2022年4月


●まっとうな生き方   2022.4.30
バーゲンセールで大売り出しをする。確かに安いのだが、果たして原価はいくらなのだろうか?これで利益が出るのだろうか?仮に赤になっても在庫を一掃できることでのメリットもあるのだろうか?と、色々と考えるのが普通の商売人であろう。しかしそんなことは一切考えずに自分が得をすることだけしか考えていない人間もいる。そんな人間がクライアントになった場合にはタイヘンだ。5000円の予算で平気で十万円の仕事を要求してくる。2万円の予算で平気で100万円の仕事を要求してくる。相手のことなど一切眼中に無いのだろう。なんて想像力のないバカなんだろうと思われようが、最終的に自分が得をすれば、それで良いのだろう。そもそも人間以外の動物で相手のことを考える、などということはない。生まれてから死ぬまで、一生自分のことだっけしか考えていない。それが生き物としてのまっとうな生き方なのかもしれないと思うことにしよう。


●写真   2022.4.29
信じられないくらいに写真を撮るのが下手な人がいる。自撮りやインスタが当たり前になった今時の若者にはそういう人は皆無だが、昭和の人間にはまだまだ多いようである。なぜそんなに下手かというと、基本的に「写真はカメラが撮ってくれる」「人間の仕事はシャッターを押すだけ」と思っているからだ。だからアングルとか露光とかディレクションとかは全く考えていない。さらにそういう人が、業界では著名な「書家」だったり「画家」だったりもする。モロに額のガラスが反射して作品が見えない写真や、明らかにひん曲がって写っている作品の写真、逆光で誰だか分からない人物の写真、とかを平気で撮る、というかそんな写真を撮っても平気なのである。あまえら、書や絵画でこんな作品だったら鬼のように怒るだろ!ってもんだ。


●折り鶴   2022.4.28
いまだにウクライナに送る折り鶴の賛否の議論が続いているようだ。「相手が迷惑になるものは送るな!」ってことで多くの人が納得と思いきや、折っている子供たちや障がい者の気持ちになってみろ!といったウクライナ折り鶴擁護者もいるようなのだ。何という想像力ないバカなのだろうか。いつミサイルが飛んでくるか分からない場所の地下でぎりぎりの生活を続けている人に対して、折り鶴を送る、なんてことは100%迷惑以外の何者でもないだろう。東日本大震災のとき、5000円の募金をして「やっと私も困っている人のために良いことをすることができた」と言っていた人がいたのを思い出した。結局は相手がどうこうは関係なく、自分の気持ちのことだけのようだ。ヒロユキが「バカって面白いな」とコメントしていたバカとはこういう人もことだ。子供たちや障がい者の気持ちになれってんだったら、せめて日本国内に避難してきたウクライナ人に送ればいいだろ。


●墓   2022.4.26
墓に骨を埋めれば終わり、ではなくなるだろう。墓そのものの運営管理が民間では厳しくなっている。色々と儀式を開催して誤魔化してはいるものの、死んでしまった人間に対して、一般市民でも今までのように参るとか供養するとかいってコストをかけられなくなってくることだろう。そもそも墓を作る土地が無尽蔵には存在せず、骨壷を入れるスペースを確保するのも簡単ではなくなっている。ずいぶん前に葬儀屋から聞いたことがある。「最近では遺骨を取りに来ない客も少なく無い」のだそうだ。遺骨を持ってしまった以上、何らかの方法で処理しなければいけないわけで、そのためには絶対に費用が発生する。「遺骨を取りに来ないなんて、なんてバチ当たりな輩だ!」と怒る人もいるだろう。しかし人間は生きていてナンボのものだ。死んでしまった者のケアする余裕が無い人間もたくさんいるということだ。まずは生きていくことが精一杯で。※明日は出張のためお休みです。


●己の判断   2022.4.25
山際経済再生担当大臣に「マスクの着用について、当面は続ける必要があるか」という質問をした。それって、いくら大臣がからといってこれから先、コロナがどうなるか分かるわけはないし、マスクの着用は国が強制しているわけでもない。コロナや他の感染症の感染状況や己のルッキズムや世の中の着用率を総合的に見て、自分で「着用するか否か」は決めることだろう。外出時に靴下を履いていくかどうか?原始人がパンツを履かないで外に出ていいか?とか、それは全て自分で決めることだろう。いちいち大臣に聞くなってことだ。もっともパンツを履かないで外に出るのは犯罪になるし、原始人は現在はいない。思考が原始人な人はけっこういるけどね。思考が原始人な人は、自分ではな〜んにも決めないで、周りの人がどうするのか?だけを見ている。


●1本足   2022.4.24
電柱や道路標識や案山子は1本足だ。1本足のほうが材料費が安くて済むという理由もあるだろう。しかしもっと大きな理由は恐らく1本の方が重心が安定するということだ。2本だった場合には、重心を半分づつに割り振らないといけない。その微調整が簡単ではないはずだ。だから1本足で眠る鳥も多いわけだ。では鳥も元々足が1本でいいのでは?ということにもなる。そしたら人間も足が1本でいいのでは?ということにもなる。しかしそれでは歩く時に困る。つまり止まっているときには1本、歩く時には2本が都合が良いということになる。だから止まっているときは1本余分ということになるから鳥は1本足で眠る。人間は寝て眠るので1本足になる必要はない。しかし人間は止まっている時に鳥のように余分なほうの足を体に格納できない。だからず〜と1ヶ所に立っているのは辛く感じ、ず〜と歩き続けていたほうが、どちらかというと楽に感じるのではないかな。


●シニアカーを作ろう   2022.4.23
ある自治体の産業部門の外郭団体で、登録している中小企業が協力してシニアカーを作ろう!ということになった。夢のある話だが、地域の中小企業が束になったろころで到底無理なハナシだ。設計や企画デザインのノウハウ、生産や安全規格、品質管理、部品調達などなど、大手企業の間でも激戦区の中で、地域の中小企業だけでできるわけがない。できたとしても大手のもの3倍性能が悪く10倍高いものになるだろう。とはいえハナから否定すえうわけにもいかないので、その打ち合わせにプロダクトデザイン担当で参加した。案の定、そこには商品企画の素人の自治体企画部の担当者、金型しか作ったことない設計者、デザインは装飾だと思っている板金屋、その他、よく分かんない(何処の誰だか、と、本人たちも何の会議なのかが)おっさんたち。烏合の衆であった。ただしそこに集まったのは、みなさんそれなりに高い給料を貰っているはずであろう人たちだ。案の定このプロジェクトは立ち消えとなったが、こういうのって始める前から不毛で税金の無駄使いだってことが分からんのかな?と思ったものだ。会議の出席者の半分は給料が税金なのだから。


● 夢   2022.4.22
人は1日1回はだいたい夢を見る。しかしその夢の内容を毎日他人に話したりは普通はしない。家族や親しい友人には昨日見た夢の話しをすることもある。ところが夢は1本のタイムライン上で展開するとは限らず、時には途中で人称が入れ替わったりもするので、夢のストーリーを時系列で話すのは難しい。ただし夢には登場してくる明らかな人物がいる。家族や知人や故人や有名人であったりもする。ということはだ、自分も他人の夢に登場している可能性もある。他人の夢に登場した自分は、どんなシチュエーションでどんなふうに登場して何を喋り何を仕出かしているのだろうか?粗相をしてないだろうか?恥ずかしい行動をとっていないだろうか?と考えれば考えるほど心配になる。というか果たして何人ぐらいの人の夢に登場したことがあるのだろうか?引用された数で論文が評価されるように、他人の夢に登場した数でその人の価値が決まるのだろうか。しかし夢というものは時にあれほど鮮烈でインプレッシブでシュールであるにもかかわらず誰もバックデータをとっていない。将来的にはIoTの「T」に是非とも「夢」を加えて欲しいものである。


●カワセミ   2022.4.21
河原にカメラを構えるジイさんたち。カワセミを狙っているようだ。そのカメラはどれも巨大なバズーカ砲のような望遠レンズ付きだ。あんな望遠ではファインダー内にカワセミを捉えるのはタイヘンだろうてよ。ちょっとズレただけで大きくファインダーから外れてしまうはずだ。だったらもっと焦点距離の短いレンズで、引いて高画質で撮って後からトリミングしたほうが確実だろうてよ。笑っちゃうのがその巨大望遠レンズの多くが迷彩柄だということ。茂みの中で待ち構えるとかならともかく、河原の一番目立つ場所に三脚をドーンと構えて「どうだ!わしゃこんなにデカいレンズを持っているのじゃよ!」と言わんばかりなのだから柄が迷彩である意味はない。1羽のカワセミに対して10人ぐらいのジイさんたちが写真を撮っている。どーせみんな同じような写真しか撮れないのだから、1人が撮影して残りの9人はその写真データのコピーを貰ったとしても結果は対して変わらんじゃろう。


●インスタのフォロー   2022.4.20
Instagramで何気なくフォローした人が、1時間に1枚の間隔でペットの写真を投稿してくる。どれも似たようなアングルで同じ個体であるようなのだが、確かに2枚として同じ写真はない。本人的には「可愛くて仕方がない」のだろうだということは想像がつくので、いきなりフォローを止めてしまうのも気が引ける。仕方がないのでしばらくの間、同じペットの写真を1日に24枚ずつ見ることになる。これってInstagramを使った新手のDoS攻撃だよなぁ、とか思いつつ。


●中国   2022.4.19
1995年頃だったと思う。仕事で中国の第二国境を超えた内陸部に行ったことがある。深圳からフェリーで川を上ってしばらく行くと、湿地帯の椰子のような木の上にいくつもの「家」らしきものが見えてきた。4本の木の途中に板を渡した床のうえに屋根を葺いた家である。壁は無い。フェリー(これは近代的で大型)の傍らでは漁をしている人がいた。カチカチ山で狸が乗った泥舟のような黒く小さな舟だ。目的地の町にはダイエー程度のスーパーがあった。そのスーパーの電気売り場に夕方になると人がたくさん静かに集まってくる。テレビドラマを見に来るのだった。そしてそのテレビドラマを見ている間は、笑いもせず話もせず、ひたすら静かに無表情であり、終わると静かに立ち去っていく。と、そんな状況だった。あれから30年近く経った今、便所に便器があるのは当たり前になったのだろうか?いずれにしても沿岸部と内陸部の貧富の差は著しいものがあったはずである。そんな国を、急速に発展させ、治めていくには、やはり民主主義では無理だったのだろう。


●折り鶴   2022.4.18
ウクライナの為に「折り鶴」を作りまくっている日本人がいるそうだ。ハイチの地震のときにもそういう日本人がいた。そんなものは、もらっても、かさぱって、燃えやすく、何の利用価値もなく、北欧では「死を呼ぶ鳥」と不吉な鳥の象徴である「鶴」を、折り紙で大量に折って、高い輸送費をかけて、被災地に送るというのは、百害あって一利なしだ。こういう人たちは国内でも観光地に行ったお土産に、こけしや木彫りのクマを買ってきて渡してしまうのだろう。ある政治家が中国を訪問したときにフクロウの剥製をお土産に持って行ったそうだ。包装紙を開けた現地の人は、フクロウの剥製が見えた途端に。一斉に壁際まで後退りしたそうだ。中国の人びとにとって、フクロウは母親を食べる不幸な鳥であり、不気味で不吉な鳥であり、日本人にとってのヘビのような存在だ、ということを知らなかったようだ。他人にモノをあげるときには、自分の価値観だけで判断しては絶対にいけない。


●窮鼠猫を噛む   2022.4.17
例えば北朝鮮。今の政権が崩壊してミサイルを飛ばしたり核実験をしない国になればいいのに。とは多くの日本人が思っていることだろう。しかし、もし今の政権がなくなって、国民1人当てりの生産性が極端に低く、資源も食料も乏しく、極度な貧乏な2500万の国民をどうやって養っていくのだろうか?そこで仮想敵国を作って、その敵を倒すために国民を一致団結させて貧困に耐えさせる、というのが今の政策なのだろう。そしてロシアのミサイル発射実験場を提供して西側を常に威嚇し続ける。そしてミサイルを撃つたびに「最強の国家になったぁー」と国民にPRし続ける。この行為を怠ると国内からの批判や不満が爆発して、暴動や一揆やクーデターが起こってしまうのだろう。だいたい戦争をちらつかせたり、実際の侵略行為に踏み切るというのは、その国が相当にヤバい状況にあるということだ。だから、旧ソ猫を噛む、ということになるのだろう。


●無駄と矛盾   2022.4.16
そもそも石盤や亀の甲羅に彫られていた文字が何でパピルスに書かれるようになったかと言えば、その方が軽量で運搬が楽だということだろう。電子書籍も同じだ。紙の本に対して圧倒的な情報量で圧倒的な軽量である。「紙の本は温かみと味わいがある!」とか、それはアナログレコードやフィルム式カメラと同じで、ほんの一部のマニアの意見であろう。大勢は温かみや味わいは求めていない。そもそも図書館ではコンピューターで本を検索して、見つかったアナログの本を借りて読む、という行動に無駄と矛盾を感じない時点で本(情報)の概念が破綻しているのだろう。まぁ、加圧水型原子炉で発電された電気で風呂を沸かして入っていることに無駄と矛盾を感じないのと同じか。


●3Dプリンター   2022.4.15
3Dプリンターって結局なんだかんだ言っても使い物にならないんじゃね!とか思っている人もいる。しかし3Dプリンターはパソコンで言えばまだWindows3.1xの段階だろう。そうなると近未来には必ずブレイクすることになる。そのときにはきっと「部品」という概念もなくなり、「材料」という考え方も変わってくることだろう。なんせ3Dプリンターは「材料」が100%製品になる。つまり「材料」の捨てるところが無い!ということだ。そしてプラスチックだけでなく金属にも対応できるようになる。となれば旋盤もボール盤もフライス盤もマシニングセンタも射出成形機も不要になるわけだ。ところがマシニングセンタや射出成形機を現在使っている人たち、作っている人たちは、将来それらが無くなるとは1ミリも思っていないことが問題であろう。携帯電話が世に出始めたころ、固定電話を作っている人たちは、まさか固定電話が無くなるとは思っていなかった。電子書籍が普及した昨今においても、紙の本を作っている人たちは、未だに「紙の本は無くならない!」と思っているらしい。そして今まで使っていたものは、ある日突然なくなるわけではない。気がつかないうちにじわじわといらなくなってくるのだ。久しぶりに道路を走ってみると、みんな自動車に乗っていて、馬車に乗っているのは自分一人、ということになっているのであった。


●人間   2022.4.14
人間は社会の中で社会のルールを守り他の人間と共存していく社会人である。一方で人間は動物である。動物は代謝して成長して子孫を残すという使命がある。そして代謝して成長して子孫を残すためにはかなりのエネルギーを必要とする。そのためには他の動物を殺害して食することでエネルギーを得ることもある。代謝して成長して子孫を残すという行動を邪魔をする他の個体を傷つけたり殺害したりすることもある。先進国では社会性と民主性が重んじられて当然であるが、一部の途上国では代謝して成長して子孫を残すだけで精一杯の地域もある。そこでは社会性よりも動物の使命が優先される。だから途上国では犯罪や紛争が無くなるのは、まだまだまだまだ先の話なのだ。ただし先進国であっても社会性や民主性を無視して戦争を仕掛けている国もあるくらいなのだから、地球上から犯罪や紛争が無くなるのは、恒久的に不可能なのではないかと。。。


●人口動態   2022.4.13
日本は知っての通り少子高齢化が進み人口が減少している。ただし日本には独自の高い技術や文化があるので、急激に衰退するなんてことはないだろう。なんて思っている人が多いようだ。しかし日本は確実に衰退する。日本が繁栄していたころは人口が増えていたのだ。人口と国力は必ず比例していて、近代史において世界に例外はない。従って日本が衰退しない理由というのは、あくまでも希望や理想でしかない。中国は人口増加がおさまってきたので、今までのような急速な進歩も減速してくることだろう。で、次はインドとアフリカとされているが、その進歩の速度は中国を上回るかもしれないと言われている。さて世界の人口であるが、2000年ごろには2050年の100億がピークと言われていた。しかし最近では2100年の110億がピークだろうと言われてきた。しかしインドとアフリカの今の勢いでは、ピークが110億では収まらないようにも思える。しかし一方では地球の人口はとっくにキャパオーバーになり資源や食糧や水の争奪戦が激化し感染症も発生しやすくなる。そうしてパンデミックや戦争という淘汰装置が発令されるのかもしれない。


●メタヴァース   2022.4.12
メタヴァースの中のアバターはリアルな人間ではなく、動物やアニメなどの「自分」とは関係ないものが圧倒的に人気がある。それだけ利用者は「自分」とは別人格(というか別キャラ)を選んだほうが自由度が高いということになるようである。逆に自分そっくりの顔のアバターでは生々しくて気味が悪いだろう。仮に似せるにしても、極端に簡略化した二頭身キャラ的なチビ○○みたいなものが好まれるようでもある。そして忘れてはいけないのは、メタヴァースの空間を制作するには、それなりに大変な手間がかかるということだ。例えば同じ空間内で10人のアバターをスムーズに動かすとすれば、各アバターのデータ量を極限まで少なくしないといけないし、それなりに強力なサーバーを用意しなければならない。アバターのデータ量を少なくするということはポリゴン数を減らすということなので、リアルな人間よりも動物やアニメなどのシンプルな描画にしないと動かないということにもなる。従って「何でもできる」までには、まだまだ道のりは長いようでもある。


●自分   2022.4.11
昭和の人間は、まず「自分」という自我なりアイデンティティーみたいなものがあって、その自分を中心にして物事を展開する。だからメタヴァースの世界に「自分」の分身である「自分」のアバターが入っていくことに、すごく慎重になり、警戒をする。しかし若い人たちは、メタヴァースのアバターは、単なる3Dで動く動画のアカウントである。SNSのプロフィール画像(ネコであったりアニメであったり似顔絵であったりする)が動画になっただけのものだ。だからそこに自我とかアイデンティティーみたいなものはほとんど考えていない。バーチャルでの「自分」は、リアルな世界での「自分」とはリンクも共有もしていない。その場その場に応じて、いかようにもテキトーに変えて使っていて、いらんくなったら捨てる「使い捨て」の、いい加減で無責任なものなのだ。そもそもメタヴァースって2003年に流行って一瞬で消えた「セカンドライフ」と基本的には同じだろ。そういえばセントラルパークのベンチにパンツ一丁で座らせたまま置いてきたアバターは、あれからどうなったのだろうか。


●ライトアップ   2022.4.10
一昨日、政府はロシアの石炭輸入削減を発表した。電力の多くを火力に頼っている日本にとっても痛手であるはずだ。1日に供給できる電力が足りなくなりそうで慌てふためいていたのは、ついこのあいだの話である。それでなくてもCO2の排出量を削減しなくてはいけない時期に「桜のライトアップ」をしている自治体ってどうなのよ?LEDだから大したことないとか、そういう問題じゃねーだろ!やらなくてもいいことに電気を使うという行為自体が愚かなことだし桜は昼間見ればいいだろ!まあとは言えロシア軍は色々なモノを破壊したり燃やしたりしまくって大量のCO2を出しまくっているから、日本の火力発電所のCO2の排出量が少し増えたぐらいでは地球温暖化には全く影響しないから「桜のライトアップ」をしているのかな。


●逃げる   2022.4.09
「もしウクライナのように他の国が日本に侵攻してきたらどうする?」という質問に対して、昨日の高校生だけではなく、国民の多くも「逃げる」と答えることだろう。ではどこの国に?ということを考えれば、米国、台湾、韓国、欧州といったところを候補に挙げる人も多いことだろう。ではそういった国で通じる言語を話すことができるの?ということになるはずだ。日本人の語学力の低さは先進国の中でもトップクラスだろう。またICTスキルの低さもダントツだ。ついでに高齢者率の高さもダントツだったりもする。逃げてきた人を受け入れる場合は、それなりにその国にとってもメリットがなければならないはずだ。言葉が通じずICTもできない老人を、どこが受け入れてくれるというのだ。もっとも60歳を過ぎてから引っ越しをすると、新しい環境に馴染めず人はすぐに死んでしなう。と、昔言われた記憶がある。


●学生服   2022.4.08
「明日入学式なのに制服が届かない!」とムサシノ学生服に苦情が殺到し、結局100人の生徒に入学式までに制服が届かなかったとのこと。最初のうちは「製造が遅れてましてご迷惑をおかけします。店に届いたら連絡します」と対応していたようだが、だんだんと連絡がつきにくくなってきて、全く連絡が取れなくなり、サイトも落ちたとか。色々な要因が重なってこうなったらしいのだが、これを機に、本当に制服って必要なの?入学式ってリモートじゃだめなの?って考えてみたほうがいいのではないかな。ある高校で担任の先生が生徒に質問した。「もしウクライナのように他の国が日本に侵攻してきたらどうする?」これに対して生徒全員の答えが「逃げる」だったそうだ。逃げるってどこの国にだよ?ってことろまで考えが及んでないということだ。能天気お花畑もいいところだ。学生服の中でも「学ラン」は、海軍の士官が着ている軍服のデザインである。敵が攻めてきた→ 軍服を着た学生たちが我先にと逃げようとする。なんともチグハグで滑稽なシーンとなってしまうことであろうか。


●メモ.app   2022.4.07
macOS Montereyにバンドルされているアプリで「メモ」というのがある。使っている人が少ないであろう「スティッキーズ」の改良版みたいなものだろう。「メモ」は画面右下に常駐していて、画面右下にオンマウスで「メモ」のコーナーが顔を出し、そこをクリックでファイルが引っ張り出される。ちょっとしたメモに便利なアプリなのだろう。しかし問題は、全てがリッチテキストということ。つまりウェブページからコピーしたテキストを貼り付けると、デカい文字はデカいままになってしまう。視覚的にはそれでもいいのだろうが、データ的には標準(ナマ)テキストであってほしいものだ。ということで貼り付けたテキストをいちいち「本文」のサイズに戻していると、結局はテキストエディターを起動したほうが早いということになる。そういう意味ではWindowsの「メモ帳」のほうが優れているだろう。こと、テキストエディター系アプリに関しては、Macはユーザーに媚びすぎて、毎回使いにくいものになっているように思える。


● XE   2022.4.06
世界保健機関(WHO)は、オミクロン変異株の2つの派生型「BA.1」と「BA.2」の変異が組み合わさった「XE」と呼ばれるハイブリッド型について、これまでで最も感染力が強い恐れがあるとしている。英国で最初に確認された「XE」は、高い感染力で知られる「BA.2」を上回る感染力があるとみられているとのこと。「これまでで最も感染力が強い恐れがある」とのことでもある。なんだかだんだん分からなくなってきた。まるでWindowsのようでもある。こんどのはすごいぞ!と言いながら実は大したことなかったり、実際すごかったりする。でもってだからどうすればいいのかな?とりあえずはいつのも「万全のコロナ対策」をすればいいのかな?でもって人類は永久に1年に2回ずつのワクチン接種を続けなければいけなくなるようである。


●第7波   2022.4.05
日常を取り戻しつつある、という方向に無理やり持ち込もうとしているのではないか?実際に国内の感染者数は下げ止まりで、ここから減少していくという明らかな兆しは見えてない。隣の韓国では、ピークは過ぎたものの新規感染の平均報告数で世界でも最多となっている。ドイツ、フランスでも増加傾向にある。ホントに日常を再開していいのだろうか?再開したい人が大勢いることは分かる。再開しないとやっていけないことも分かる。今までの経験を活かし、慎重に再開していけば大丈夫であろうことも確かだ。しかしだ、それで第6波まで6回も失敗もしているのではないのかな。第7波は今まで以上に小さな足音で、ピンクパンサーのテーマに乗ってひたひたと忍び寄ってきている。のではないのかな?


●停戦   2022.4.04
停戦はできないだろう。仮に国家間で停戦協定が結ばれたとしても現場では単純に「撃ち方止めー!」となはならないはずだ。家族を殺され家を焼き払われたウクライナ兵がロシア兵に対する怒りや憎しみ、仲間や友人を焼き殺された(戦車で死ぬ場合の多くが蒸し焼きなのだそうだ)ロシア兵のウクライナ兵に対する怒りや憎しみ、いずれも「停戦だ?知らねーよそんなもん、あいつら絶対にぶっ殺してやる!」と思っているはずだ。怒りや憎しみが無かったにしても現場の兵士は命懸けで戦っているはずだ。殺さなければ殺される。撃ち方を止めたら相手が撃ってこない保証などはどこにもない。先に撃つのを止めたら撃たれる確率がどーんと増えるのだ。そして撃たれたときは死ぬということだ。死にたくなければ先に撃つのを止めないことだ。停戦協定が守られていない!って、そういうルールを守らないのが戦争のルールなのだ。


●ダブルスタンダード   2022.4.03
ダブルスタンダードでない人間などいない。人はその場その場に応じて都合の良い発言や行動を行う。周囲の状況は常に異なるわけであり、その状況に合わせるのは当然のことである。例えば電車で席に座っていて目の前に高齢者が立つ。そこで席を譲るときは、「自分は立っていても体力的に問題がない」「他の空いている席がない」「その高齢者がいかにも立っているのが辛そう」などの状況の時だ。逆に席を譲らないとそれば、「自分が1日中立ち仕事をしてきた帰りである」「他の空いている席がたくさんある」「その高齢者がいかにも健康そうで背筋を伸ばして立っている」などの状況の時だろう。それを「あいつは都合の良い時だけはお年寄りに席を譲るダブルスタンドアップだ!」と言われているようなもんだ。


●花見   2022.4.02
「大人数での長時間の花見は控えよう」って「大人数って何人からで少人数って何人のことだよ?」「二人って一人より大人数だから花見は控えなくてはいけないのか?」「長時間って何時間何分のことなのかはっきり言え!」ってもんだ。まあ、こういった言い方がやんわりとそれとなくルールを守らせようとしながら、言った方も聞いた方も責任を取らなくて済むという独特の文化なのだろうが、こういうのって外国人は理解できるのかな?とはいっても日本人でも10人程度の大人数で花見している連中もいるので、結局はリテラシーの低い連中だけが花見をするという負のスパイラルになっているのではないかな。ウクライナの人たちが地下鉄の構内にシートを敷いて寝泊まりを強いられている時に、桜の木の下にシートを敷いて飲み食いをしている。


●LGBTの生産性   2022.4.01
2022年1月に「同性カップルには子供を産み次世代に引き継ぐ可能性は有りません」とツイートしたのは東京都荒川区の区議。「レズビアンだってゲイだって、法律で守られているじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう。」とは2020年9月の東京都足立区議会の区議会議員による発言。「同性カップルは生産性なし」と月刊誌への杉田水脈の寄稿が炎上したのは2018年。これら一連の出来事が、もし2000年以前であれば、国内ほとんどの人が賛成したことだろう。逆に2040年頃だったら国内ほとんどの人から猛反発を食らうことだろう、というかこのような発言はしないだろう。そして現在であったとしても、アフリカや中東だったらほとんどの人が賛成し、欧米先進国であったらほとんどの人から猛反発を食らうことだろう。LGBTに関しては、日本はまだ途上国だから、国民の意識が「こなれていない」というだけのことなのではないのかな。



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