2022年1月



●差別   2022.1.31
昨年末にマイナビの「大東亜以下」という誤報メールが話題となった。大学によって差別をしているのではないか?と多くの人が憶測した。その昔、あるショップのオーナーが言っていた「バイトを雇うなら六大学に限る」。六大学生であれば間違いなく良く働くということだ。逆に六大学以外の学生は働かないヤツもいる、ということだ。昔だったので、六大学orそれ以外、という分類だっかが今はもっと細分化されている。そしてそこには絶対に差別というものはある。もし差別無く全て平等とするならば全ての大学の偏差値を同じにしないといけないだろう。世の中の「差別」を訴える人の多くは差別される側であり、その中の多くは努力や苦労はしないで同じ扱いや環境を要求しているのであって、そんな志の人間が多くいる以上は世の中から絶対に差別は無くならない。


●預言者   2022.1.30
ビル・ゲイツはコロナの次はもっと恐ろしいウイルスが流行る。との発言に「いつから預言者になった?」という内容のツイートが多く投稿された。しかし残念ながらビル・ゲイツはずっと前から預言者になっていた。2018年には「今後10年以内に疫病が流行する」ことを予測していたし、2015年の3月のTED Talksで、もし疫病大流行(アウトブレイク)が来たら?私たちの準備はまだ出来ていない。と警鐘を鳴らしていた。そして1995年には「ビル・ゲイツ未来を語る」で、現在のネット社会を予測していた。当時はまだインターネットを使っていた人はほんの僅かであり、Skypeですら無かった時代にTV会議の普及を予言していたのだ。アトムからビットへ、という概念はまさに現在の状況だろう。しかしビル・ゲイツは金持ち過ぎて「おまえがウイルス撒いたんだろ?」とか言われてもしまうのは仕方がないところだろうか?


●叶わぬ夢   2022.1.29
最近やたらと転職サイトのCMが多い。あたかも今の職場に見切りをつけて自分に合った素晴らしい職場に転職しよう!と言っているように思える。しかしそんなに素晴らしい職場などは無い。職場はどこもだいたい同じだ。どこの職場もそれなりにブラックだ。そして自分に合った職場なんてものは無い。自分が職場に合わせたほうが100倍早い。ついでに言えばやり甲斐のある仕事などというものは無い。仕事はみんな辛いのだ。辛いことをやるから報酬が貰えるのだ。しかしそれらのことが分からない人たちは転職すれば良い職場に巡り会えるであろうという夢を見ているから安易に転職するようになる。そして転職しても転職しても理想の職場には辿り着けない。それでも自分に合った素晴らしい職場が必ずあるよ!と叶わぬ夢を与え続ける。という意味では、最近やたらと宝くじのCMが多い、のと同じか。


●万全のコロナ対策   2022.1.28
「万全のコロナ対策」という言葉がいまだに頻繁に使われている。「万全」とは「全く完全で、すこしも手落ちがないこと」だ。あたかも万全のコロナ対策をしていれば感染しない、という印象を与えてしまう。いくらマスクをしようがこまめに手を洗おうがワクチンを接種していようが、ほぼ空気感染に近いと言われているオミクロンはマスクの繊維のすき間を楽々と通り抜けてしまうはずだ。「万全のコロナ対策」はコロナに感染する可能性は低くできてもゼロにはできない。つまり「万全のコロナ対策」をしている所に行く場合には、感染する可能性も絶対に有る!ということを覚悟しなければいけない。例えば兵隊が鍛えた身体でヘルメットを被り迷彩服を着て戦場に行ったところで死ぬ時は死ぬわけであり、死を避けられるわけではない。万全の戦場対策なんてものはない、のと同じだ。「万全のコロナ対策がされた場所」に行くということは、「コロナに感染する可能性が有る場所」に行くということだ。


●全てが後追い(2)   2022.1.27
→昨日の続き。とは言っても国の中枢を担っている人たちは変異株に対するシミュレーションは既に行っていることだろう。そういった役割を与えられなかった人たちが、マスコミやネットを通じて喧喧諤諤騒いでいるわけだ。人間というのは基本的には極めて保守的な生き物だ。今まで通りの生活を送ることを望んでいて、それができないとなると怒る。これから先、旅行、観光、外食産業、イベント業などはマーケットがかなり縮小され、生き残っていくのは難しくなることだろう。しかしそんなことをテレビで言ったら猛反発を喰らうことだろう。また、実績というものが存在しない「未来」を語ったとしても、多くの人に信用されることもない。コロナはいずれ収束するだろうと思って(願って)いる人もまだまだ多い。だから次に来るであろう(強毒性かもしれない)変異株があるとは、なかなか口に出しては言えない。にもかかわらず、いざ次の変異株が出現したときには、全てが「後追い」「その場凌ぎ」「場当たり的」とか言われるのだろうな。


●全てが後追い(1)   2022.1.26
ブースター接種の有効性、子供への接種の意義、PCRや抗体検査の必要性、隔離期間の日数、入国出国制限、蔓延防止、経済活動との両立方法、と実に色々な意見や見解、ニュースが飛び交っている。しかし「こいつらまとめてバカだなぁ」と感じている人も少なくないはずだ。今、飛び交っている意見や見解やニュースの全てが「オミクロン株」が前提なのだ。流行ったころにはもう遅い、というのは世の流行の定石である。これだけ流行っているオミクロン株の対策を、今、考えてももう遅い。喧喧諤諤騒いでいるヒマがあったら、次に来るであろう(強毒性かもしれない)変異株に対するシミュレーションをしておけよ!ってもんだ。昨年11月末にオミクロン株がニュースになるまでは、もはやコロナは終わったかのような風潮だったくせに。まったくもって全てが「後追い」「その場凌ぎ」「場当たり的」な国民まとめて愚かとしか言いようがない。ていうか、感染力は約2倍の変異株、ステルスオミクロン株が発見されたとかされないとか。→明日に続く。


●ペーパーレス化   2022.1.25
コロナによってペーパーレス化が加速している。とっても良いことだ。が、しかし手段が変わっただけで中身は相変わらずの無駄な超長文というのも多い。メールを開いてみてびっしりと画面を埋めた長文であった場合、普通はすぐに読む気にはならず、自然と後回しになる。とにかく読む人がストレスにならないような簡潔な文章を心がけよう。後回しにされたメールは結局読まれないままになったり、期日を過ぎたりしてしまう。だからといって何でもかんでもPDFにすれば良いというものでもない。例えば項目を箇条書きにして、これはウェブページへのリンク、これは画像データ、これはPDF、これは本文に書く、というように内容によって振り分けるべきであろう。なに?めんどくさいって?でも仮に100人に配布すえるデータであれば、めんどくさいのを我慢して対応しておけば、100人分の人の「文字を読むという作業」がラクになるのですよ。


●失敗   2022.1.24
慎重に無理はせずに石橋を叩いて渡るような性格の人がいる。こういった人は爆発的な大成功をすることはないが、失敗する確率は低く、着実に小さな成功を積み重ねていく場合が多い。ところが、慎重に無理はせずに石橋を叩いて渡っているにもかかわらず、毎度大失敗を繰り返すような人もいる。どこが違うのか?といえば、後者は、慎重に無理はせずに石橋を叩いておっかなびっくり渡っているということだ。つまり「失敗してはいけない!」「失敗したらどうしよう…」「失敗したらもう終わりだ」という意識が強すぎるために、その動きが消極的で腰がひけたままになるから石橋からも落ちるのだ。そして一度石橋から落ちると、そのことがトラウマになって、次からは余計に消極的で腰がひけたままになるからまた石橋からも落ちる。そして余計に慎重になり石橋を何度も何度も叩いて、結局渡らなかったりしている。失敗がスキルになる人と、失敗がトラウマになる人がいるということのようだ。


●オミクロンで終わり-2   2022.1.23
→昨日の続き。現在、世界の1日での感染者数は300万人に達しようとしている。100日で3億人になる計算だ。その3億人の体内にはオミクロン株がウヨウヨといるということになる。ウイルスというのはその性質上正確な数を数えることは不可能とされているが、陽性者の体内のオミクロン株が10〜20匹ということはないだろう。少なくともセミの死骸にたかるアリのようにウヨウヨといることだろう。そのウヨウヨが数億人の体内で増殖していく過程では必ず変異が起こる。DNAでの自然突然変異率は1遺伝子当たり10万分の1〜100万分の1と言われている。これがRNAではもっと高くなるはずである。いかに変異株が生まれる可能性が高いか?ということは容易に想像がつくはずだ。そうこうしている間にも、新たな変異株生成にコロナウイルスたちはせっせと励んでいるはずだ。というか新たな変異株はもう生まれている可能性も十分にある。その変異株が本命であり、オミクロンはプロローグに過ぎない。


●オミクロンで終わり-1   2022.1.22
オミクロンで終わり。とでも思っているのだろうか?新型コロナウイルスは突然変異が極めて起こりやすい一本鎖RNAで、今のところは毒性は弱いが感染力の強いオミクロンで、地球上に変異が発生する可能性が高い種(たね)を大量にばら撒いている最中と考えるべきだろう。今は撒き餌を撒いている段階で、これから強力な「返し」の付いた釣り針が仕掛けられてくるはずだ。と、そこまで行くかどうかは分からないが、これだけ大量の感染者が出るということは、それだけまた新たな変異株が生まれる可能性が、もの凄い勢いで高くなっているということは間違いないであろう。「今年は、できるだけ飲みに行きます。(中略)今、風邪が流行ってるらしいですね!」とか言っている頭の悪い芸人の何ともおめでたいことだろうか。次の危機は確実に迫ってきているのだが。→明日へ続く。


●白鵬-2   2022.1.21
→昨日の続き。世の中「やってみなければ分からないこと」というのは多い。ところが大相撲のような伝統を重んじる世界では「やってみる」ことも許されないケースが多い。しかし許されないといっても、違法性があるとか罰則があるわけでもない。ルールブックにダメと記載されているわけでもない。だから「やってみた」のが白鵬だったのではないだろうか。観客に万歳三唱を促す、勝った後のガッツポーズ、勝敗について行司に抗議をする、懸賞金を略奪するように掴み取る、仕切り線から離れたところから立ち会う、などなど、多くが他のスポーツであれば許されていることだ。なぜ相撲だけがダメなのか?しかもどこにもダメとは書いていない。なんでだ?なぜだ?と考えた末に「ではやってみよう」と思ったのではないだろうか。そして白鵬が負けない理由も「1取組ごとに考えに考え抜いた取り口で挑んだ」結果だったのではないか?間垣親方の解説の中の「私は考えることが好きなので」という一言で、今までのいろいろなことの合点がいったように思えた。


●白鵬-1   2022.1.20
白鵬が引退する前まで、多くの相撲ファンは自分の贔屓の力士が勝って、白鵬が負けることを楽しみにして大相撲中継を観ていたのではないか。しかし贔屓の力士が勝つことはあっても白鵬が負けることは滅多になかった。1場所で1度も負けることがないことも珍しくなかった。そして全勝優勝を決めた後に引退という、多くの相撲ファンが期待していた「若い力士に敗れ、体力の衰えを自覚せざるを得なくなって、やむなく引退を決意する」という場面を見せることなくスパッと潔く辞めるあたりも、らしいと言えばらしいのであった。そして引退後に間垣親方となって大相撲中継の解説をおこなったのだが、これが実に的確で分かりやすく「なるほど」と思わせるものだった。「あ、この下手(したて)を取った時点で勝負有りですね」とか、100%の自信を持って解説するあたりは流石であった。また解説の中で「私は考えることが好きなので」という一言で、今までの白鵬の強さや行動が理解できたように思えた。→明日に続く。


●自我   2022.1.19
知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体のことを自我という。他者や外界から区別して意識される自分を意味する言葉でもある。昭和の人間は「自分」という物理的な存在を自我だと認識している。令和の人間は自我をSNSやメタバースの世界に外注している。言い方を変えれば自我の一部をコピーしてSNSやメタバースの世界に放流している。放流した自我は死んだり消滅しても良いのだ。また放流すれば良いのだから。そして彼らにとって、昭和の人間のような確固たる自我などは必要もないのだ。リアルな世界での社会性とかコミュニケーション力とかの役割も必要なくなってきている。リアルな世界で他人と顔を合わせる機会もなくなってきている。ルッキズムとかいう概念も不要なのだ。であればバーチャルな世界だけで自由な自我で自由に生きれば良いということだ。というふうになっていることを気がついていない人もまだまだ多い。


●飛翔体   2022.1.18
その中学校のクラスには5人の学級委員がいる。クラスで何か問題が起きた時や、クラスの意見を取りまとめるときにこの5人が話し合って決めることにしている。そしてこの5人は学級委員ということもあり、普段の生活態度や行動でも、他の生徒の模範となることを求められている。しかし中学生といえば遊びたい盛りでもあり、いたずらもケンカもしたくてしょうがない時期でもある。この5人の学級委員とて例外ではない。あるときその5人のうちの2人が話し合って企んだ「教室の中でロケット花火を打ち上げようぜ!」「そりゃ面白そうだ!でも、オレらがやるわけにはいかんよな、学級委員だし」「そうだな、じゃアイツにやらせよう!」そして2人はクラスで一番貧乏な家の生徒を呼んだ「おーい、ちょっとこっち来いよ黒電話!」


●子供は放っておくと絶対に勉強はやらない-2   2022.1.17
→昨日の続き。例えば学校で何かの不祥事があったとき、校長や教育委員会は記者会見で「知らなかった」「そのような事実は報告されていなかった」というような責任逃れに平然と突っ走る。またマスコミは「またまたこいつら責任逃れをしてる!」というような報道をする。そして世のバカ親たちは教育は学校が行うものと決めつけている。が、そうではない。家庭で時間的に、専門的に、教えきれない部分を学校に外注しているのだ。そもそも教育を学校に丸投げしているのであれば、毎日家に帰ってくる必要はない。丸投げするのであれば子供を学校に里子に出してしまえばいいのだ。従って外注先である校長や教育委員会が、生徒一人ひとりにまでは目が行き届いていないのも当然のことであろう。依頼主であるバカ親でさえ、自分の子供一人にも目が行き届いていないのだから。そして学校で不祥事を起こす子供のほとんどは、家庭に問題のある子供でもある。


●子供は放っておくと絶対に勉強はやらない-1   2022.1.16
子供は放っておくと絶対に勉強はやらない。親が色々と工夫をして勉強をするように仕向けなければいけないのだ。だから勉強ができる子供というのは、両親や家族が色々と努力をして子供が勉強をするような環境を構築してきた結果なのだ。ただただ頭ごなしに「勉強しなさい!」「宿題やりなさい!」と言うだけでは「るせーなぁ」「ざっけんなよぉ」と子供は余計に勉強をやらなくなる。かといって高い月謝を払って塾に通わしたところで余計に勉強が嫌いになるだけなのだ。そもそも親が勉強することの意義や楽しさを分かっていない以上は、どうやったところで、あんたらと同じ勉強のできないバカ人間にしか育たないのだよ。→明日へ続く。


●オミクロン株   2022.1.15
「オミクロン株は大したことない!」と多くの人は思っている。というか思いたいのであろう。オミクロン株は重症化率が低いので経済を優先させてもいいのではないか?オミクロン株は無症状が多いのでインフルエンザと同じ扱いにしても良いのではないか?とかいう意見も出てきている。そしてオミクロン株を過大に恐れるようなことを言った政治家は叩かれる。マスコミも「オミクロン株大したことない説」を訴求しはほうが視聴率も取れる。だけど本当にこれほど甘く見て良いのだろうか?人類は希望や願いだけも優先させて良いのだろうか?「人間は真実を信じるのではなく、信じたいものを信じる生き物である」なのだから、かれこれ2年に渡りコロナに屈服し続けたのではないか?奴らはデルタ株という豪速球の次にオミクロン株という変化球を投げてきた。次に投げてくるのは魔球かもしれないのだ。


●テレワークの実施   2022.1.14
感染者数が増えてくると「テレワークの実施」を政府もマスコミも叫び始める。東京では半数以上の企業が実施しているが、地方では2割程度だそうだ。そして実施していない企業に理由を聞いてみると、実に色々な言い訳をする。いつの時代でもどんな場所でも「できない」理由は語れば腐るほどある。「できない」理由は「やらない」で済ますための方策でもあるわけだ。そして最も大きな「できない」理由を経営者は絶対に言わない。それは経営者自身が自力でZOOMに入れないということだ。リアルな世界では立派な恰好をして偉そうにしているが、デジタルな世界では、極めてひ弱な情報弱者になるということは自分でも認めざるを得ない。そしてそこでは今まで苦労して築いてきた地位や権限を一瞬で失ってしまうような錯覚にもなるらしい。だからZOOM(などのオンライン)は死んでもやりたくないのであった。同時に彼らは、テレワークをやらない、最もらしくて納得される決定的な理由を、今日も考え続けているのであった。


●水中メガネ   2022.1.13
日本(とアジアの一部の国)では人に会う時にはマスクの着用がマナーとなっている。コロナ終息後もこのマナーが変わることはない。しかしマスクをしていては表情や喋っている内容が分かりにくいため、口が見える透明マスクなるものを着用している人を見かけることもある。ところがこれは頗るカッコ悪い。水中メガネ(スノーケリング マスク)が下にズレたように見える。そこで思ったのだが、オミクロン株の感染を防ぐのは鼻と口だけでいいのか?目からの感染だって大いにあり得るだろう。であれば水中メガネ(ゴーグル)と透明マスクを一体化したフェイスマスクというものも必要になってくるのではないかな?まあそうなってくるとガスマスクとかフルフェイスのヘルメットとか宇宙服の域になっている。そもそもコロナじゃないにしても産業革命以降の大気の中に含まれる多種多様な大気汚染物質(PM2.5、硫黄酸化物、ベンゼン、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、セシウム、窒素化合物、カドミウム鉛、フッ化水素、塩化水素、VOC、アスベストなどなど)が含まれるようになったころから着用していないといけなかったのかもしれないな。


●マウス   2022.1.12
マウスは消耗品である。どんなに高いマウスを買っても時期が来れば必ず壊れて使えなくなる。だからマウスは電気屋さんで一番安いワイアードのものを使うようにしてきた。一番安いワイアードのマウスはだいたい790円ぐらいで、時には590円だったりもする。そして時期が来ると、クリックが押したままロック状態になったり、スクロールホイールが擦り減って反応しなくなったりして買い替えることになる。コードレスのマウスはこれに電気系の故障やトラブルの可能性があるので買わないようにしてきた。ところが790円で買ったマウスが2週間ぐらいでスクロールホイールの反応が悪くなってきた。それがそのモデルのせいなのか、たまたまそういうロットのものだったのかは分からないが、「一番安いワイアード」のものを買う、という考え方を、そろそろ変えないといけないのかな?と思っていたところ、コードレスで300円というのを百均で見つけた。購入した当初は、何の問題もなく快適であったが、2週間ぐらいでモニター画面上のポインターが微動だにしなくなった。安物買いが銭を失った瞬間だった。


●品数   2022.1.11
お店にお客さんが来る。「○○、ありますか?」と尋ねられる。そこで「はい、ありますよ」と言えることが重要だ。しかし「すいません、○○は置いてないんです…」と答えた場合には、もちろん○○は売れず、その分の売上は上がらず、その客は二度と来なくなる可能性もある。従って、そういうことがないように、そのお店ではできるだけ多くの種類の品数を揃えるようにしている。しかしそのことで仕入れる品数は膨大になり、展示するスペースはごっちゃごちゃになり、棚卸しは絶対に数字が合わなくなり、維持管理は年々いい加減で杜撰になっていく。そうこうしているうちに売上は段々と落ちてくるのだが、同時に店主も高齢になって、特にカネがなくてもそこそこ生きていけるようになってくる。そして改革したり奮起しなり覚醒しなりする必要もなくなり、ただただ惰性のみで商売を続けている、のではないだろうか?と疑うようなお店ってありますよね。あなたの近くの商店街にも。


●自家用車   2022.1.10
恐らく近い将来、電車はほぼ全部に運転手がいなくなる自動運転化が実現するはずだ。その次はバスが自動運転化になる。そしてその次が自家用車と考えるのが普通なのだが、でもどうなのだろうか、脱炭素やSDGsが叫ばれる中、50kgの人間一人を運ぶための1トンの車両を必要とする自家用車というものの存在が許されるのだろうか。大きなエネルギーを使って1トンの機械を自走させる。そこにたまたま人間という生き物がコバンザメのように引っ付いている、という構図でもある。そもそも人間は家に居たままでほとんどの用が足りるようになってきている。人間そのものが移動しなくても済む時代になってきている。そんな時代に、仮にシェアリングだとしても、わざわざ自動車に乗る必要はあるのだろうか。そのくらいの頻度であれば一般市民は公共交通機関を使えばいいのではないだろうか。ということで完全自動運転の自動車が実現するころには、自家用の自動車を所有しているなんていうのは人類が共存していくに当たっては反社会的行為と見なされるようになるかもしれない。そして自家用車という概念自体がなくなっているかもしれない。自動車は物流や商用のためのみのデバイスとなっていくのではないのだろうか。未来の世界史では「1900〜2050年にかけては、未来予測をできなかった多くの人類が、自分のためのみの移動手段として、自家用車なるものを所有していたという非常識な資源消費の暗黒の時代であった」というふうに記されているのかもしれないな。


●増殖   2022.1.09
世界の1日の感染者数の最大値は今までは昨年4月末の88万人だった。それが今年の1月5日では248万と約三倍になっている。凄まじい増加率であり、ここから先、どこまで増えるかは予想もつかない。とはいえ1日の死者数は、最大値は昨年1月末の1万7千人で、今年の1月3日では5千人だった。三分の一に減っているということだ。ということはだ、死者数が同じくらいの数値になるまで感染者数を増やそうというのが奴等の魂胆なのだろうか?と疑いたくもなる。しかしウイルスは生物ではない(DNA、タンパク質、脂質などの「分子と細胞の間」にあるそうだ)ので、魂胆とか企てとか企みとかは無いはずだ。しかしその奴等が世界的規模で増殖してきた場合には、何かそういった集合体での力なり作用なり意志なりが発生するのではないのか?とも考えたくなる。いやいやそんなことはない。世界的規模で増殖してきた人類でさえ、集合体での力なり作用なり意志なりが発生するまでには至ってないではないか。


●不安がいっぱい   2022.1.08
世の中が便利になればなるほど、この便利な生活がいつまで続けられるのか?という不安が付きまとう。たとえば水道。豪雨で上流のダムが決壊してしまわないか?ダムにゴミが溜まって使用不能にならないか?何者かが毒物を混入させたりしないか?水道水に放射性物質が混入することはないのか?水道料金は今のままで維持できるのか?そもそも維持管理する人材は足りているのか?同じような不安は、電気、ネット回線、公共設備、などについても言えることだろう。幸福が不幸と表裏一体であるように、便利と不安は表裏一体なのだから仕方がない。だからと言って一度体験してしまった便利な生活から今から不便な生活には人間は絶対に戻れない。ということで本当は感じているはずの不安を無きものとしようとする心理が働く。ところがそうしている間にも不安要素はどんどんと増えていくのであった。と考えると不安で眠れなくなるので、とりあえずは考えないでおくことにしよう。


●終わってるメディア   2022.1.07
テレビのワイドショーでは相変わらずの政府批判。新聞記事をパネルに貼って紹介しながらコメンテーターが勝手なことを言っている。それに同調するかのような視聴者からのFAXによる意見が届き、MCがそれを読み上げる。いったい何をやっているのだろうか?テレビ、新聞、FAXと言えば、世界の3大終わってるメディアではないか。終わってる者同士が集まって、左寄り高齢者に媚びてるだけではないのか。旱魃で湖が干上がってきて水たまりの面積が段々と小さくなっていく。体力があって機転の効く賢い動物たちは、とっくにその湖に見切りをつけて他の水源に移動している。ところが体力のない機転も効かない弱いい動物たちは、干上がってきて小さくなった水たまりに集まって、その残った僅かな水をぺちゃぺちゃと飲んでいる。という感じに見えるのだが。


●e-Tax(2)   2022.1.06
→昨日の続き。税理士であればこの難解なシステムを理解するまで読破して完全なオペレーションができるようにすることも必要だろう。しかしこれを読破してあれこれとやってみて理解するには、けっこうな時間がかかることは予測できる。しかも1年に1回しか使わないのだ。こっから先は税理士に聞いてみ〜よおっと。ということにした。それにしてもこのシステムの完成度の低さ(主にナビゲーションの不親切さ)には「おいおいおい…」という感じだ。普通は、今の時点から試用を開始するという段階ではないのかな?まあ、開発者も費用はケチられ納期は煽られの結果なのだろう。とりあえず入力途中で保存したデータを商工会に持っていき税理士に確認してもらうことで日程を予約したのだが、商工会では「高齢の税理士では分からないこともあるので日程変更の可能性もある」との連絡があった。


●e-Tax(1)   2022.1.05
国税庁のホームページで昨日から令和3年度の確定申告をe-Taxで受け付けるとのこと。「マイナンバーカード2次元バーコード方式」というのが今年から追加されたのでやってみた。マイナンバーカードの専用読み取り機が不要なのだそうだ。対応するiPhoneが「iPhone7以上」とのことだった。これって価格がiPhone7より高いもの?それともスペックがiPhone7より高いもの?それとも販売時期がiPhone7以降のもの?そしてケースやカバーは外してマイナンバーカードに密着させよとのこと。ケースやカバーは簡単に外せるものもあれば、簡単には外せないものもある。また「事前設定を行う」ために専用アプリをダウンロードしなければならない。Macの場合、対応ブラウザはSafariのみとのことであったが、この専用アプリはSafariが起動しているとダウンロードできない。また「マイナポータルと連携」することで「マイナポータル」を経由して、確定申告に必要な控除証明書等のデータを一括取得し、確定申告書の該当項目へ自動反映できる機能なのだそうだ。そして手順としては「加入している保険会社等がマイナポータルと連携に対応しているか確認する」さすがにものへんまで来てめんど臭くなった。→明日に続く。


●標準時間-2   2022.1.04
→昨日の続き。夜更かしには、明かり、冷暖房、娯楽などのために大量の資源を消費することになる。日没とともに就寝していれば消費しなくて済む資源だ。この地球的な大規模な「無駄」を無くすためには「標準時間」というものを撤廃して、人々は住んでいる地域の緯度、経度の日の出、日没に合わせた日常生活を送るようにすればいいだろう。仮に標準時間を撤廃しないにしても、移動する位置(緯度、経度)に合わせて時間がリニアに変化していく時計を作ってもいいだろう。全ての仕事の納期に24時間のバッファーを持たせて「起きてる時間に仕事をする」を標準化してもいいだろう。いずれにしても、日没後に活動することで甚大な資源を消費しながら「脱炭素!」などと喚いている人類という生き物のなんと愚かなことよ!と神は嘆いていることだろう。


●標準時間-1   2022.1.03
時計というものが無い時代。おそらく人類は日の出のともに起床し、日没とともに就寝していたことだろう。「明かり」なるものを使うようになってからも、日の出→起床、日没→就寝、が最も効率的なライフスタイルであったはずだ。しかし「時計」というものが登場してから状況は一変した。その「時計」は、暮らしている地域が異なった人たちであっても共有の「時間」というものを強要させたからだ。例えば日本では最東端の南鳥島と最西端 の与那国島では2時間以上の差が生ずる。この2時間差で暮らしている人たちが全て同じ時間で活動しようとするから無駄が発生するということになる。会社が朝9時に始まるとする。その場合、日の出→起床→朝食→通勤、などで2時間かかるとする。ということは朝7時が日の出であっても会社に間に合うわけだ。しかし朝5時が日の出の地域に住んでいる人は2時間待ってなければいけない。それでは時間が勿体ないということで、日の出後の2時間も寝ていることにする。そうなるとその分の2時間は日没後を起きていなければいけなくなる。こうして人類はどんどんと夜更かし、朝寝坊になってきたのであった。→明日へ続く。


●血圧   2022.1.02
少し休んでリラックスしているときに測ると数値が低く出るので、そういう時に測ると良い。とか、起きてすぐとか、寒い時には数値が高く出るので測らないほうが良い。とか、測る時に深呼吸をすると良い。とか、運動した直後は測らないほうが良い。とか、いやいや運動直後は理論上数値が低くなるので、数値を下げたければ、その辺を走ってきてから測ると良い。とか色々な説があるようだ。医者に「高く出たからといって、測り直すようなことはしないで、その時測った数字をそのまま記録しています」と言ったら「本当はそのほうが良い」との答えだった。しかし「でも、少し休んでリラックスしているときに測ったほうが良いでしょう」とも言われた。そもそもが数値を低く書きたいのか、実際の数値を低くしたいのかどっちやねん?と、問われれば、おそらく前者だ。


●レコ大   2022.1.01
「レコ大」っ何?受賞とか言っているから何かの賞なんだろうなぁ。と思ったら「レコード大賞」のことだったのね。正式には「第〇〇回輝く!日本レコード大賞」と言うらしい。レコードってあの黒い塩化ビニール製の直径30cmの円盤だよね。一部アナログマニアやDJがレコードプレーヤーと呼ばれる巨大HDDみたいな装置で再生して音楽を鳴らしているアレだよね。アレの大賞ってどういうこと?確かにあの黒い塩化ビニール製の円盤は黒光りして輝いていたような気もする。そして受賞した人の名前も「誰やねん」「知らない人だ」という声も相次いでいる。要するに事務所がこれから売り出したい人にお金をたくさん出してPRしてもらう賞のようだ。こういうのって「賞」って言うのだろうか?「レコード大賞」もずいぶんとマイナーな存在になったものだ。というか続ける意味あんの?



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