2022年11月


●高度成長期のツケ   2022.11.30
1955年〜1972年あたりまでの高度成長期には異常な速さで日本の経済やインフラが発達した。そして60〜70年経った現在、そのツケは異常な重さで日本の経済やインフラにのしかかっている。全国各地で多くの箱モノが経年変化で劣化してその寿命を迎えようとしている。公共施設ならば国や自治体が何とかするだろう。しかし私有の箱モノは建て替える予算も、解体する予算も無ければ、維持を続ける人間もいなくなってきている。そして後を継ぐ者がいなければ、朽ちるがままに放置される。ということを避けるためにSDGs(持続可能な開発目標)が掲げられているが、SDGsとかやる前に、今目の前にある高度成長期のツケをどう処理するかを本気で考えなければいけないのだろう。そっか、どう処理するかを本気で考えるとんネガティブ思考になってしまうから、SDGsというポジティブな思考のエサをぶら下げているのだろう。


●自称写真家   2022.11.29
自称写真家を語る人間は多い。高いカメラさえ持っていればプロっぽく見えるからだ。もちろん優秀で芸術性の高い写真を撮る写真家もいる。しかし町の写真屋さんは優れた職人ではあるものの芸術家ではない。地域の写真展で入賞したからと言って芸術家になったわけではない。カメラや写真に関しての多くの知識を持っているからといって芸術家になったわけではない。他人の持っているカメラを見て「そのカメラでは良い写真は撮れない」とか言っている自称写真家は明らかに3流だろう。本当に優秀な写真家であれば、レンズ付きフィルムでもガラケーでもポラロイドでも魅力的な写真が撮れるはずだ。もっとも高機能で優れたスマホがこれだけ出回ってくきて、ARによる合成技術が進歩してくれば、いずれ自称写真家の仕事もなくなるだろうけどね。


●興味の無い人   2022.11.28
世の中サッカーWCの話題で持ちきりだが、サッカーに興味の無い人もいる。2002年当時、日韓WCの決勝トーナメントのトルコ対日本の試合の中継を、取引先の営業担当者の車に乗せてもらって聞いていた。日本が0-1で負けて「負けちゃいましたね」と言うと、その営業担当者は「でもまだ1試合あるんでしょ」とのこと。もちろん決勝トーナメント(ノックアウトステージ)なので負ければそれで終わりである。「ああ、この人はそもそもサッカーに興味が無いんだな、私が同乗していなければ、きっとサッカー中継も聞いていなかったんだろうな」と思ったものである。1980年代の話。ドラマ「北の国から」のことを熱く語ってくる人がいた。「感動しましたよね?」と聞くので「観てないから分からない」と答えると。目を丸くして「えっ」と言ったまま固まった。「観てない人が世の中にはいるんだ??あんなに面白いドラマを??」という顔をしていた。というのを思い出したものだ。


●解説者   2022.11.27
サッカーWCを観ていると色々なサッカー解説者が登場してくる。昔の日本代表だった選手やJリーグの監督だったりもする。しかし結果論ばかり言っている解説者にはいささかうんざりする。野球の解説者でも結果論得意の人も少なくないが、サッカーの場合はプレーヤーと違って解説者は俯瞰的な視野で試合を観ている。同じ平面上でプレイしているプレイヤーにしてみれば、「そこは直接打っても良かったでしょう」とか「左に余っていたのでパスで良かったでしょう」とか言われてもねぇ〜、とか思っているプレーヤーや監督コーチも多いのではないのかな?


●やらない理由   2022.11.26
例えばtwitterやInstagramなどを、自分は「なぜやらないのか?」を切々と説明する年寄りがいる。一度やってみて色々な問題があって止めたというのなら分かる。しかし最初からやりもしないで、又聞きの情報だけでもっともらしいことを切々と語っても説得力は1ミリもない。正直に「展開の速さについていけない」とか「昭和に無かったものには対応できない」とか言えよ。20年前、パソコンやインターネットを、自分は「なぜやらないのか?」を切々と説明する年寄りがいた。正直に「パソコンができない!」と言えばいいものを、「ブームが過ぎれば誰もやらなくなる」とか「個人情報が世界中に漏れる」「ウイルスに感染したくない」などと根も葉もないことをの曰っていたのを思い出す。そして彼らは絶滅寸前には「パソコンやインターネットが無くたって生きていける!」と開き直り、今では完全に絶滅した。まぁ20年前年寄りだから放っておいても絶滅したのではあるが。


●天邪鬼   2022.11.25
いつの時代にもどんな場所にもある一定数の天邪鬼というものが存在する。サッカーWCで日本がドイツに歴史的勝利をおさめた後にも、この天邪鬼たちが湧いて出てきた。「日本が勝ったからといって消費税が下がるわけではない」とかいうのが彼らの言い分だ。天邪鬼とは、ひねくれた性格という意味のことで、 人の意見に反対したり人からの称賛を喜ばなかったり、などの態度をとる人のことであり、故意に間違った答えや自分の本心とは違う言葉を言ったりすることだ。誰しも反抗期やイヤイヤ期にはこの天邪鬼になる傾向がある。しかし大人になってもこの天邪鬼が治らないというのは自分に問題があるということに気がつかないらしい。とある左系の市議が「オレは体制のやることには基本的に反対だが、サッカーだけを別だ」と言って日本代表が君が代を歌うのをテレビに食いついて観ていた。「あぁ、そういう理屈で自分の精神に折り合いを付けているんだなぁ」と思ったものだ。


●質問権   2022.11.24
旧統一教会に対する「質問権」の行使を 文部科学省が発表した。「質問権」は、宗教法人に法令違反などが疑われる場合、運営実態などについて報告を求めたり、質問したりできるもので、オウム真理教による一連の事件を受けた法律改正で平成8年に施行されたとのこと。つまり質問する権利が与えられたというだけのことである。ということは質問に対する回答に問題がなければ解散命令することはできない。という、ここまでに至る経緯は公に報道されている。ということはだ、旧統一教会側にとっては敵の戦略が筒抜けになっているのも同然で、「質問権」が行使された場合の対応の準備をするには相応の準備期間が与えられてきたということで、資料の償却、隠蔽、捏造などもできたということだ。ボクサーは相手が殴ってくるのが分かっている場合のダメージは少ないが、不意をつかれて殴られた時のダメージは大きいそうだ。旧統一教会に対しては抜き打ちでのガサ入れをすべきであったのだろう、と思っている人は多いのではないか?


●一人称   2022.11.23
何人かの人が集まっての雑談。すると人が何か話すたびに「私、行ったことな〜い」とか「あ、それは私、苦手!」とか「え?知らなーい」とか反応するヤツがいる。誰もアンタのことは聞いてないのだよ!、人の話は黙って聞けよ!、てなもんだ。そういう人って、たぶん家庭内で話をすると、家族全員が耳を傾けてくれる暖かい環境で育ってきたからそうなってしまったのだろう。そしてそういう人たちの傾向としては、会話の中に「私は」「ボクは」という一人称が頻繁に登場する。きっと世の中の中心は私でありボクなのであろう。また「○○は」(○○は自分のファーストネーム)を使う人もいる。もちろん家庭内や知人同士であれば問題はないが、初対面の人に対して「○○は」を使われると、まずその主語は何のこと?と疑問に思うし、それが自分のファーストネームだと分かった時には「なんという自己中!」と思われることだろう。しかし会話の中で、ついつい油断して心を許してしまった場合にうっかり使ってしまったというケースもあるみたいだ。これはとっても恥ずかしい。。


●NHK「紅白歌合戦」   2022.11.22
紅白出場歌手に批判が相次いでいる。もっともこれだけ価値観が多様化している中でどんな人選をしたところで批判されるのは当然であり、逆に最も批判されないであろう人選をするとコンセプトが不明確になり、番組そのものの存在意義も揺らいでくるのだろう。いっそのこと止めてしまったほうが良いとも思うのだが、「毎年楽しみにしている」受信料を払っている視聴者(主に高齢者)もいるので止められないのだろう。そもそもが男女で紅組白組に分けてそれを「紅白」と呼ぶとこ自体が時代にそぐわないし、実際にウクライナで戦争が起きている中「合戦」という言葉を使うのも無神経だろう。だからといって番組名を変更するようなことになったら、これまた批判の嵐に晒されることになるだろう。ということで雪隠詰めのようにも見えるNHK「紅白歌合戦」なのであった。


●必要以上に立派なホームページ   2022.11.21
地域の中小企業や小規模店舗のホームページ。なんでこんなに立派でコンテンツ過多なホームページが必要なの?というデザインのものを多く見かけるようになってきた。利用者はとりあえず住所と連絡先など最低限の基本情報以外は見ないし必要も無いのだよ。トップ画面にスタッフの集合写真のスライドショーとか、やたらとコンセプチュアルな蘊蓄は誰も見ないのだよ。と、まあホームページ制作業者の言う通りに作ってしまったところがこうなったんだろう。月々の更新管理費やサーバー使用料だって安くはないはずだ。地域の中小企業や小規模店舗の事業主は「利用者は最低限の基本情報以外は見ない」ということが、自分がインターネットを利用しないから分からないのであろう。事業主は、はったりでもいいから高いクルマに乗らなければいけない、という昭和の遺伝子を受け継いでいるらしい。


●W杯カタール大会、日本代表はどこまで勝ち上がると思う?   2022.11.20
予選敗退が79.8%、ベスト16が9.4%、ベスト8が5.6%、というのがYahoo! ニュースの63,780人(19日18時現在)の投票結果である。なんという冷静で妥当な結果なのだろう。FIFAランキング上位の2チームのドイツとスペインが予選を通過する(日本は予選敗退)というのは極めて一般的な予想結果であり、そうなる確率が最も高いということだ。英国のブックメーカー「ウィリアム・ヒル」による15日時点の優勝オッズは、ブラジルの5倍が最も低くなっている。アルゼンチンが6倍、連覇に挑むフランスが7.5倍、イングランドが8倍、スペインが9倍、ドイツが11倍で続く。日本は251倍で、出場32チームのうち開催国のカタールや韓国らと並んで24位タイとなっている。ということははぼ予選敗退が決定していると言っても良い。もちろん実際にやってみないと結果は分からないが、こういった冷静で的確な予想があるにもかかわらず、何とテレビの予想の楽観的なこと。もと日本代表の選手でさえ「日本はベスト8進出できる!」とテレビ局に言わされている。もっとも「日本は予選敗退!」などと言ったら視聴率が下がると思っているのだろう。いや、実際に視聴率は下がるのだろう。テレビを見ているのは、そういうオメデタイ人たちなのだから仕方がない。


●対面でのコミュニケーション   2022.11.19
高齢者はネット越しではなく対面でのコミュニケーションを強く望んでいる。対して若者はネット越しのコミュニケーションを望んでいるかというとそうではない。対面だろうとネット越しだろうとどちらでも受け入れるのだ。それぞれのメリットもあればデメリットもある、ということを踏まえて使い分けているのだ。高齢者は「若者は何でもインターネットを使いたがる!」と思っているようだが、若者は、例えばAmazonや楽天で全ての買い物を行っているわけではない。「普段着はネットで買うが、勝負服はリアルな店舗で買う」と大学生が言っていたのは10年前のハナシである。その大学生は今では会社の管理職であり、立派な社会人だ。対面でのコミュニケーションを強く望んでいる高齢者は10年前から頭の中身は高齢者であったのであった。そしてこれからも高齢者のままであり、高齢者のままで死んでいく。


●NFTでの肖像権   2022.11.18
NFTでは有名人の写実的な似顔絵作品が数多く公開され販売されている。同じことをAmazonでやったらアウト!だろう。そもそも肖像権の侵害は、被害者による告訴がなければ公訴を提起(起訴)することができないと定められた「親告罪」であり、どんなに似ている作品でも公訴を提起されない限りは大丈夫であるが、逆にどんなに似ていない作品(へのへのもへじであっても)でも公訴を提起される可能性があるということになる。とは言っても、広く公開されている有名人の写真をそのまま写実的に描写して似顔絵作品であれば、提起された場合は敗訴する可能性は高いように思える。しかしNFT自体が一般への普及率がまだまだ低いために見つからない可能性も高いのだろう。また仮想通貨での取引が収益行為に当たるのか?なども含めて法整備されるのは、これから先のことになるだろう。つまり無法地帯の今であれば売り逃げが可能であるのかもしれない。過去に遡って起訴される可能性もないわけでは無いので、おすすめはできないが。


●スマホの使い方   2022.11.17
中国で交通事故が起こる。交差点でバイク同士が衝突し双方のバイカーが倒れて動かなくなっている。多くのクルマやバイクや自転車や歩行者が、その事故現場を避けて通るが誰も倒れている人に駆け寄ったり、警察に電話したりしない。何事も無かったかのように倒れている人とバイクを避けて通り過ぎていく。やっとのことで通り過ぎた何台目かのクルマが路肩に停まり、おっさんが降りて事故現場に駆け寄る。そして負傷者を介抱すると思いきや、事故現場をスマホで撮影してクルマに戻ってその場を去っていった。下手に負傷者を介助したりすると加害者と疑われかなない、というのも理由の一つかもしれないが、基本的には「自分のことっきゃ考えていない」ということだろう。スマホを持ってくるなら撮影する前に電話しろよ!ってことだが、電話してると思いきや、LINEでボイスメッセージを録音して友達に送っていたりするのでもあった。


●スマホを多用   2022.11.16
仮想通貨、暗号資産、メタバース、NFT、Web3.0などなどの世の中の確実に訪れるはずの新しい流れ。これらに高齢者はついていけない。高齢者に限らずNFTなどは「40歳以上の人間はついていけない」などとも言われている。なぜかと言えば「本人確認のためにスマホを多用する」からだ。2段階認証のキーコードを送信させるため専用アプリをインストールしてQRを読む、運転免許証や自分の顔を指示された条件で静止画や動画で撮影して送信する、というような操作が必要であり、スマホなので文字は小さいし、操作を間違うと命令文的なコーション文が表示されるし、多くが次から次へとネット間を縦断したデータのやりとりになるし、知らない専門用語の多くが次から次へと出てくるわ、突然英語のページに連れていかれるわ、で、スマホを使い慣れていない人にはそのハードルは青天井なくらいに高い。「世の中が本気で高齢者の排除に向かって動いている!」と錯覚するくらいだ、いや、錯覚ではないかもしれない。


●生態ピラミッド   2022.11.15
生態ピラミッドの最上位に人間、その下には肉食動物、その下には草食動物、となっている。この上位から2番目の肉食動物がいなくなってしまった場合、3番目の草食動物は、その数が増え過ぎて感染症が発症して全滅してしまう、というのを理科や生物の授業で習っていないだろうか?今現在の生態ピラミッドの最上位にいる人間は、その数が増え過ぎて感染症が発症して全滅の危機に瀕している。最上位なので食って数を減らしてくれる生き物はいない。自分たちで是正するしかないのだ。そのためにはこれ以上数が増えないようにするしかない。なんせ人類は毎年8000万匹増え続けているのだ。行動制限やワクチンでは焼石に水でしかなく、基本的には増殖にブレーキをかけないと、いずれ全滅するぞ。もっとも最上位なので、2番目から下が困ることはない。


●市の広報誌   2022.11.14
市の広報誌を見ていると「お申し込みはハガキで」「お申し込みは電話またはファックスで」というのが多いのにはぶったまげる。ハガキや電話やファックスなんぞをデフォルトの連絡手段として使っているから欧米や中国から「おっくれてるー!」と指をさされてバカにされるのだ。バカにされるということは、おまえはバカだ!と言われているのだ。そんなことはどこ吹く風で、当たり前のようにハガキや電話やファックスを使う原始人が日本にはたっくさんいるということだろう。大学生100人に聞いてみた「ハガキもらったことある人は手を挙げて」と言ったら、2〜3人が手を挙げた。「誰からもらった?」と聞くと「何かを買ったお店から」「DMみたいなやつ」との答。これが2015年ごろのことである。まぁでも大学生は市の広報誌は見ないし(というか市の広報誌があるということも知らないし)、原始人たちが滅びるまではこのままでいいのだろう。


●ジイさんのパソコンはよく壊れる   2022.11.13
ジイさんのパソコンはよく壊れる。壊れてはいないのだが、おかしな操作をしてパソコンが動かなくなったことを「壊れた」と称する。全てはあんたが悪いのだが、自分に落ち度は無いと言い張る。いやいやパソコンには100%落ち度は無いはずだと説明しても理解しない、というか理解しようとしない、というか最終的に自分に落ち度なりミスなりがあったことは認めたくないのだ。ある日いつものようにパソコンが壊れた!と騒ぎ始めた。マウスが動かなくなったとのこと。ワイアレスマウスの電池を何度も出したり入れたりしている。電池は買ったばかりで、入れる方向も間違ってはいない。マウスかパソコンが壊れた以外に考えられない!とのとこだった。しかしマウスもパソコンも壊れてはいなかった。ジイさんはモニターにとまった小蝿をポインターと見間違えていたのだった。


●マーク・ザッカーバーグ   2022.11.12
マーク・ザッカーバーグはMetaの全従業員のうち1万1000人の解雇を発表した。これはメタバース分野などを担う「Reality Labs」でも行われるとのこと。コロナ禍で世界中の急速なオンライン化とeコマースが成長するという予測に基づき巨額の投資を行ったものの、予測が外れたというかたちだ。このニュースを見て「それ見たことか!」「メタバースなんて必要ないんだ」とか言ってる人たち。あのね、メタバースを推奨しているのはザッカーバーグだけではないのだよ。たまたま投資が過ぎただけで、勇み足的な失敗というだけだろう。ザッカーバーグといえばスティーブ・ジョブスがもう余命がわずかという時期にアメリカのIT関連の代表者を集めて会合を開いた。その時、ジョブスが冷えて体調を悪くしなように部屋の暖房をガンガンに入れていたそうだ。そこで暑さのあまり汗だくになっていたのが、現在冷や汗だくだくのマーク・ザッカーバーグであったそうだ。


●メタバースの世界   2022.11.11
メタバースの世界などはやって来ないと思っている人々が大量にいる。まだまだメタバースは一般に浸透していないし、メタバースという言葉の定義も曖昧であり、メタバースを実行するための環境も整ってはいない。そして実際にメタバースを試験的に実践している組織は数%に満たないことだろう。しかしだ、メタバースの世界などはやって来ないと思っている人々は、2000年時点での世界の携帯電話普及率は12%だったことも、2000年時点での日本のインターネット普及率は16%だったことも、1960年時点での日本の乗用車普及率は3%だったことも忘れているのだろう。メタバースの世界は、まだまだ途中で紆余曲折あることだろうが、確実にやってくるのだ。でなければFacebookがMetaに社名変更したりはしない。もちろんMetaは仮想世界の「メタバース」を意味しているし、Metaは成果が思ったように出ていないと言われているが、年間1兆円をメタバースに投資している。


●朝ドラ   2022.11.10
朝ドラとは連続テレビ小説のことらしい。何でテレビなのに小説なのだ?何で朝ドラなのに昼にも放送するのだ?何で役者が次のセリフを言うまで待っている感ありありなのだ?何で沢山の人がいるのに一人ずつ順番にしか喋らないのだ?何で民家に当たる日差しがスタジオライト感ありありなのだ?何で全体的に学芸会感ありありなのだ?何で役者が喋り始めるまでのカメラが回っていることを確認する一瞬の間があるのだ?何で人が死んだシーンを撮らずに仏壇の遺影で代用するのだ?何で見ている方が恥ずかしくなりそうなものだが、みんな我慢して見てるんだ?何で国民が払っている受信料の割に全体的にチープな作りなのだ?あ、そうか!毎年のように新しくつくっている教育テレビの着ぐるみに予算を取られちゃってるんだな。


●死人   2022.11.09
銃で撃たれたとき、刀で斬られたとき、人間は両手を広げて大きくのけぞって「ぐわっ、やられた〜」というふうにはならない。丸まってばったり倒れたり、勢いでそれまでの動作の続きの動きをしながらよろめいていき倒れる、みたいなことになる。これだけ多くの動画が配信されているのだから、映画もドラマも嘘くさいオーバーアクションの死に方を演出するのは止めたほうがいいのではないか?でないと、本当に人が死にかけているときに周囲の人間が気がつかなくなる。たとえば海や川で溺れかけているとき、両手をバシャバシャと動かしながら「助けてくれ〜」というふうにはならない。呼吸するだけで精一杯で両手を動かす余裕はないそうだ。そしてゆっくりと沈んでいく。「人ってこんなにあっけなく死ぬのか」という場合もあれば「人ってこんなになってもまだ生きてるのか」という場合もある。だから、明らかに生きている人間が演じている安っぽい死人の演技っていうのも、もうそろそろ止めたほうがいい。


●リアルとバーチャル   2022.11.08
デジタルイラストレーションを履修している学生40人に「最も美しいと思える理想の顔を描け」という課題を出した。提出されてきた作品のうち、写実が3点、劇画風が2点、漫画風が3点、残りの全てがアニメ風であった。つまり彼らの顔というものの概念がアニメ風であるということで決して写真ではないということなのだ。リアルとバーチャルの世界を混同しているのでは?と思うかもしれないが、そうではない。彼らはリアルとバーチャルをちゃんと使い分けているし棲み分けている。ただし「最も美しいと思える理想の顔を描け」というのいは「理想」を表現しろ、ということであり、もはやリアルの世界では理想は求められない。だからアニメキャラというバーチャルの世界で理想を表現するということが、自然な流れなのだろう。


●印象派   2022.11.07
エドゥアール・マネ、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールなどが印象派を代表する画家である。しかし印象派に分類されている画家が印象だけで絵を描いているかというとそうではない。エドガー・ドガ は黄班変性症という視力と色覚が損なわれてくる病気で、普通の人よりも見るのもが地味に見えてしまったので、あのような異常に鮮やかな色彩表現ができたのではないかと言われている。ポール・セザンヌは基本的に「構図有りき」の近代絵画の父とされ、のちのキュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えた。というように印象派とされている画家の多くは、それぞれが独自の哲学や手法で制作活動に取り組んでいた。ただ時代的に同時期だっただけに十把一絡げにされて印象派と呼ばれているだけである。印象だけでものごとを分類してはいけない。


●めんどくさいヤツ-4   2022.11.06
めんどくさいヤツの中でも最も始末が悪いのは、散々めんどくさいコトを喋ったあとに「オレってめんどくさいヤツでしょ」と言うめんどくさいヤツだ。なんだ分かってんならめんどくさいヤツと思われないようにすればいいじゃん!と思うのであるが、どうもそうではないらしい。自らを「めんどくさいヤツ」と称することで、相手の言うことをそのまま受け入れるのが気に入らないということも、相手の言うことを素直に聞いたことで服従したような気分になるということも、交換条件を出して相手にも自分の案を了解させることで平等な立場であることを主張することも、一つひとつの自分の行動に対して自分でも納得のいく理由がないといけないことも、全て自分の中で正当化して「めんどくさいヤツ道」を突き進むというタイプのめんどくさいヤツだ。


●めんどくさいヤツ-3   2022.11.05
メールを受信する。素直に「了解しました。」と一言書けば済むものを、「了解しました。」と一言書くための理由を自分の中で理論的に結論づけることができない。一つひとつの自分の行動に対して、自分でも納得のいく理由がないといけないらしい。例えばプラモデルの細かい部品を一つひとつ正確に組み立てていく、とか、複雑なメカニズムの機構部品を一つひとつ丁寧に設計していく、といったような人間にこいった「めんどくさいヤツ」が多い。細かい事象をろくに検証もしないで、どんどんと次のステップへ突き進んでいくような人間とは相入れないのである。しかし地上の人類全てがあんたのような「めんどくさいヤツ」だったとしたら、地球上では。まだ産業革命も起こってないことであろう。


●めんどくさいヤツ-2   2022.11.04
メールを受信する。素直に「了解しました。」と一言書けば済むものを、「了解しました。」と一言書くことで自分のほうが下に見られたという気分になり、「了解しました。ただし〜」と交換条件を出して、相手にも自分の案を了解させることで平等な立場であることを主張したい。しかしメールを出した相手のほうが1枚も2枚も上手である。交換条件を出したことろで軽く一蹴されるか程よく流されるであろうことは分かっている。と、そう考えるだけで腹も立ってくる。そこで最初にメールを出した相手ではなく、その相手の子分というか秘書的な立場の人間に「了解しました。ただし〜」と交換条件を書いたメールを出す。しかしそのメールは瞬間的に最初にメールを出した相手に転送され、瞬間的に軽く一蹴されることになる。相手も「めんどくさいヤツ」の扱いには慣れているのだった。


●めんどくさいヤツ-1   2022.11.03
メールを受信する。素直に「了解しました。」と一言書けば済むものを、相手の言うことをそのまま受け入れるのが気に入らない、相手に服従したような気分になる、自分の意向が反映されないままに次に進むように思える、などの理由で返信しないでいる。そうこうしているうちに相手から返信の催促のメールが来る。すると返信が遅れたもっともらしい理由を考えなければいけなくなる。そしてそのもっともらしい理由の中に相手にダメージを与えるような要素を盛り込もうとする。つまり自分に落ち度はなく、相手に何らかの落ち度があったかのような理由を考えなければいけなくなる。そして何日も相手を待たせた後で、意味不明で何を言っているのか分からない超長文のメールを出すはめになる。結果、誰にもダメージを与えることができずに自分には「めんどくさいヤツ」というレッテルが貼られることになる。


●アバター制作ツール   2022.11.02
アバター制作ツールが凄い勢いで増えている。数年前であれば、いささか高額の開発費が必要だったアパレル関連のシミュレーションのようなものだ。これらの開発費がいかほどなのかは分からないが、過当競争のエリアに入ってきたように思える。そしてスマホさえ使えれば自分の顔を撮影することで簡単に自分そっくり(っぽい)のアバターが作れるようになっている。さてこうなってくると、メタバースの世界を自由に行き来するその自分そっくりのアバターに「自己を託す」ようになってくるのは当然の流れであろう。「自己のアイデンティティはどうなるのだ?!」と心配する人も大きことだろう。しかし心配する前に、まずは自分でやってみることが先決だ。そうすればリアルとバーチャルは普通に使い分けられることも分かるだろう。とはいえスマホが使いこなせていなければ、そのことを検証するのは無理かもしれない。


●先に手を出したほうが悪い   2022.11.01
ロシアのウクライナ侵攻の理由が「西側の圧力により、そうせざるを得なかった」だ。中国の台湾周辺の軍事演習で“弾道ミサイルが日本のEEZ内に落下したのは「日米側の軍事圧力が原因」と左翼の人たちは言う。例えば普通の喧嘩や争いごとでも、基本は「先に手を出したほうが悪い」というのが常識だろう。先に手を出したほうが「そうせざるを得ない状況を作ったのはあいつだ!」と言ったところで、そんなものは理由にならない。だったら「そうせざるを得ない状況を作ったのは、さんざん悪口を言われたから」→「悪口を言うのは、無視されたことについてだ」→「無視したのは、反応する必要が無い内容だったからだ」→「だからといって、こっちを見てニヤっとすることはないだろう」→「じゃ何で人の話を聞いてため息をつくんだ」→「そっちが先に舌打ちをしたからだろう」のようになって、どっちが悪いなんてことは分からなくなる。だから「先に手を出したほうが悪い」というのが悪いということになる。とまあ先に手を出されても「遺憾の意を表明する」ことしかできないでいると、相手はいつでも手を出してくるのであった。



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