体を知っていることになる。その0.001%に自分が入っているのは「すげーラッキィ!」なことである。と月を見て思うのであった。



●ワクチン   2021.4.04
全ての国民がワクチンを摂取を受けた後はどうなるのだろうか?そこんところを誰も明言しない。どうなるか分からないから明言しないのであろう。少なくともすぐにマスク無しで宴会や会食ができるわけでは無さそうである。→だったら基本的に今と変わらないのではないか?→じゃ副反応や変異株への効果が未知数のワクチンを摂取しても意味がないのではないか?、という考え方にもなる。と、このへんでそれ以上考えるのを止めればいいのだが→ いやいやこれは製薬会社と中国共産党が最初から仕組んだストーリーではないのか?→そのために新型コロナウイルスなるものを開発して故意に世界中にばら撒いたのでであろう。→そうすれば世界の人口増加に歯止めをかけることができる。→いやいやそもそも新型コロナウイルス自体は実在しないでマスコミと政府が結託してデマ情報を流しているのではないか?→そうすることで国と一部の企業は莫大な利益を得ることができる。→そうだそうに違いない!→だったらマスクなどする必要は無いのだ!、というふうに妄想が妄想を呼び、最後は自分に都合の良い部分に落とし込んでしまう、という人が現れはじめ、社会に色々と迷惑をかける。というのもワクチンの副反応のひとつであろう。



●住む場所   2021.4.03
世界中には自分の住みたいところに住めないという人がたくさんいる。内戦の無い場所、食料が手に入る場所、子供の教育が受けられる場所、最低限の医療が受けられる場所、乾いた所で寝られる場所、などなどであり、住みたいところに住めないという人は恐らく世界の人口の7割ぐらいはいるのではないかな?日本はどうだろうか。例えば南海トラフ地震が起こったら確実に被害を被るであろう場所、集中豪雨で決壊する可能性が高いと分かっている河川のすぐそば、豪雪地帯で毎年大雪に悩まされている場所、などに住んでいる人は沢山いる。しかし日本国内であれば移住するのも引越しするのも自由だ。日本国内どこに暮らしても、それなりの医療も教育も福祉も受けられるようになっていて、移住を拒む外的要因は基本的には何も無い。それでも地震が起こったら確実に津波の被害を被るであろう場所に住み続けるのは、住み慣れた場所がいいから、先祖代々暮らしているから、友達と別れたくないから、などなど、実にくっだらないどーでもいいような理由だ。命にかかわるリスクと比較すれば耳くそレべルの小さな小さな理由だろう。多くの震災で多くの日本人は「そこは危ない!」と学んだはずなのだが、それでもなぜか多くの人が危険な場所に住み続けるんだよなぁ。それが農耕民族というものなのだ、ということらしいが、だったらせめて農耕やってない人は安全な場所に移住したほうが良い。



●GoogleMap   2021.4.02
GoogleMapが着々と進化している。今では屋号と市町村名でググればほぼドンピシャでMap上に正確な位置が屋号とともに表示される。そしてされに営業時間、定休日、電話番号も表示されるので便利になったものである。逆にいうと、ぐるなびや食べログの信用ならない評価が載っているサイトよりもシンプルで分かりやすく情報の公平性が保たれているようにも思える。さらにGoogleMapで表示される店舗データには多くの参考写真も掲載されていてリアリティーにも長けている。そして営業時間や電話番号とともにホームページのURLも掲載されていて、そのURLをクリックして表示されるホームページは、GoogleMapの紹介ページよりも明らかにしょぼい場合も少なくない。ホームページの制作依頼も減るワケだ。



●偉い   2021.4.01
偉そうな態度や言動をとる人間は大抵は偉くない。本当に偉い人は大体において偉そうな態度はとらない。偉いとは「品行や経歴や才能が立派だ。すぐれた。地位や身分が高い。」という意味であり、多少、人とは違ったスキルがあるくらいでは偉いとは言わない。そして偉くなりたいが、実際に偉くない人は、偉そうにしていると周囲から煙たがられるので、あまり偉そうにはできない。それでも自分は偉くありたいから、偉そうなことをSNSで発信していたりもしている。その偉そうな投稿は最初の1行を読めば「何を偉そうに…」と思われてしまうので、最後まで読む人はいないのであるが、それでもその偉くない人は偉そうな内容の記事を今日も偉そうに投稿するのであった。偉いこった。



BACK

メニュー