2021年5月



●ゼロ   2021.5.31
交通事故の死亡者の公式発表は0人ではなく0だ。本日の来場者も0人よりも0、本日の売り上げも0円よりも0としたほうがしっくりくる。そもそも0は無いのだから数詞を付ける必要がない。しかし0が「無い」のではなく「有る」としている場合もある。0歳、0時、0度、などだ。0時、0度、は12時、360度、と置き換えることもできるので「無し」とはできない。0歳、は0歳であってもそこに存在するのだから仕方がない。1歳になるまでの繋ぎなのであろう。というようにゼロというのは色々とややこしい。だからローマ数字には0という概念が無い。これはこれですっきりするのだが、4,000以上の値を表現できないのはやっぱり不便だ。「無い」にもかかわらず数詞を必ず付けるのが0点だ。点が無いのになぜ0点というのかといえば、0だと◯にも見えるし、◯=正解、合格、良くできました、という意味と勘違いされるからであろう。いや、回答用紙が全部×なのだから分かるだろう。いや、×をチェックのVマークかと思うかもしれない。だから0点には必ず点を付ける。


●ジイさん   2021.5.30
ジイさんとバアさんがスーパーに買い物に行く。正しくは、ヒマになってやることがなくなったジイさんがバアさんの買い物について行った。ジイさんは自分がバアさんよりも頭が良く、物事を理論的に冷静に客観的に判断できると思っている。バアさんが買い物かごに肉を入れると「なぜそんな高い肉を買うんだ?こっちの安いほうでじゅうぶんだろう!」と言って取り替えようとする。「あら、だってこの安い方を出したら、『マズい!』って言って食べなかったじゃない」と言って取り替えようとした手を押さえる。バアさんが買い物かごにジャガイモを入れると「なぜそんなに沢山買うんだ?このくらいでじゅうぶんだろう!」と言って棚に戻そうとする。「あら、だってこの間ジャガイモ出したら『もうないのか!』って言って怒ったじゃない」バアさんがレジに並ぶと「何で一番時間のかかるレジに並ぶんだ!」と怒る。自分の並んだレジは遅く見えるの法則を知らないのだ。こんなんだから世の中、ジイさんのほうが早く死ぬようにできているわけだ。


●守り   2021.5.29
コロナ倒産は2代目、3代目社長が経営する企業に多いらしい。1代目社長はどん底から這い上がってきたが、2代目、3代目はそんな経験がなく、先代が築いてきた会社を守ることを最優先し、リスクヘッジ能力にも欠けているのだから仕方がない。どん底を経験した1代目は「潰れたらまた作ればいい!」と開き直れるが、2代目、3代目は「絶対に潰したらあかん!」と考える。「絶対に打たれたらあかん!」と思って投じた球が打たれるピッチャーと、「打たれたら打たれただ!」と開き直って投じた球で抑えたピッチャーとの違いだろう。守りに入れば入るほど、判断にダイナミックさがなくなり、行動が萎縮して、敵にスキを見せることになる。2代目、3代目は、先代が生きている限り遊びに行けない、というのも社会経験の無さ、リスクヘッジ能力の無さ、にもつながっているのだろうけど。まぁコロナ倒産してどん底から這い上がることができれば「先代」になれるのだが。


●世界の感染状況-2   2021.5.28
→昨日の続き。よくテレビで人口10万人あたりの各国の感染者数なる数字が表示されるがいまいちピンと来ない。また欧米やブラジル、インドでは日本とは桁違いの感染者が出たため、日本はコロナの押さえ込みに成功しているという認識を持っている人も少なくないようだ。では5月25日現在(日本での感染者数は3918人)はどうなっているのだろうか、各国の人口を日本と同じと想定した場合の数値を表にしてみた。
各国の感染者数.pdf
2万を超えているのが、フラジル、アルゼンチン、マレーシア、スウェーデン。欧米各国は軒並み日本をまだまだ上回っている。だからといって日本が安心できるというわけではない。しかし心配なのは欧米人がすぐにマスクを外しはじめるということかな。ところでこんな状態で五輪は本当に開催するの?最初に「止める!」と言った人に世界中の矛先が向くから、誰も言えないのでしょう。


●世界の感染状況-1   2021.5.27
アイスランド、グリーンランド、南極でも感染者が出ている。世界の隅々にまで行き渡ったということだ。アメリカ、ドイツ、フランス、イタリアは確実に減少しているが、最初の波が大きすぎたために相対的に少なくなっては見える。このまま下がっていくのか、どこかで下げ止まるのか見ていく必要があるだろう。イギリスは予想通り下げ止まり。スペイン、ポルトガルも下げ止まりに見える。デンマークのように緩やかに上昇している国もあるが、押し並べて最終的には欧州ではどの国も下げ止まりになっていくことだろう。一方ブラジルは1日3万人超えで下がる気配はない。南米の他の国も同じような傾向だ。アジアでもスリランカ、マレーシア、カンボジア、タイ、ベトナム、台湾などは急上昇中と言えよう。オーストラリア、ニュージーランドは水際対策に成功しているが、隣で同じく成功していたパプアニューギニアに感染者が急増したので、オーストラリアとニュージーランドがこのまま押さえ込みし続けられるかがポイントとなろう。こうして世界の傾向を見ていると、ワクチン、マスク、ロックダウンをいくらやったところでウイルスは確実に入ってくるということだ。入ってこないようにするためには人間が動かないようにするしかない。ウイルスは自分では動けないのですよ。→明日へ続く。


●アンチマスク   2021.5.26
この場に及んでアンチマスクの人がまだいるようだ。その理由を読んでみると、確かに一理ある部分もある。しかしどんなに理屈を捏ねようとも、マスクを付けなかった国と、マスクを付けた国とでは、その感染者数が2桁違う。全てがマスクに起因するわけではないが、倍とか三倍ではなく二桁違うということは、その要因をマスク以外で説明することには無理があろう。そしてアンチマスクの人は自分がコロナの収束を遅らせていることには気づいていない、というか彼らのアンチマスク教には、そのような教えは無いのだから仕方がない。おそらく人類はあと数百年かけて「マスクをつけることが正式な場で他人に会うときのマナー」になっていくのだろう。たぶん数百年かかると思う。原始人や未開人や裸族に服を着せるようになったのと、同じくらいの時間は必要になるだろうから。


●デパート   2021.5.25
デパートの売り上げは年々確実に右肩下がりだ。コロナが無くたって下降していることに変わりは無い。なぜ下降しているかと言えば、1つのビルにいろいろな種類の店を押し込んで売ろうという昭和なやり方では集客ができなくなっているからであろう。各種専門店が大型化、専門化、個性化、していく中でデパートという肥大化した1つのビルでは現在の顧客ニーズには対応できなくなって当然であろう。だからスポーツのデパートであるオリンピックなるものも今の時代には合ってないのだろう。サッカーやラグビーのワールドカップ、テニスやゴルフの4大大会、他の競技も世界選手権だけで十分ではないのだろうか。どうせオンエアされてない競技でメダルとったとしても後からニュースでVTRを見るのだから。肥大化したデパートでは何をどこで売っているのか分からないように、デパート化したオリンピックではオンエアされてない競技は何を何時何処でやっているのか分からないし。


●ワクチン-2   2021.5.24
→昨日の続き。ワクチンでもう一つ忘れてはいけないのが、その効果の持続期間だ。少なくとも一生持続するものではない。ちゃんとした治験が行われていない(治験を行う間もなく承認された)ので正確なデータは出ていないが、数ヶ月から数年というのが今のところの予測のようだ。仮に1年だったとしよう。今年の5月に接種した人は、また来年5月からは家に籠って外出時にはマスクという生活に戻るわけだ。ワクチンは万能救世主というわけではないということを覚えておこう。しかし「ワクチンという万能救世主」の洗礼を受けたから「もう大丈夫とマスク外して遊びに出る人」が増える以上は、感染者数は下げ止まり&じわじわと微増となることだろう。人類は100年前にスペイン風邪によって5000万人〜1億人の命を失っている。スペイン風邪に感染しないためには、①マスクをしよう。②人混みは避けよう。と、当時の各国政府は国民に呼びかけてきたとのこと。また5000万人〜1億人死なないと、愚かな人類はパンデミックの恐ろしさを認識できないのだろうか。


●ワクチン-1   2021.5.23
ワクチンを接種する→もう大丈夫と遊びに出る人が増える→感染者が増える→非常事態宣言が出る。と、なることは目に見えている。ワクチンの効果は100%ではない。変異株への効果はまだ分からない。ワクチンを接種しない人もいる。「ワクチン接種が行き渡ればコロナ前の生活に戻れる」なんて思っていたら大間違いだ。「ワクチン打ったらマスク無しでGoToトラベルで旅行に行くんだ(ルンルン)」と言っている高齢者を実際に見ると「だめだこりゃ」と思わざるを得ない。ワクチン接種が進んでいるイギリスの感染者数を今後も観察していけば分かるだろう。下げ止まり&微増、ということになっていくのではないかな。ロックダウンのできない日本では、下げ止まり&微増傾向がもっと顕著になることもあるだろう。ではもっと接種が進んでいるイスラエルはどうだろうか?→それどころではないようだ。→明日へ続く。


●テレビ離れ   2021.5.22
若年層のテレビ視聴減少の背景要因として、主に夜間帯はインターネットの利用の活発化、朝の時間帯は男女を問わず化粧や身支度などの身の回りの用事が増えていることを挙げている。とのことだ。が、「そーじゃねーだろ!バカかね君は?」まずCMが多くて長すぎる。昼間なんか平気で5分ぐらいCMが続く。CMが流れれば見るのを止める!のが普通だろ。YouTubeのCMはだいたい5秒でスキップできるようになっている。それもCMまでの秒数と、CMが終わるまでの秒数をカウントダウンで表示している。5秒の間に逃げられないような工夫をしている。に対してテレビは5分もの間にCMを連続して流し続けている。これは「見るのをやめてください!」と言っているようなもんだ。そんな当たり前のことを何十年も続けていいて、今さら夜間帯がどうの、インターネットがどうのと言っているその愚鈍さには呆れるばかりである。


●感染者数   2021.5.21
五輪をやるかやらないのか?の議論はもっぱら日本の国内状況を鑑みてのことだけだ。世界の感染者数はどうなっているのか?ということに目を向けて考えろよ!ということだ。大雑把に言えば欧州の多くの国は第2波がピークを過ぎて減少傾向にあると言えよう。しかしまだまだ増加中の国もある、アルゼンチン、コロンビア、ペルー、チリ、ネパール、パキスタン、マレーシア、スリランカなどだ。また、スウェーデン、カナダ、ロシア、イランは減少傾向にはあるがまだその数値は大きい。もちろんインド、ブラジルもピークは過ぎた感はあるものの、まだまだ数値は膨大である。数値は小さいが、押さえ込みに成功していたと見られるカンボジア、台湾、パプアニューギニアなどでは急に増えはじめたし、アンゴラ、エジプトなどのアフリカ諸国ではこれから増加してきそうな雰囲気でもある。と、こういった国々の人を受け入れることができるのか?また、こういった国々の人が本当に日本に来ることができるのか?「変異株の博覧会になる」というのも、大袈裟ではないのかもしれない。


●カップ麺   2021.5.20
プロのデザイナーがWixやJimdoなどのCMSを使うことは少ない。その理由は①プロが作っても素人が作ってもできるものは同じ。②従って発注する側もプロに依頼する意味がない。③でもってプロがプロの仕事をしようとするとCMSの中のHTMLをいじることになる。④となると更新が簡単にできなくなりCMSを使う意味がなくなってくる、⑤であれば最初からHTMLで作ったほうが早い!ということになる。要するにラーメン職人にカップ麺を作れ!と言っているようなものである。しかし世なのかには「ウチに頼めば確実にカップ麺にお湯を注ぐことができる!」と謳っているウェブ制作業社もいるんだな。


●自業自得   2021.5.19
ネットが使えないためにワクチン接種の予約がとれない、とか、ネットが使えないから給付金が受給できないとか。何で今になって「ネットが使えない」とか平気で言えるのだろうか?これからはネットの時代になる!パソコンが使えないと困る世の中になる!ってことは2000年ごろからマスコミでも巷でも散々言われてきたことだ。そして今、実際にパソコンが使えないと困る世の中になったわけだ。これまでに20年の猶予があったわけだ。経済的、身体的理由でパソコンが使えない、とか2000年の時点で既に後期高齢者であったとかいう人は別にして、そうではない人は単に「サボっていた」だけであり、そのツケが今になって回ってきただけのハナシだ。高齢者だからパソコンができないって、2000年にはまだ高齢者じゃなかっただろうによ。実際に困ったときにはもう遅い!ということだ。これを自業自得と呼ばずに何と呼ぶ。


●マイナンバーカード   2021.5.18
申請者が少ない理由は色々とあるのだが、その一つが写真であろう。いくら自撮りやインスタが普及しているとはいえ、背景が無地で自分の影が写らない撮影環境で写真を撮るのは普通は無理だ。とはいえ写真屋さんで撮るにはカネも時間もかかるので、そうまでしてまで申請しようとは思わない。証明写真機でもOKなのだが、それとて、わざわざ撮影しに行って、切り取って裏に名前を書いたりするのはめんどくさい。ということでネット上での申請も可能になっているのだが、ここでのデータで送る写真の条件も、とても素人にクリアできるものではない。幅高さとも400ピクセル以上、ファイル形式はjpeg、カラーモードはRGB(CMYK不可)、と、この時点で普通はギブアップだろう。加えて撮影時の条件も色々とある。とはいえ他に良い方法があるかと問われても無いというのが実情だ。強いて言うなら、まずは写真抜きで申請して、後から遠隔で総務省(の指定業者)が撮影すれば早いだろう。背景も無地のものを合成すればいい。と、そこまでになるにはwebカメラとアプリの性能をもう1段アップさせないといけないだろう。それと、この場に及んで「ネットができない」とか言っている原始人たちを何とかせねばいけない。


●状況   2021.5.17
どっかの市長が余ったワクチンを摂取した。このことに猛反対するのは自分がまだ摂取をしていない人たちだ。摂取が終わった人、または摂取の予定が決まっている人は「打ってもいいんじゃね」という感じだろう。オリンピックの出場が決まっているアスリートは、オリンピックは「開催すべきだ」と思っているはずだが、出場するわけでもない多くの国民は「やんなくていいんじゃね」と思っている。こんなクルマがあったら買おうと思いますか?というアンケートを、新車を買ったばかりの人たちからとっても「買おうと思わない」と答えるはずだ。新発売の〇〇バーガーを「食べたいと思う!」というアンケート結果を得るためには、とにかく「腹ペコの人」に聞いてみることだ。自分の置かれた状況によって考え方などというものはコロコロと変わるということだ。


●無駄   2021.5.16
スーパーコンピュータを使ったマスク無しでの飲食店での正面の席の人への飛沫の飛散する量の多さをシミュレーションしたCGをテレビで紹介している。その中でマスク無しの飛沫は1m、2m先ぐらいまで飛んでいることが分かる。そしてカメラはスタジオに戻る。すると2mぐらいの距離を置いて出演者同士がマスク無しで喋っている。おめえらダメじゃん!ということだ。そもそもテレビはリモート出演できる機材も環境もあるのだから、MC以外は全員リモートにすべきだろう。なんで知性の低い芸能人が毎日スタジオに通ってくるのだろうか。不要不急の用でもないだろうに。なんで天気予報の気象予報士が毎日スタジオに通ってくるのだろうか。天気予報なんてリモートで十分だろ、というか気象予報士によって天気の予報が違うのかよ?みんな同じだろ。だったら局ごとに天気予報を流すこと自体が無駄!ということにもなる。ま、それを言ったらどこの局も同じ話題を垂れ流しているワイドショーなるものも無駄の固まりのようなもんだけどな。


●かんたんスマホの画面-3   2021.5.15
→昨日の続き。しかし高齢者は今更現代人になれない。だから取り残されても仕方がないのであるが、日本だけはそうではない。世界でもダントツの高齢化率であり、その人口も多いのでマーケットが成り立つのである。外国ではいくら高齢化率が進んでも、元々の人口が少ないとそのマーケットに向けた商品を開発販売してもペイできない。そいう意味では将来的にはアメリカや中国でもマーケットは成り立つが、まだちょっと先の話であろう(現在の世界での高齢化率はアメリカ:38位、中国:64位)。そして日本は今が稼ぎどきであり簡単スマホなる商品を開発販売しているわけで、一部はフランスでも売れているとのこと。と、こんなことをしているからガラパゴス化してしまうのだ。ガラパゴス諸島の領有権を持つエクアドルでさえ、使われている携帯電話はガラパゴス化してはいない。


●かんたんスマホの画面-2   2021.5.14
→昨日の続き。目的のボタンが見つからないとクレームをつける老人の多くは、コンピュータのインターフェイスの世界標準にもなっているハンバーガーやケバブー(画面右上にある棒三本)に対応できないためである。スマホやパソコンを使い慣れていれば、画面上にボタンが見当たらないときは、ハンバーガーを捜してクリック(タップ)すればメニューが出てくるということは分かる。ところが目に見えないものは「無いもの」と思ってしまう、自分が分からないことは勉強しよう、とか慣れよう、とか順応しよう、とかいう意識のない高齢者にとっては、目に見えないものは「無いもの」なのだ。しかしコンピュータやインターネットの技術は日進月歩である。高度化していくと同時にインターフェイスも複雑化していく中でハンバーガーやケバブーというものは必然的に登場してくるわけだ。そして使う側もそこに対応していくことが必然なわけだ。目的のボタンが見つからない、と言っている原始人に合わせていたのでは、技術の後退に合わせることになってしまい、メーカー間の、国家間の競争力も低下することになってしまう。原始人が現代人にならなくてはいけないのだ。→明日へ続く。


●かんたんスマホの画面-1   2021.5.13
ホームページのデザインに文句をつけるのは大抵が高齢者だ。目的のボタンが見つからないとクレームをつけるのだ。しかしそんな高齢者の意見ばかりを聞いていたのでは、トップページのデザインが使いやすさだけを最優先のかんたんスマホの画面のようになってしまう。そこには「かっこいい」「美しい」「魅力的」とかいった要素はなくなってしまう。そういった要素が無いと若者は見なくなる。そして若者はクレームをつけることなく黙って立ち去っていく。このように高齢者の意見ばかりを優先したが故にアクセス数が減っていったホームページも少なくないことだろう。高齢者は自分が分からないことは勉強しよう、とか慣れよう、とか順応しよう、とかいう意識はなく、自分に合わせてくれない相手に対してクレームをつけることしかしない。そして「使いずらい」とか「分かりにくい」とかクレームをつけていた老人に限って、直したころには死んでしまう。→明日へ続く。


●木を見て森を見ず-3   2021.5.12
→昨日の続き。街の歩道のある一角に飛んで来た落ち葉が溜まる。その枚数が、一昨日は25枚、昨日は20枚、今日は30枚、と言っているようなものが「木を見て森を見ず」の都道府県別感染者数だ。飛んでくる枚数なんぞは、色々な偶発的な要因によっていかようにも変わるはずである。風向、風力、葉の落ちる量、歩道の構造等々だ。落ち葉の枚数を数えてあーでもないこーでもないと言っているのは「木を見て森を見ず」どころか「葉を見て木も森も見ず」状態であろう。


●木を見て森を見ず-2   2021.5.11
→昨日の続き。「木を見て森を見ず」なのは日本だけではないようだ。まあどこの国も自国のことで精一杯なのだろう。例えばイギリス。現時点での感染者数は日本の約半分だ。人口もだいたい半分ぐらいなので、感染者率は大体同じようなもんだろう。しかしイギリスは国民の半分がワクチンの1回目の摂取が終わり、ロックダウンの成果もあり、大幅に減少してきた中での感染者数だ。一方日本は国民のワクチンの1回目の摂取率は3%で、第4波が始まる中での感染者数だ。しかしイギリスではマスク着用の義務を解除するという話も出てきているようだ。今、マスクを外せばどうなるのか?ということは容易に想像できそうなものなのだが。そういう意味ではイギリスもfar westの小さな島国なのだから、まぁしょーがないか。→明日へ続く。


●木を見て森を見ず-1   2021.5.10
日本のコロナ報道、日本のコロナ対策がまさに「木を見て森を見ず」だ。ニュースでは真っ先に都道府県別感染者数の地図が表示される。木は日本であり、森は世界だ。森全体がどのような状況になっていて、どんな方向に向かっているのか?を俯瞰的に見なければ、木がどうなるか?なんて分からないし推測、予測もできないだろう。だから政府を自治体も国民も、緊急事態と解除の繰り返しを猿のセンズリのように永久に繰り返すハメになっているのだろう。日本で起こっていることはfar eastの小さな島国で起こっていることであって、世界の大きな大流の余波を食らって、島の中の感染者数は激しく増減もすることだろう。それが増減するたびに、あーでもないこーでもないと瑣末な現象だけ見て騒いでいるから、いつまで経ってもガラパゴスなのだろう。→明日へ続く。


●大衆   2021.5.09
学校行事がコロナで相次いで中止となる中で「大運動会」だけは中止にならないようだ。「バッハ会長や菅首相、小池都知事は東京五輪の強行姿勢を崩そうとしない!」とかマスコミには書かれている。また「互いの出方を牽制することに必死で彼らには国民の声は届かない」とかも書かれている。しかしこういった記事を書いている記者が「じゃ、あんたがIOC会長だったら、日本の総理だったら、東京都知事だったら、『東京五輪は中止!』って言えるのかよ?」というハナシだ。でもきっとその記者は「言えない」とサラッと答えるはずだ。ということは、こういった子供じみた稚拙な記事でレベルの低い「大衆」に合わせたことを書くことで部数や視聴率を稼ぐということだ。だからいつまで経っても「大衆」はレベルが低いままなのだろう。ということで「東京五輪は中止!」と言うのは、もう少し外堀が埋められてきてからになるのだろうよ。


●マスク義務化   2021.5.08
情報ライブ ミヤネ屋で橋下徹の主張するマスク義務化。賛否両論色々とあるようだ。賛成の意見にも一理ある。反対の意見ももっともだと言える。しかし残念なのは、橋下徹も宮根誠司もスタジオでノーマスクで唾を飛ばしながら(のように見える)喋っているということ。確かにスタジオ収録なのでソーシャルディスタンスは保たれ、アクリル版は設置されてはいるものの、「マスクをしないでマスク義務化の議論」は滑稽だ。


●テキストだけの投稿は読んでもらえない   2021.5.07
学校の先生がフェイスブックを始めた。しかし投稿した記事に「いいね!」がなかなかつかない。それ相応に面白い価値のある内容を書いているはずなのに、とのことだ。世の中甘く見てはいけない。多くの人はフェイスブックの投稿記事などは基本的に読まないのだ。写真や動画があればそれに釣られて読むこともあるが、テキストだけの投稿はまず読んでもらえないと思ったほうが良いだろう、増して長文で理屈っぽいテキストは。そして学校の先生は学校という限られた空間の中で生徒は先生の言うことを聞く以外にやることのない特殊な状態にあるから先生の言うことを聞くのだ。フェイスブックというSNSの閲覧には何の制限もないのだから他人の書いた文章を読むという「労働」を積極的に行おうという人間は基本的におらんのだよ。


●感染防止対策   2021.5.06
感染防止対策を徹底する。ということは、うがい手洗いアルコール消毒をすることではない。ソーシャルディスタンスを保ちマスクをつけることではない。マウスシールドやアクリル板などはもってのほかだ。感染防止対策を徹底するということは直径100nmのウイルスを体内に取り入れさせない。ということだ。つまり完全に外気と遮断した空間で暮らすということだ。具体的には家の外に一歩も出ないで、もしも出る必要に迫られたら宇宙服を着用するということになる。ただし家の外に一歩も出ないとしても、家の近くを通った感染者がくしゃみでもすれば、そのウイルスの付着した飛沫は家の中に侵入してくる可能性はある。すでに世界の人口の2.5%が感染者だ。家の近くを通る1000人のうちの25人が感染者だ。そのうちの1人ぐらいはくしゃみもすることだろう。今回のパンデミックで最後まで生き残る僅かな人たちは、宇宙服を着用して家の外に一歩も出なかった人たちであろう。


●止める   2021.5.05
急に「止める」と宣言するとあまりに影響が大きいことから、多くの国民が「もう止めるしかないよな…」と思わせるための理由作りに一生懸命のように思えるのだがどうなのだろうか?あくまでも「〜な感じがする」という想像の範囲ではあるが。①「オリンピック公式スポンサー」などのフレーズを耳にすることがなくなったような気がする。②JOCシンボルアスリートの画像を目にすることが少なくなったような気がする。③国と都は事務レベルでは密接な連絡を取り合っているはずが丸川大臣の「聞こえてこない」発言。④どう考えても「実現不可能な業務」のスタッフを絶賛募集中の件。などなどだ。特に①は、今までテレビのCMの後に東京五輪のロゴと同時に現れていた画面が表示されなくなっているCMもある。もし、開催するのであれば、今の時期、宣伝告知マックスのはずであろう。多くの国民が納得し、多くのスポンサーが納得し、多くのアスリートが「仕方がない…」と諦め、世界中の人が「もう止めるしかないよな…」と思わせるストーリーが必要なわけだ。とまぁなにごとも「やる」ことより「やめる」ことのほうがタイヘンだったりもするのであった。


●テレビ業界   2021.5.04
8Kテレビを盛んに宣伝するNHK。植物学者牧野富太郎の番組なのだが、彼の描いた植物イラストや食虫植物がミジンコを食べるシーンを8K映像を交えながら盛んに8K、8Kと言っている。なるほど8Kの画像はすばらしい!のであるが、その番組を見ている人の多くはフルHDのテレビで、だろ。それで素晴らしさが分かるということはフルHD(2K)でも十分ということだ。そもそも4Kだって2Kとの違いはパット見は普通は分からない。よく見比べてみなければ気が付かないレベルである。8Kともなれば尚更だ。要するに人間の目の解像度をとっくに超えているわけだ。医療や工業の特殊な分野以外では必要の無いものであり、民生分野での8Kテレビは「猫に小判」であろう。では何でNHKが8Kテレビを盛んに宣伝するのかと言えば、テレビの買い替え需要は「地デジ」以来、頭打ち状態のようだ。何か理由で買い替え需要を喚起させないとメーカーを含めたテレビ業界全体が衰退するのであろう。ということで、どうしてもオリンピック開催の勢いに乗っかってテレビの買い替え需要を焚き付けたいテレビ業界なのであったが、そのオリンピック開催の雲行きも怪しくなってきたので、生産してしまった8Kテレビの在庫を捌くために、今さらながら必死で宣伝しているのであろう。とも思えるのだが。


●防弾チョッキ   2021.5.03
今、街はコロナという敵がうようよしている戦場だ。戦場に行く時には防弾チョッキを着ていったほうが良い。しかし防弾チョッキで防げるのは極めて小さな火器だけである。敵が戦車やミサイルだった場合には防弾チョッキは何の役にも立たない。つまり街に出るときにマスクという防弾チョッキをつけていれば安心というのは大間違いであり、感染リスクは少なくなるが、完全に防げるものではないということだ。街にやむを得ず出る時はマスクはしたほうが感染リスクは小さくなるというだけのことだ。今、敵の戦力は大幅に上がっていてN501Y対人戦車、E484K空対地ミサイル、L452R対人誘導弾などの装備が着々と進んでいるのだ。その前に、コロナウイルスの直径は不織布マスクの繊維の隙間よりも、ずっとずっと小さく余裕で通過できるのだ。ということを忘れてはいけない。


●選挙のポスター   2021.5.02
選挙のポスターを理論的に分析して「こうすれば当選する!」というようなデザインを売り込もうとしている人がいる。しかしその売り込みは極めて難しい。その理由は、
①立候補者が決まるのは選挙の直前であり、どんな対抗馬が立つかによって戦略は変わる。つまり常に時間が無い中でドタバタと行われる。
②陣営の中の権力者(重鎮)の一言でポスターのデザインが大きく変わることもある。
③党にによっては本部からの指示で雛形に沿ったデザインにしなければいけない。
④選挙のポスターの写真は基本的にはどんなものであっても良いことになっている。
⑤選挙の中でのポスターの占めるプライオリティーは想像以上に低い。
⑥選挙のポスターは当選すれば良いデザイン、落選すればダメなデザイン、という風に評価される。
などなどを考えると、選挙のポスターデザインなどというどろどろの世界には関わらないほうが良いだろう、ということになる。


●会議室に集まって話し会う   2021.5.01
徳島県での感染拡大も”予断を許さぬ状況”に…「まん延防止措置」適用の場合の具体策を協議、というニュースをテレビでやっていた。こいつらバカなんじゃないかと思った。協議するために数十人が会議室に集まって話し会うという映像が流れているのだ。そんなもんはリモート会議でやればいいだろ!間隔は空けてアクリル板も設置してはいるものの、まるで「大事な時には集まりましょう!」と県の首脳陣が県民に言っているようなものだ。確かに感染防止対策をしっかりやっていれば大丈夫なのかもしれない。しかし人が集まれば僅かであっても感染のリスクは高まるのだ。集まらなければ感染リスクはゼロである。成果やリスクは別にしても、とりあえずは見本を示せということだ。議事進行には対面のほうが有利な点はたくさんある。だからといってオンラインでは不可能なはずもない。集まって話し合い、その映像が全国ネットのテレビに流れることに、何の罪悪感も、恥ずかしさも持たないところが、こいつらバカなんじゃないかと思わざるを得ない。全員マスクでもクラスターが発生している例もあるというのに、こんなんじゃ誰もテレワークやらんぞ!



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