2022年10月



●ソーシャルディスタンス   2022.10.31
会議室では3人がけの机に2人、飲食店では4人がけのテーブルに2人、とコロナ収束後もソーシャルディスタンスを保つような配慮がされている場所も多い。これってもしかしたら、これから人口が減っていく日本においては、コロナは丁度良い出来事だったのかもしれない。仮にコロナがなければ「余ったテーブルや机をどう処分したらいいか?」とか「部屋の余剰空間をどうしようか?」という問題に直面していたはずである。そもそも今までが「密」過ぎたのであろう。人口が減れば、国民1人あたりが占有できる面積が増えるはずである。しかし今までの距離感を保とうとするとどうしても空間が余ってしまう。コロナはソーシャルディスタンスを保つという手段を通じて「国民1人あたりが占有できる面積が増えるんだよ」ということを教えてくれたのかもしれない。


●マスクを外さない   2022.10.30
欧米ではコロナが収束傾向にある前からマスクを外していた。アジアではコロナが収束傾向にあってもマスクをしている国も多かった。そして今ではマスクをしているのは日本だけと言っても良い。なぜ日本人はマスクをしているのか?ってそれはマスクをするのが好きだから、といいうかマスクをしているとカッコいいという概念があるのかもしれない。例えば遊戯王にはかなりの数のマスクドヒーローがいるし、キン肉マンにはロビンマスクやウォーズマンなどのマスクのヒーローがいる。そして古くは鞍馬天狗や月光仮面もマスクドヒーローであった。しかし鞍馬天狗は鼻マスクなので、これでは正しい感染予防にはならないだろう。ただし月光仮面は白でかマスクで完璧に鼻と口をガードしているし、サンブラスで目への飛沫防止もしている。また髪への感染も防ぐために頭に白タオルを巻いていて、もうその姿は医療従事者以外の何者でもない。だから月光仮面のおじさんに憧れた子供たちはコロナが収束してもマスクを外さないのであった。


●ツイ民   2022.10.29
今の若者はSNSを使いこなしている、と思っている大人も多いようだが、若者がtwitter、Instagram、TikTok、YouTubeなどを全部使っているわけではない。いずれもアクセス数を稼ぐためには頻繁な更新が必須だ。いくら若者でも複数のSNSを毎日のように更新することは困難である。従って1〜2つのSNSだけしか使っていない若者も多い。一応アカウントは持っていてもアクティブユーザーではないSNSも多いということだ。例えばインターネットではtwitterだけしか使わず情報の受信源と発信源はtwitterだけで、Yahoo! ニュースにもGoogleにもアクセスしないという「ツイ民」と呼ばれる人たちだ。もちろん彼らはテレビは見ない。それでも特段困ることはない、ということを知らない人が多いということの方が問題でもあろう。


●メールアドレス   2022.10.28
インターネットが普及し始める前の2000年以前にメールアドレスを持っている人は少なかった。そしてその少ない人以外の人のためへの連絡はファックスや手紙や電話とかで行うというのが一般的であった。そして2022年の現在でも、極めて稀に、とはなってきてもいるが、そういう迷惑な絶滅危惧種な人間も未だにいる。しかしそんなことは小さな問題である。もっと大きな問題は、メールアドレスを当たり前のように使っている人たちが、LINEやtwitterやInstgramだけで用を済ませて、メールアドレスを持っていない若者がたっくさんいるということを知らないということだ。


●四国   2022.10.27
関東や東北に住んでいる人に「四国4県を言ってみて?」と言われて、スラスラと言える人は少ないだろう。もちろん知らないわけではない。一つ二つは急に思い出せないだけだ。さらに香川と徳島が、若干愛媛と高知を見下していることなどは知る余地もない。しかし岩手県の人は、四国4県の名前を言えないにもかかわらず「岩手県は四国4県を合わせたよりも面積が広いんだ!」と威張っていたりもする。


●フォロワーシップ   2022.10.26
私はリーダーシップがとれる人間だ!と思っている人の多くが、実はリーダーシップに長けているのではなく、周囲の人間がフォロワーシップに長けているだけのことであったりもする。そして「私はリーダーシップがとれる人間」と思っている人の多くが、全くフォロワーシップがとれなかったりする。全てにおいて、自分が自分がで、自分が決定権を持っていて、自分がトップダウンのトップにいないと気が済まなかったりする。しかし「私はリーダーシップがとれる人間」と思っている人の多くはそのことに気付いていない。そして、気付いていないままにしておいてあげたほうが世の中色々と上手くいく。


●大河ドラマ   2022.10.25
大河ドラマは欠かさず見ているという高齢者は多い。大河ドラマは一度も見たことはないという若者も多い。では若者はなぜ大河ドラマを見ないのだろうか?歴史の勉強にもなり旬な芸能人も出ているだろうに。若者が大河ドラマを見ない理由は。①展開が遅い。②台詞の蘊蓄がくどい。③顔のアップが多すぎる。④戦いのシーンが少ない。⑤進行が学芸会的。⑥カツラの継ぎ目が目立ちすぎ。⑦立ち回りで血が出ない。⑧1.5倍速や2倍速で見られない。⑨スキップができない。⑩そもそもテレビは見ない。などなどの理由があるようだ。で、今の若者が高齢者になったら見るのか?といえば答えは「ノー」だろう。ということでテレビ離れをした若者は、もう絶対に戻ってこられない位置まで離れてしまっている。「テレビを見ている人」というものがもはや歴史上の過去の人なのであろう。そーだ、その「テレビを見ている人」をテーマにして大河ドラマを作れば良いのだ。60秒に編集して。


●卵   2022.10.24
卵は無精卵で無い限りは順調に行けば孵化する。台風の卵はいずれ気圧が1000hPa以下になることなどが予想される場合に卵と言われるが孵化はしない。人間は卵生ではないが、医者の卵とか弁護士の卵とか役者の卵とか画家の卵とかがいて将来世の出て羽ばたくことを期待されている。医者の卵とか弁護士の卵は、恐らくその国家資格を得るために勉強中であり、将来医者や弁護士になる可能性は高いのだろう。しかし役者の卵とか画家の卵というのは国家試験があるわけではないので、将来、食っていけるだけのスキルを備えた役者や画家になれる可能性は低いだろう。スキルは卵のレベルであるにもかかわらず、自分では一丁前の成鳥のつもりでいるから仕事が来ないのだよ。と、その時点で自分が卵であることを察しろよ。まぁ確かに卵と呼ぶには、歳、喰い過ぎだけどね。


●プレゼン   2022.10.23
人前で話をするのは恥ずかしいし緊張するし頭の中が真っ白になったりもする。最初は誰でもそうだ。最初からいきなり人前で流暢に話ができる人などいない。要するに場数と経験だ。しかしここ2年間のコロナ生活で子供たちは人前で話をする機会がなくなった。そして対面でのプレゼンをやらせると、「プレゼンした」という事実よりも「晒された」という被害者意識のほうが強くなるようだ。場合によってはプレゼンを強要されたというパワハラを受けた、ということにもなりかねない。そんなことでは、これから先、社会人になった時にやっていけないのではないか?とも思うが。まぁ、いいか。これから先、社会人になった時には、プレゼンテーションはアバターがやってくれるのだろう。


●イギリス   2022.10.22
イギリス、スウェーデン、デンマーク、オランダ、日本、タイ、クウェート、UAE、マレーシア、オマーン、スペイン、サウジアラビア、ベルギー、カタール、カンボジア、ブータンの共通点は?もう少し分かりやすく絞ると、イギリス、日本、タイ、ブータンの共通点は?そう、独立国における君主(国王や皇帝など)が存在する国家である。上記の他、バチカン、モナコ、 リヒテンシュタインなど、全32カ国が君主を置いている(2022年9月現在)。 思ったより多いと感じた人も少なくないことだろう。では、オーストラリア、 カナダ、ジャマイカ、 ニュージーランド、パプアニューギニアの共通点は?というと、イギリスの君主を国王とする国家である。全部で14カ国あるとのこと。これらの国家にとってはイギリスのチャールズ3世が国王ということになる。チャールズ3世の充て職の多さと規模はさすが大英帝国である。


●勉強のできるお子さん   2022.10.21
「勉強のできるお子さんの親っていいですよね!」ということを恥ずかしげもなく口に出す保護者が今の時代にもいるらしい。子供は放っておいて勉強ができるようになるわけではない。勉強ができるというのは血統でも遺伝でもない。親の努力と工夫なのだ。勉強の楽しさや達成感を何度も教え、勉強のしやすい環境を提供し、時には子供と一緒になって問題を解く。そんな努力と工夫の積み重ねによって子供は勉強ができるようになるわけだ。「勉強のできるお子さんの親っていいですよね!」→「うちの子供は勉強ができない」→「私は努力も工夫もしないバカ親です」と言っているようなもの、だから口に出したら恥ずかしいのであった。


●ロシア・ウクライナ戦争   2022.10.20
ロシアは勝手に主権国家であるウクライナに侵攻した。これはどう考えてもロシアが一方的に悪いということになる。しかしこれだけ「一方が明らかに悪い」と報道されているのは珍しいことではないのだろうか?例えばイスラエルvsパレスチナ、アルメニアvsアゼルバイジャン、ボスニア紛争やイラク戦争、フォークランド紛争などでも戦争が勃発したことは報道されても、どっちが悪いとかどちらかを応援しよう、という報道はされなかったように思う。そう考えてみると、今回のロシア・ウクライナ戦争は、明らかに西側諸国とともにウクライナ側についてウクライナを応援しなければならない国家的な事情があるようだ。朝鮮戦争当時、日本はGHQに仕切られていたので、GHQによるマスコミ操作も含めて日本は南側(米側)を応援せざるを得なかった。この当時と同じような雰囲気なのではないだろうか?だからといって、ニュートラルな視点でみることはできない。やはり「ウクライナ頑張れ!」ということになる。


●第8波   2022.10.19
お約束通り「第8波」がやって来る。「もう勘弁して欲しい」「いい加減にしろ」と思う人も多いことだろうが、相手はウイルスなので聞く耳は持たない。もはや8回目なので人類のほうも慣れてきた感もある。しかし毎度毎度感染者数が収まってくると「これで収束」と勝手に思い込んでいたところに次の波がやってくる、の繰り返しである。用もないのにあちこち出かけたがる人間がいなくならない限りは「収まってくる→次の波がやってくる」の繰り返しは恒久的に続くのだろう。まあ「第8波」がやって来たところで、背筋が凍りつくような恐怖を感じる人も少なくなってきたようだ、慣れてきたし。しかしどんなに慣れてきても感染者数が増えれば死者も増える。そしてその死者に自分がなるとは思っていないところが、なんともおめでたい人類という生き物でもある。


●金太郎   2022.10.18
桃太郎、浦島太郎、金太郎の中で、金太郎だけは、そのストーリーを覚えている人は少ない。簡単に説明すると「金太郎という力持ちの男の子がいて、ある日立派なお侍さんがやって来て、金太郎の強さに驚き都へ連れていくことにした。その後金太郎は立派なお侍さんになった。」とのこと。また金太郎は熊と相撲をとったのは知られているが、足柄山の池に住むコイと戦ったことはあまり知られていない。さすがの金太郎も池の中に住むコイにはかなわないと思ったとのことだが、最終的には勝ったそうだ。そして立派なお侍さんになったあとには京の都で暴れる「酒呑童子」という鬼を退治したとのこと。金太郎は鬼退治もしたのである。金太郎には実在した坂田金時というモデルがいて、その息子の坂田金平が「きんぴらごぼう」の語源となったという説もあるそうだ。そして今でも金太郎という名前だけは一番覚えやすいようで、色々なところで使われている。サワリーマン金太郎 、女性お笑い芸人のキンタロー、RIZINの格闘家の金太郎などだ。ただし格闘家の金太郎は本物の金太郎ほど強くはないようだ。


●Facebook   2022.10.17
twitter、Facebook、Instagramの中で最もネット上で反応が薄いのがFacebookのようだ。とりあえず「いいね!」は付く。しかしそれ以上の進展はほとんど無い。投稿された記事を読んで「いいね!」するのではなく、誰の投稿かも見て読まずの「いいね!」する。これ逆に自分が「いいね!」をもらうため(「いいね!」返し)だけが目的でもある。だから商品やサービスの告知やPRに利用するならばtwitter、Instagramのほうが効果的なようだ。Facebookの利用者は高齢化が進み、自分の投稿は読んで見てもらい「いいね!」をもらいたいものの、他人の投稿に興味を示さないという人の割り合いが増えてきて、今ではもはや「おっさんとおばさんの自慢大会の場」になってしまっている。twitterも何かと危ういが、Facebookもそろそろ利用者が減って、いずれはなくなるのではないのかな。2011年には誰もmixiがなくなるとは思っていなかった時のように。


●野党第1党   2022.10.16
自民党を支持する人の理由でもっとも多いのが「他の党よりマシだから」である。これが圧倒的に多いようである。この結果を見てみて野党第1党は何を思うのだろうか?早いハナシが「お前らよりマシ」っていうことだ。今の自民党も相当に危なっかしいが、それでも「お前らよりマシ」って言われてる野党第1党って何なのよ?少しは恥ずかしいと思えよ!ってもんだ。実現性の超希薄なシャドーキャビネットしか作れない状態で、ピーチクパーチク文句ばかりを言っていて建設的でも刷新的でも未来的でも無い。あ、そっか。政権を取れる可能性が無い分、伸び伸びと自由に文句を言っているだけで議員報酬がもらえれば、それでOKってことか。それなら分かるわ。ただし文句ばかりを言っているところがマスコミでもクローズアップされているが、実際には政府提出法案の8割に賛成しているとのこと。賛成しているところのシーンではニュースとして面白くも何ともないことも確かであろう。議会の大半の時間は粛々と進行していて、これは0対0で進行している野球の試合のようで見ていても面白くないはずである。であればタマに点が入ったシーンだけを大袈裟に伝えるマスコミの心理も分かるというもの。


●鶴亀   2022.10.15
鶴亀は長寿の象徴でおめでたい生き物だと思っているのは日本人だけだ。鶴は、北欧やロシア、ウクライナなどでは「死を運ぶ鳥」であり、「ケルト神話」では殺戮を好む神、エススと一緒に鶴が描かれるなど「不吉な鳥」の象徴となっているそうだ。 また、亀は中国では「悪魔の使い」とされており、亀の描かれたものは嫌われるとのこと。地域が変われば文化や価値観が変わるのは、当然のことである。にもかかわらずウクライナに千羽鶴を送ろう!などとほざいている日本人が今でもいるというのは情けないハナシだ。もっとも折り紙の鶴が、動物の鶴を表しているものであるということは、その形状から連想はできないだろうが。


●ウンコの重さ   2022.10.14
「ウンコの重さを教えろ!」と命令され、便所に行って洗面器にウンコを出して、秤に乗っけて重さを計る。「あ、これでは洗面器の重さも含まれてしまう!」ということでウンコを新聞紙にそおっと移して、洗面器の重さを引くために、洗面器の単体の重さを計った。そして「くそー!ウンコを入れる前に洗面器の重さを計っておけば良かったぁ」と悔やんだ。いやいや、ウンコする前の体重から、ウンコした後の体重を引けばいいだけなのにね。


●デジタルとアナログ   2022.10.13
今どきの大学生のレポートで「それは違うだろう」というものがいくつかある。①スマホとケータイは別のもの。→スマートフォンは携帯電話の一種だとは思っていない。②一眼レフカメラは全てアナログだと思っている。→確かにスマホのカメラは全てデジタルではあるのだが。③家デン(固定電話)と黒電話は別のもの。→黒電話は固定電話の一種だとは思っていない。④腕時計は全てアナログだと思っている。→デジタルなのがアップルウォッチ。という具合に昔の機械は全てアナログ、というように分別しているようである。例えばDV(デジタルビデオテープ)とかDATとか、デジタルとアナログのハイブリット的なメディアを正確に理解したところで、これから先の人生において使用することは絶対にないのだから理解して覚える必要もないのであろう。


●学校の先生はSNSを使わない   2022.10.12
学校の先生はSNSを使わない(という人が多い)。なぜ使わないのか?それは匿名性が高く、相手が誰であるか分からない場合が多いからだろう。教室の対面授業であれば先生と生徒の区別ははっきりしているし、その立場が入れ替わることもない。しかしSNSでは、参加している人間は基本的に平等である。教室の対面授業での生徒が、先生に対して批判、否定、反論、説教、恫喝、したりすることもできる。と、これって先生にとっては我慢できないことであろう。面目も沽券もプライドもあったものではない。で、結局は頭に来た学校の先生はSNSを使わなくなって、生徒から「おっくれてるぅー」と言われるようになってしまうのであった。


●静止画像(2)   2022.10.11
世の中の我々の身の回りにあるものの全ては動画である。静止画像は人類が文字や絵を書くようになる以前は存在しない概念であったはずだ。現在そんな中で、動画に比較すれば遥かに少ない情報量しか持ち合わせていない静止画像を参照しながら、あーでもないこーでもない、と理屈を捏ねている人たちを見ると「なんだかなぁ」という気分にもなるというもの。永久に流れている時間という中での1瞬を切りとったデータが持ち合わせている情報量は微々たるものだ。そして切り取った1瞬はその瞬間から過去のモノになる。時間の流れる速度に従ってどんどんと陳腐化していく。Instagramのアップした静止画像に「いいね!」がつくのはせいぜい24時間以内である。その後は誰も見ない陳腐化した過去のモノになってしまうのだ。だからストーリーズがあるのだろう。


●静止画像(1)   2022.10.10
世の中の我々の身の回りにあるものの大部分は立体(3次元)である。2次元のモノなどは人工物を除けば皆無であろう。人類が文字や絵を書くようになる以前は、地球上の全てのモノが3次元であったはずだ。現在そんな中で、3次元に比較すれば遥かに少ない情報量しか持ち合わせていない2次元の静止画像を参照しながら、あーでもないこーでもない、と理屈を捏ねている人たちを見ると「なんだかなぁ」という気分にもなるというもの。2次元の静止画像は3次元の立体の物体のほんの1瞬を切りとった、非常に儚い希薄なデータに過ぎないのだ。


●潔く   2022.10.09
例えば1分の動画を作るとき、色々なシーンを何本も撮り、そのシーンを厳選してさらに不要な部分をカットして編集して繋げる。そのときに「色々なシーンを何本も」を、いかに多く撮影しておくかが、最終作品のクウォリティに比例する。写真でも同じだ。撮影した枚数が多ければ多いほど、最終的に選ばれる「奇跡の1枚」が、よりクウォリティの高い「奇跡の1枚」になるわけだ。アイディアも同じだ。いかに多くのアイディアを出すかが、最後に選ばれるアイディアが、斬新でユニークで画期的なものになることへ繋がる。しかし多くの人は最初に思いついたアイディアが「素晴らしい」ものと思いこみ、そのアイディアに執着してしまうために、次のアイディアが出なくなる。アイディアも写真も動画のシーンも、いかに潔く今作ったものへの愛着を捨てて、次のステップに移行できるかがスキルアップのポイントとなろう。ま、そうは言っても、人間は子育てをする以上、それは無理な話しなのかもしれない。自分の子供は無条件で可愛いのであった。


●NFT   2022.10.08
メタヴァースはNFT抜きでは語れないだろう。NFT(Non-Fungible Token・非代替性トークン)には限りない可能性があると同時にまだまだ情報が錯綜していてそのスキームも確立されていないといったところだろう。その流れの速さと情報量の多さとその錯綜し具合と難解さは「インターネット」や「3Dプリンター」に匹敵、いや暗号資産とかを含めて考えればそれ以上かもしれない。これだけ流れが早いと「論文」などは追いついていけない(推敲している間に状況は刻一刻と変化してしまう)だろう、と関係者は言っている。いや、雑誌の記事でさえ印刷するころには、その多くが「古い情報」になっているはずだし、ホームページですら更新が追いついていけないような状態のようだ。おそらくこれからの時代、デジタルコンテンツ、というか2次元のコンテンツを作っている人にとってはNFTへの公開は必須となってくるであろう。にもかかわらず「インスタってよく分からな〜い」と言っているようでは周回遅れもいいとこだ、ということを自覚しよう。


●イヤホン   2022.10.07
Bluetoothイヤホンで音楽を聴きながら街を歩いていると、声をかけてくる高齢者がいる。道を訪ねてきてることもあれば、単なる挨拶だったりもする。街だけではない。郊外でも住宅地でも、スーパーやコンビニの店内でも、役所や学校の中、家庭内でも、高齢者は声をかけてくる。耳にイヤホンが挿さっているのは見ればわかるはずであり、イヤホンが挿さっているということは何かを聴いている、ということは容易に想像がつくだろう。しかしそんなことはお構いなしだ。まあ、そもそもコードレスのイヤホンがあることも知らないし、歩きながら音楽を聴くという文化が無いのだから仕方もあるまい(歩きながら音楽を聴くという文化ができたのは1979年のことだ)。つまり高齢者が話しかけてくるのは「この人は立派な補聴器をつけているから声をかけても聞こえるはずだ」と思ってのことなのだ。


●テレビ   2022.10.06
今の若者はテレビを見ない。老人だけがテレビを見ている。つまり老人が死に絶えたときには誰もテレビを見なくなるわけだ。いや、今の若者も老人になればテレビを見るようになるかって?というと、それは無いだろう。若者はYouTubeの動画を1.5倍速とか2倍速で、さらに不要な部分をスキップしながら見ている。テレビではそれができないし、あのまったりとした展開の遅さには今の若者は付き合ってはいられないはずだ。若者がテレビから離れていく。すると各局は残された老人向けのパイを奪い合うことになる。テレビというシステム上、構造上の問題で、もはや若者向けのコンテンツは作れないのだ。それでなるべく多くのスポンサーをつけるために、やたらとCMのオンエアー時間が長くなるという悪循環が発生する。だったらいっそのこと番組は流さないで1日中CMだけを流しておけ!ってもんだ。CMだけであればテンポ的にも若者向きでもあるしな。


●誰得   2022.10.05
敷かれた線路の上だけを走る人間は、線路を敷いた人間の苦労を知らない。童謡・唱歌「線路は続くよどこまでも」では「楽しい旅の歌、歌おうよ〜♪」と和訳ではなっているが、原曲の歌詞では「I've been working on the railroad All the livelong day」というように、線路の工事現場で働く労働者の嘆きの歌である。線路を敷いた人間もタイヘンであったようだが、そのタイヘンさは線路の上を走る人間の移動が楽になったことで還元されているが、楽になった分、いざ線路から脱線したとき、川から陸に釣り上げられた魚のように、ジタバタと踠き苦しむ。そうなると誰得?ってことだ。産業革命以降の人類が開発した文明の多くは、突き詰めて考えてみれば、誰得ってことになるようだ。


●靴   2022.10.04
靴のセールスマンが二人、アフリカで靴をセールスしようとした。二人はアフリカの人の足元を見て思った。ひとりは「ここは裸足の人しかいない。これでは靴は売れない」。もうひとりは「靴を履いていない人がこんなにいる。これは売れる」。というのは有名な話。ではその後アフリカの人たちは靴を履くようになったのだろうか?ネットで調べてみても「世界の靴の普及率」的なデータは見つからない。確かにフットウェアを含めた靴系の普及率なんて調べようもない。あるのはブランドごとの売上高ぐらいである。そして実際にはまだまだ靴(サンダル等を含め)を履いていない人はすごく多いのではないかと想像する。貧乏で買えないのか、そもそも履かなくても不自由ではないのかは分からない。しかし、交通事故でぐちゃぐちゃになった死体の破片を素手で掻き集め、アスファルトの上で裸足で頭陀袋に入れている現地の作業員を見ると「履かなくても不自由ではないのだろうな」と思う。


●会議   2022.10.03
会議をする。色々な意見や提案が出る。参加者が白熱してくる。エキサイティングで有意義な会議になる。予定時間を大幅にオーバーしてやっと終わる。終わってみればどうということはない。例年通りの内容で、多少の問題点に対応するという、極めて当たり前の結論となった。「これだったら、あんなに時間をかける必要ないじゃん」と思うかもしれないが「議論した内容が会議の参加者全員にとって必ず次回に繋がる有意義なものになったはずであり、決して無駄な時間を費やしたわけではない!」と議長は言う。が、それは違う「結局みんな実績がないことはビビって実行できないだけであり、理想は言うが実行はできない」ってことじゃん。これは次回の会議でも同じでしょ。だったら最初から「例年通り」としてしまえば「あんなに時間をかける必要ない」ということだ。会議をしている自分たちが、あたかも一生懸命仕事をしているように見える、と思ったら大間違いだ。


●盗みは犯罪   2022.10.02
セキュリティ、プライバシー、著作権、といったようなものは理解もしていないし、学校で教わってもいない。そういう人たち(主に高齢者)は、本人の承諾無しに、他人の写真を平気でバシバシ撮ったりしている。注意したところで何が問題なのかは感覚的に理解していないし、ネットにアップすることもないだろう、ということで放っておくしかない。事細かに噛み砕いて説明したところで「そうかい、住みにくい世の中になったものだ」とか言うだけで、その行為を止めようとはしない。ちゃんと子供のころに「人のモノを盗むのは犯罪なんだよ」と教わっていないのだから、まぁ、しょーがないか。


●上達   2022.10.01
例えば絵が上手くなりたいから有名な画家の先生の絵画教室に通う。としてもだ、そんなことで絶対に絵は上手くならない。小手先の筆遣いや絵の具の塗り方は、多少は上達するかもしれないが、基本的な描写力や観察力や客観的な判断などは、できるようにはならない。例えば野球が上手くなりたいからイチローの野球教室に通ったところで、プロにはなれないのと同じであろう。もし試合に出てホームランを打ちたいのであれば、筋トレや素振りやトスバッティングなどの基礎練習を、死ぬほどやることだろう。そうすれば草野球でホームランが打てるかもしれない。しかしそこからプロになるには、また遥かに高いハードルがある。ということは誰でも知っていることだろう。 しかしスポーツではない、いわゆる文化部的な習い事では、この基本的な部分をやらないでも済む、となんとなく思っている人が多いことには驚く。どんなことでも、一流になるには、それ相応の「血のでるような努力」を必ず伴っているのですよ。ちなみに「血のでるような努力」とは、同じことを繰り返すのではなく、同じことを繰り返しながら改善してスキルアップしていくことなのですよ。



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