2025年5月
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●「Oh My God」は「何てことだ」 2025.05.31 | ||
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「Oh My God」を日本語に訳すと「何てことだ」となるのが一般的なようだ。ネイティブはとにかく「Oh My God」を連発する。1日に10回ぐらい言うのではないか。しかし日本人が「何てことだ」なんてことを口に出すことは極めて稀である。10年に1回ぐらいなのではないか。一般的な日本人が「Oh My God」に相当する口に出す日本語は「ヤバ」「ひでぇ」「クソっ」「ざけんなよ」とかだろう。その昔、ポパイのアニメ(日本語訳)で、ポパイがやたらと「なんてこったい!」と言っていたのが、元は英語で「Oh My God」と言っていたんだな、というのは大人になってから気づいた。ではマレー後の「Allah Akbar」はどう訳すかというと、Google翻訳では「アッラーは偉大である。」となる。イスラムでは1日に10回ぐらい言う言葉であるが、日本人は下手をすれば一生に一度も口にしない言葉である。異なる宗教の言葉を異なる言語に訳すと、多くは意味不明となる「モーロビトコゾリテー」。
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| ●街のお米屋さんが怒ってる! 2025.05.30 | ||
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小泉進次郎農林水産大臣の“備蓄米放出”に街のお米屋さんが怒ってるそうだ。そういえば「街のお米屋さん」って今でもあるんだ?お米はスーパーでもコンビニでもドラッグストアでもホームセンターでもJA直売所でもネットでも売ってるし、怒る以前に「街のお米屋さん」自体がいらなくね?と思っている人も多いことだろう。実際に「街の酒屋さん」は今ではあまり見かけなくなったし、「街の本屋さん」「街のおもちゃ屋さん」「街の電気屋さん」などもほとんど無くなっている。もはや「街の○○屋さん」では、大量に仕入れて安く売ることも、夜遅くまで営業することも、広告をばんばん打つことも、新製品をどんどん店頭に並べることも、広い駐車場を確保することもできないのだから、無くなっていくのは当然だろう。「地域のお客様とのコミュニケーション」だけでは売れねぇし。子供の頃、「街のおもちゃ屋さん」にプラモデルを買いにいったら店主が奥さんに愚痴っているところだった。「クリスマスにもっと商品を仕入れておけば、こんなことにはならなかった…」と。確かに商品の数は少なかったように見えた。そして商品棚の一角に産まれたての赤ん坊が寝かされていた。プラモデルを順に見ていったら突然赤ん坊が出てきたので驚いた記憶がある。そして予想通り次に行ったときにはシャッターが閉まっていた。あの赤ん坊はどうなったのだろう…
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| ●犬は色が見えない? 2025.05.29 | ||
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犬などの哺乳類は、色彩を識別する錐体細胞が人間よりも少ないため赤と緑は判別しにくい。だから草食動物にとって、トラやヒョウなどの黄色と黒の体の黄色の部分に含まれる赤の周波数の色が見えずらいために、背景に溶け込んでカムフラージュされて見えるらしい。しかし昆虫や爬虫類、鳥類には非常に鮮やかな色をしているものもあり、その色を、求愛をしたり、危険を知らせたり、食料を探すために使っていて、中には人間では見ることのできない紫外線まで判別できる種もいるとのこと。ところが哺乳類に進化すると、恐竜などから捕食されないように、多くの時間を地下で過ごすようになり、色を判別するという機能が必要なくなり、錐体細胞が退化していった。そして恐竜が絶滅して哺乳類が地上に出るようになると、また錐体細胞が復活してきて、進化の最先端にいる「人類」は、錐体細胞が特に発達しているというのが定説のようだ。と、それはさておき紫外線ってどんな色に見えるんだ?見たことのないものを想像するって、すげー難しいんじゃね?てか不可能だ。だからインターネットとか仮想通貨とかビッグデータとか、見えないものは、イメージできずに必要以上に恐れ慄き完全否定することしかできない「色の見えない犬」が人間の中にもたくさんいる。
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| ●高学歴者はSNSができない。 2025.05.28 | ||
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数多くの論文を世に出したり、多くの書籍を執筆している大学教授とか博士とかは、XやFacebookに投稿ができない、というか「自分が書いた文章と、そのへんの頭の悪い高校生が書いた文章が同等に扱われるのが嫌だ」ということなのだ。これだから高学歴者は扱いずらいし、変な自信とプライドを持っているから、他人の言うことを聞かないから、そうやって少しずつ時代に取り残されていくんだぞ。電車に乗れば頭の悪い高校生と同じ車両に乗ることもあるし、コンビニで買い物すれば頭の悪い高校生と同じ値段だし、横断歩道を渡れば頭の悪い高校生とすれ違うこともあるだろう。そしてXやFacebook、Instagramでも、1回や2回の投稿では何も反応が無いし、何が面白いのかも分かるはずもない。ところが高学歴者は言う。「Facebookをやっているが、面白くも何ともないので、今は投稿もしてないし、見てもいない」なのだそうだ。あたかもFacebookというプラットフォームが衆愚的でインテリの自分が使うようなものではない!と示唆しているかのような言い回しである。Facebookが面白くないのは、あんたが面白くない使う方をしているからなんだけどね。というか、あんたにはカジュアルな文章を書くスキルが無いということなんだけどね。
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| ●民主主義の多様性 2025.05.27 | ||
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V-Dem研究所は、2014年にスタファン・I・リンドバーグ教授によってスウェーデンで設立された独立研究所だ。V-Demとは、民主主義の多様性を意味し、世界中の民主主義を概念化して測定するために、民主主義を5つのハイレベルな原則(選挙、自由、参加、熟議、平等)で区別し、これらの原則を測定するためのデータを収集するというもの。このV-Dem研究所のレポートによれば、集計対象の179カ国・地域のうち、民主主義陣営は91で、ロシアや中国など88の権威主義陣営を数では上回っている。しかし、人口面では民主主義陣営の29%(約23億人)に対し、権威主義陣営が71%(約57億人)と大幅に上回り、10年前の48%よりも割合を増やした。例えば日本人が一般的に抱いているイメージでは、時代が進むとともに民主主義国家の割合が増えていき、最終的には、世界中の全ての国が民主主義になる、と漠然と思っていたかもしれない。しかしいつの時代でも、権威主義(独裁主義)と民主主義は綱引きを繰り返していて、今は民主主義の優勢から権威主義が盛り返しつつある時代になっているのだろう。と同時に民主主義自体が多様化してきて、どこまでが民主主義なのかどうかも分かりにくくなっている。例えばアメリカは民主主義国家だがトランプは独裁者的な印象も強いし、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国である。民主主義でもなければ共和制でもないのにね。
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| ●Udemyで実際にコースが「売れている人」の割合は? 2025.05.26 | ||
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Udemyが公式に発表しているわけではないが、講師や業界関係者、統計データの分析などから見えてくる現実としては、全体の中ではごく一部(概ね5〜10%未満)と考えられているようだ。実際、2020年からUdemyで「似顔絵マスター講座」を販売しているが、売れるのは週に1本〜月1本程度である。この数字が「全体の中ではごく一部」に含まれるかどうかは微妙なところではあるが、総じて全体の9割以上は「全く売れていない!」ということだろう。まずUdemyで講座を公開するためには、①動画編集のスキルが必要、②海外のデジタルオンライン決済処理の申請ができる、と、これだけでも普通の人にはいささかハードルが高い。さらに「売れる」ためには、④お金を払って教わりたいと思える専門的な知識やスキルが必要、⑤自らのPR活動が必要、などが挙げられるようだ。④に関して言えば、趣味の延長線上のお遊び的なものが少なくないようである。それでも①と②がクリアーできているのだから大したものであるのだが、やはり「お金を払ってまで教わりたい知識やスキルを持っている人」は限られていることだろう。⑤については、基本的にUdemyのサイトからのアクセスに頼る部分が大きいようであるが、自らもSNSやホームページを通じて、それなりに積極的にPRしていくことが重要なはずである。Udemyで売れてない人が「コンテンツが物足りないのでは?」と思って、中味を更新したのだが、やっぱり売れない。というのもよくある話のようだ。売れていれば、Udemy内の検索でも上位に表示され、評価も高くコメントもたくさんついていれば自然と売れるようになってくるのではあるが、売れていない場合は、全く反応が無い日々を我慢して、地道に自分でPR活動を続けていかなければいけない。されとてコンテンツが趣味の延長戦上であれば絶対に売れないけどね。趣味の延長戦上であればあるほど高い値段をつけているしね。
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| ●小学館の図鑑NEOアート 図解 はじめての絵画が酷い 2025.05.25 | ||
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小学館の「図鑑NEOアート 図解 はじめての絵画」が酷い!絵画に対する冒涜であり図画教育を馬鹿にしたものである。絵画というのは構図を含めた作品であり、画家は構図を決めるためにそれ相応の時間を割く。そして背景を含めた構図によって、全体のバランスによる緊張感や物語性を表現している。しかしこの「はじめての絵画」では、古今東西の絵画作品をばらんばらんに切り取って適当に並べて貼り付けている。顕著な悪例が「こんなドレスを着てみたい」のページである。ブーシェ作『ポンパドール夫人』、ルノワール作『パリジェンヌ』、アングル作『リヴィエール嬢の肖像』、ブロンズィーノ作『エレオノーラ・ディ・トレド と子息ジョバンニの肖像』、ゴヤ作『白衣のアルバ公爵』が無惨にも背景を切り取られ、人物だけがかなりいい加減にレイアウトされている。切り口もアンチエイリアスがかけられているわけでもなく、折り紙細工のように切りっぱなしである。他のページでも切り取った上に変なイラストをいれたり、さらに絵に重ねて吹き出しを入れたりと、やりたい放題である。しかもグラフィックデザインとしても稚拙で完成度も低い。この「はじめての絵画」を見た子供たちは、絵画というものは、自分たちの都合の良いように切り取って使っていいものだ!と思ってしまうことだろう。こうして日本の絵画教育はまた奈落の底へ向かっていく。
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| ●キャンディーズの法則 2025.05.24 | ||
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まだネットが無い時代、3人組の女性アイドルグループといえばキャンディーズであった。ネットが無いので、その告知やPRはテレビの他は雑誌やポスターなどの印刷物で行われていた。そして印刷物での3人が一緒に写った写真であるが、これは3人まとめて、それとなくボワっとキャンディーズであるということが分かるようなショットが使われていた。どういうことかというと、キャンディーズのラン、スー、ミキの一人ひとりの個性が強く出ているような写真では、その一人ひとりに目がいってしまい、3人まとめてそれとなくボワっとキャンディーズということが分かりにくくなってしまうということだ。このキャンディーズの法則に則れば、複数人のグループ、チーム、団体、組織などでは、その人数が多くなればなるほど、一人ひとりの個性は抑えたほうがグループやチームとしての組織力が発揮できるということになる。だから軍隊には兵隊の個性はいらないのであった。
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| ●人は信じたいものを信じる 2025.05.23 | ||
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これだけ世の中にAIなるものが普及してくると、例えば1個人が生涯をかけて研究してきたものと同等のものが一瞬でできてしまったり、一瞬で覆されてしまったりもする。しかし嘆くことはない。AIは人間が作ったものの集まりなのでコンピューターやロボットやエイリアンが作ったものではない。ということは、1個人が生涯をかけて研究してきた過程でのマーケティングが足りなかったために、同等のものが一瞬でできてしまったり、一瞬で覆されてしまったりしたわけだ。自分の勉強に没頭しすぎて周りが見えてないということだけだ。ただ、周りが見えてしまうと、自分よりも優れている人間がたくさんいるので、あえて見ないようにしてきたのである。で、見まい見まいとしてきたものが、気遣いや忖度のないAIによって堰を切ったように目の前に突きつけられてしまったわけだ。そう、人は真実を信じるのではなく信じたいものを信じるのであった。
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| ●Windows10+Chromeで動画が再生されなくなった 2025.05.22 | ||
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Windows10でChromeのバージョン:136.0.7103.93(2025年4月リリース)では動画が再生できなくなった。キャッシュを消去してもChrome、Windows10を再起動しても改善されない。原因を調べてみると、ハードウェアアクセラレーションの不具合、拡張機能の干渉、グラフィックドライバーの不具合、実験的機能(flags)による影響、などが考えられるとのこと。そしてこの問題はWindows11では起こらない。ということはMicrosoftがWindows11にバージョンアップさせるための戦略なのでは?と疑いたくもなる。Windows10で動いているパソコンで、Windows11にバージョンアップできる機種はかなり限定されているので、ユーザーの多くは新規にパソコンを購入することになるためだ。しかもこの問題、Microsoft Edgeでは発生しないのだ。ということはユーザーはWindows11のパソコンに買い替える、またはMicrosoft Edgeを使う、という二択となるわけだ。これはMicrosoftの思う壺だろう。いやいや待てよ、ChromeはGoogleが開発しているのでMicrosoftではない。とはいえ裏では繋がっているのやもしれぬ。と、憶測を巡らせたところで何も解決しない。とりあえずは、動画も見る時だけは、Microsoft Edgeを使っておこ。これでも特段不便は感じないしね。
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| ●デザイナーになりたい 2025.05.21 | ||
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デザイナーになるには色々な条件があるが、その中でも最も重要なのが「絵が描けること」であろう。いやいや今どきは絵なんか描けなくてもデザイナーにはなれるんだよ、と思っている人もいるかもしれないし、実際に絵が描けなくてもデザイナーを名乗っている人もいる。しかし絵が描けないデザイナーは自分がイメージしたものを即座に他人に伝えることができない。したがって非常に仕事の効率が悪いし成果物のクオリティも低い。そして何といってもオリジナリティーが無い。デザイナーもピンキリである。そして絵が描けないデザイナーはだいたいキリのほうである。キリのデザイナーに与えられる仕事は基本的にひな形に沿った制作物を作ることであり、そこにはオリジナリティーは求められない。もし絵が描けなくてもデザイナーになれるとしたら、なぜ今でも美大芸大のデザイン科の入試にデッサンなるものがあるのか考えてみよう。
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| ●寂しい人 2025.05.20 | ||
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寂しい人は、会話の中で一人称が多い(私は〜、僕は〜、オレは〜)。寂しい人は、会話の中で自分の話の後に必ず自分で笑う(別段面白くも可笑しくも無い内容であるにもかかわらず)。寂しい人は、SNSに友人(とおぼしき)と写っている写真の投稿がやたらと多い。寂しい人は、キレやすい(特に誰かが約束を守らなかったり時間に遅れたりすると)。寂しい人は、話が長い(相手が帰らないようにする)。寂しい人は、外出と旅行が好き(基本的に思い出作り症候群)。寂しい人のメモ帳は、予定がびっしり埋まっている(他人に見えるように開いたりする)。寂しい人のテレビは、画面がやたらと大きい(そしてテレビを見てひとりでよく笑う)。寂しい人は、自慢話が多い(男=武勇伝、女=不幸自慢)。
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| ●バランス 2025.05.19 | ||
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例えば戦国時代、武士は当然のことながら自分がいつ死ぬか分からないという緊張感と恐怖の中で生きていた。また農民や漁民であっても、いつ略奪にあって土地や食料を奪われるか分からない恐怖の中で生きていた。例えば石器時代でも、いつ猛獣に襲われるか、いつ食料が無くなるか、いつ天災が起こるか、分からない恐怖の中で生きていた。現在でも一部の後進国では、いつ略奪や強奪にあって家族や資産を奪われるか分からない恐怖の中で生きている。するってーと、特に恐怖や不安もなく、のうのうと生きていられるのは、ここ100年ぐらいの間の一部先進国の人たちに限られる。しかしうまくしたもんで、略奪や飢餓の恐怖や不安もなくなっても、自動的に他の恐怖や不安の要素を見つけ出して、人々は、引き篭ったり、鬱になったり、自殺したりと、バランスを取ったりしている。
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| ●テリトリー 2025.05.18 | ||
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頭の良し悪し、民度の高低、教養の有無、とかはだいたいその人のイメージしている世界の広さ、つまりテリトリーにリンクしているようである。最もテリトリーが狭い人間は自分のことだっけしか考えていないので、他人のことはどうでもよい。これが「家族のことだっけ」→「地域のことだっけ」→「国家のことだっけ」→「地球のことだっけ」→「宇宙のことだっけ」と段々と広くなっていき、頭が良く、民度が高く、教養の有る人間ほど、テリトリーが広くなっていく。では「宇宙のことだっけ」の次は何か?というと、おそらく次元が1つ加わり「時間」ということになるだろ。そして頭が悪く、民度が低く、教養の無い人間ほど、時間が守れない。逆に頭が良く、民度が高く、教養の有る人間は、時間を守る。だから時間が守れない人間というのは、何か特別な才能があるから時間なんか守らなくても良い、のではなく、頭が悪く、民度が低く、教養の無いということだ。
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| ●鉛 2025.05.17 | ||
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化粧品、飲料水、食物に鉛が含まれていて体内に入った場合、また鉛が含まれるガソリンの排気ガスや、鉛を含んだ金属の加工現場の粉塵や洗浄水などが体内に入った場合、人間は鉛中毒を発症する。しかし鉛自体に化学的な毒素が含まれているわけではない。鉛は人体にとって必要なミネラルであるカルシウム、鉄分、亜鉛などと似たような挙動を行うために、鉛が体内に入ると、カルシウム、鉄分、亜鉛などの働きを阻害することになる。これによって赤血球のヘモグロビンを作る酵素を邪魔したり、神経細胞の信号伝達を乱したり、腎臓や肝臓へのダメージを与えたりする。しかし鉛を手で触れただけでは、このような症状引き起こすわけではない。もしそうだとすると釣りの重りや絵の具のチューブや歯医者のレントゲンの防護服やクルマのバッテリーなど、みんな手を触れてはいけないということになる。20世紀初頭までは歯磨き粉のチューブが鉛製だったしね。そんなにビビるほどのことではない。食べさえしなければね。
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| ●小川淳也 2025.05.16 | ||
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今年3月、インターネット番組『ReHacQ』に出演し、泣き出したことに批判の声があがっている。そりゃそうだろ、演技で泣いているのがバレバレだし、野々村竜太郎思い出させるし、こういう演技って地元の選挙区で後援会の高齢者向けにはウケたのだろうが、ネット番組ではそうはいかない。映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」に出演して、演技が病みつきになったのかな。以前、テレビのニュース番組が選挙活動をする小川淳也をレポートしていた。定食屋かどこかでの昼食中にインタビューに答える小川淳也、とそのとき丁度良いタイミングで子供の声「おあわじゅんや〜」、手を振って応える小川淳也。地元での人気者ぶりを全国にPRできたかたちとなった。が、よく考えてみると選挙権もなくそもそも選挙なんかに子供(恐らく小学校低学年)が興味を持っているのだろうか?仕込みかヤラセなのではないかと疑いたくもなる。小川淳也だから疑いたくもなるのだが、いずれにしても自分の選挙区に小川淳也が立候補したら絶対に票は入れない。
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| ●ネット上のデマを2人に1人が信じていた 2025.05.15 | ||
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総務省が初の全世代実態調査をした結果、ネット上のデマを聞いた2人に1人はデマを正しい情報と信じていた。という結果が出たそうだ。えっ?それってもしかしてデマ情報じゃないの?と疑いたくもなる。誰だってネット上のデマに騙された経験の1つや2つはあるだろう。むしろネット上のデマを聞いた2人に1人は「騙されたことが無い!」と嘘をついていたのだろう。リアルの世界であっても、子供の頃からを通じて、1度も騙されたことが無い、という人間などいないはずだ。そもそもデマというものは人を騙す用に作られている。例えば「○○さんちのご夫婦、離婚するんだって」というデマを流したとしよう。すると、このデマを聞いた人は「真実かどうかを確かめる」などということは一切せずに、他の人に「ねえ、ねえ知ってる?○○さんちのご夫婦、離婚するんだって」と拡散する。つまり「○○さん夫婦が離婚する」という話には○○さんを知ってるひとなら間違いなく興味を持つはずであり、その情報を知っていることで知らない人に対してマウントを取れる、みたいな心理が働くのであろう。ということで、ネット上に限らず、世の中の多くの事象がデマだったりもする。人間というのはデマを信じるようにできている生き物なのだ。だから日本中には未だに「血液型によって人の性格は変わる」というデマを信じたまま生きているアタマの悪い人たちは、たっくさんいるのだ。
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| ●最後の晩餐 2025.05.14 | ||
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レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」は、伝統フレスコ画の技法ではなく、実験的な混合的な技法で制作されたそうだ(通常のフレスコ画は、湿った漆喰に直接顔料を塗り込む方法だが、レオナルドは壁に乾いた下地を施し、その上に描画した)。このため、湿気や時間の経過によって非常に劣化しやすい性質を持っているとのこと。そして完成後から現在に至るまで、7回以上の修復が記録されている。有名なものは、1978年から1999年までの約20年間修復なのだそうだ。伝統フレスコ画の技法では、乾燥する過程で顔料が吸収され、ガラスのコーティングのような層ができて顔料が閉じ込められる、長期間にわたって色あせないという特徴を持っているのだが、なぜレオナルドは、経年変化の実証実験も行われていない「実験的な混合的な技法」をリスクを犯してまで採用したのだろうか?それは、西暦2020年ごろからのNFT(非代替性資産)の登場を予想していたのではないか?さすが天才である。つまり「最後の晩餐」のような巨大で劣化しやすい作品ほど、データ化してNFTとして恒久的に保存できるようにすれば、もう定期的なメンテは必要なくなる。問題は「最後の晩餐」を映し出すような巨大な超高画質モニターが必要になり、電源を入れないと見られないということだろう。そう、世の中も全てのNFTは電気が無いと見られないんだけどね。そういう意味では、けっこう危うい感じでもある。
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| ●オーナー 2025.05.13 | ||
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バイトの現場にオーナーがやってきた。「今月末がメリットだから、それまでにやっておくように」どうやら「リミット」と言いたかったらしい。「ここの床、一段高くなっているだろう。ここは以前は防虫だったんだよ」どうやら「厨房」と言いたかったらしい。「夏休みは急所明晰でも見にいくと良い」どうやら「名所旧跡」と言いたかったらしい。この程度の教養でもなれるのがオーナーという職種なのか?と、学生時代に、笑う以前に何とも言えない気分になったものだ。
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| ●日本人の絵画スキルが上達しないのは? 2025.05.12 | ||
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幼児が絵を描くときには、まずはクレヨンを使う。基本的にこの方法が間違っているから日本人の絵画スキルが上達しないのだ。多くの人は絵を描くというのは、線を描く、と、色を塗る、と2つのステップがあると思っているから下手くそな絵しか描けないのだ。そもそも色は「塗る」ものではない。色が表現できる画材で「描く」のだ。だから「塗り絵」はペンキ屋さんのスキルアップにはつながるが、絵画のスキルアップには1mmも貢献しない、どころか絵を描くという行為を強制的にペンキを塗るという、全く異なったスキルに軌道修正してしまう。ペンキを塗るというスキルは、例えばアニメのセル画的なものであったり、グラフィックデザインや建築やインテリアデザイン、インダストリアルやファッションデザインには応用が効く。なので、こういったことがさらに事態を混乱させている。幼児に絵を教えるときには、まずは地面に棒で描かせる→黒板にチョークで描かせる→紙に鉛筆で描かせる。そして形がとれるようになってきてから、最後の最後に鉛筆の代わりに色鉛筆で描かせる。で、その時の色鉛筆は、赤、水色、黄色、の3色だけで良い。
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| ●人間の目の解像度 2025.05.11 | ||
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人間の目の解像度はどのくらいなのだろうか?具体的な「ピクセル数」として正確に定義するのは難しいが、一般的な科学的な見積もりでは約576メガピクセル(576,000,000ピクセル)相当とされているそうだ。ただし、これは目が現実をどう感じるかを単純に数値化したものではなく、いくつかの要因を考慮した概算なのだそうだ。その要因とは、①視野の広さ、②視細胞の密度、③実際の解像度、④脳の処理、などである。②視細胞の密度は、網膜の中心部で、1平方ミリメートルあたり約20万本の錐体細胞があり、この部分が高精細な視覚を提供しているとのこと。そして網膜全体では錐体細胞(色覚に寄与)と桿体細胞(暗所での視覚に寄与)が異なる役割を持っているので、解像度はケースバイケースになるとのこと。また④脳の処理では、視覚情報の多くは脳が補完・補正しているため、実際の「解像度」は網膜自体の性能を超えたものとなるとのこと。ということで、人間という有機体は非常に高性能で臨機応変に最大限のポテンシャルを引き出すという、そのスペックは計り知れないものを持っているということだ。一見、性能が悪そうに見えるショボい人であっても、みんなと同じ機能を備えているのだから甘く見てはいけない。
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| ●時間差による相対的錯覚 2025.05.10 | ||
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託児所で大勢の赤ん坊と戯れた後に出会った小学1年生はおっきく見えるが、相撲取り100人とすれ違った後に見る1年生えらいちっこく見える。住宅街を時速10kmで徐行しながら走った後に幹線道路に出て時速40kmで走るとすっごく速く感じるが、高速を100kmで長時間走った後に一般道に出て時速40kmで走ると、まるで停まっているようだ。だから本当に美味しいものを食べたければ、まず史上最強に不味いものを食べよう。その後に食べる普通の美味しさのものが、史上最強に美味しく感じるはずだ。そうすれば、わざわざ高いカネを出して美味しいものを食べに行かなくても済む。
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| ●セカンドライフのその後 2025.05.09 | ||
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メタバースの元祖が2003年に公開された「セカンドライフ」であったことは有名な話だ。そしてその「セカンドライフ」は公開して数年でユーザーがいなくなり消滅したと思われがちであるが、じつはその後も脈々とバージョンアップを続けている。数年前にはポリゴンが滑らかになり、アバターのスキンのデザインセンスも改善され、そこそこ魅力的になってきたが、それでも何人ものキャラを同一画面上で踊らせたりするには回線容量的に無理があったのだろう。現在ではボカロが歌って踊ったり、フォートナイト的なキャラがRPGするみたいなことになっているようだ。セカンドライフのセカンドライフはまだまだ続く。
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| ●恐竜はそんなに沢山いなかった? 2025.05.08 | ||
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ジュラ期や白亜紀には、地球上に多くの恐竜が生息していた。映画ジェラシックパークやジュラ期を再現したCG作品などでは、草原ではたくさんの草食恐竜が植物を喰み、その付近では肉食恐竜が草食恐竜を襲ったり、肉食恐竜同士が戦ったりしていたりもする。でもどうだろうか、あんなに高密度で草食恐竜が生息していたとしたら、地球上の植物はすぐになくなってしまい、あんなに頻繁に肉食恐竜に出くわしていたら、草食恐竜はすぐに食い尽くされてしまうだろう。恐竜が地球上に生息していた約1億6,400万年の間に、仮に人間がタイムスリップして行けたとしても、恐竜に遭遇することは、ほとんど無かったのではないかな。中生代は地上を恐竜が支配していた!的な言い方がされるが、正確には、中生代は恐竜という生物をたまに見かけることができた。が正しいのではないかな。日本人が日本で暮らしている限り、野生のワニと出会うことは一生無いように、肉食恐竜を見ることなく一生を終える草食恐竜もけっこういたんじゃないのかな。
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| ●文句を言うならやるな!やるなら文句を言うな! 2025.05.07 | ||
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文句を言うならやるな!やるなら文句を言うな!これって当たり前のハナシなのだが、世の中文句を言いながらやるやつがいかに多いか?ということだ。まあ何かを「やる」からには必ず多かれ少なかれ予定通りにいかないことがあったり予定通りに働かないやつがいたり文句は言うが何もやらないやつがいたりするのでストレスが溜まり文句も言いたくなるというもの。ということで、何かをやれば必ず文句は言いたくなり、何もやらなければ文句は言わないで済む。そして何もやらないで文句だけを言う、ということが最もコスパもタイパも高いということになる。ということで、今日も「文句は言うが何もやらない」ヤツが偉そうに文句は言いつつも何もやらないでいるのであった。
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| ●グーテンベルクエディター 2025.05.06 | ||
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2025年2月まではGoogleのブロガーを使っていたのだが、まったくもって閲覧者が増えない、というか減少の一途を辿り、1投稿のPVが5件とかになってしまっていた。で、3月からnoteに引っ越したのだが、これで1投稿のPVが10倍〜とかに増えていった。noteは基本的にタイムラインに沿って新しい投稿が最初に来るのではなく、常に全投稿を検索や関連で探せるようになっているので、面白い記事であれば、投稿後もじわじわとPVが増えていくところも興味深い。そして投稿ページのインターフェイスもWordPressのGutenberg(グーテンベルク)エディターみたいで使いやすい。そこで思ったのだが、確かWixの投稿インターフェイスもGutenberg方式だったし、他にGutenberg的なエディタを採用している主要プラットフォームとしては、Notion、Ghost、Webflow、Medium、TinaCMSなどがあるようだ。そもそも2018年にWordPressがGutenbergになった時は「何と使いにくい…」と感じたものだが、今では当たり前になってしまったようだ。当時は「何と大それたネーミングだ!」と思ったものであったのだが、今となっては、妥当なネーミングだ!とも思える。で、改めてMicrosoft Wordとか使ってみると、何とクラシカルなことか。。ちなみに金細工師、グーテンベルクは活版印刷術を発明したと言われているが、実際には既存技術を組み合わせて画期的な印刷システムを完成させた「革新的な統合と改良」だったと考えられているようだ。その中には金属活字の大量生産、油性インクの開発、プレス機の改良、大量印刷の実現、などが含まれているとのこと。集大成として印刷した「42行聖書」「36行聖書」「カトリコン」は、印刷の歴史上、大変貴重な資料となっていて、そのグラフィックデザインも、今見ても、非常に美して完成度も高い。てなことを考えると、やはり「何と大それたネーミングだ!」なのかもしれない。
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| ●印刷物にミスがあったときの責任 2025.05.05 | ||
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リーフレットのデザインが完成し、確認用のpdfデータをLINEグループに投げる。すると何人かの人が「ありがとうございます」とか「お疲れさまです」とか「ご苦労様です」とかのレス。しかし誰も「OKです」とか「これで発注してください」とか言わない。つまり内容を細かく確認していない。または投稿に対して確認はしないが反射的にレスだけしている。または確認はしたのだが自分がOK出すと万が一間違いがあった場合に自分の責任になるのを避けている。このような「責任はとりたくない」「あくまでも傍観者でいたい」といった人間が、最近やたらと増えているように感じるのは気のせいだろうか。誰かが「何かあったらオレが責任を取るから」と言ってしまえばみんなが楽になるのだはね。で、もし印刷した後に間違いが見つかったとしても、大した金額ではないので刷り直せばいいだけだし。問題は間違った印刷物を捨てるとき。これが結構重い(重量も気分も)。
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| ●やらない理由 2025.05.04 | ||
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この時代に及んで、LINE以外のSNSをひとっつもやってない人というのがいる。そしてそんな人たちの多くがSNSをやらない理由を長々と語る。そんなに語るのであれば、それをnoteやFacebookにでも書けばいいじゃん。言っただけでは誰も聞いていないし、語れば語るほど聞いてる人は「あ〜あ」という気分になる。5年前の「スマホを使わない人」、10年前の「ネットをやらない人」、20年前の「Suicaを使わない人」、25年前の「パソコンをやらない人」、50年前の「自動車免許をとらない人」、60年前の「テレビを観ない人」、80年前の「電話をかけない人」、みんな最後はやるハメになっているんだけどね。
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| ●イケメンとブサイクがビデオゲームに費やす時間 2025.05.03 | ||
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英レディング大学や中国の香港中文大学などに所属する研究者らが2024年8月に発表した論文「Looks and Gaming: Who and Why?」は、人の外見の良さとビデオゲームに費やす時間との関連性を調査した研究報告だ。その研究結果では(雑駁に言うと)、イケメンは、ビデオゲームに費やす時間が短く、ブサイクはビデオゲームに費やす時間が長いということだ。えっ?それってなにもそんなに大袈裟な研究をしなくたって、普通に考えれば想像のつくことなんじゃね?ビデオゲームが無かった時代でも、イケメンは、ルックスに自信があるから積極的に友達や異性と交流して楽しんでいたが、ブサイクは部屋に篭って、趣味や勉学に時間を費やしていた。のと同じでしょ。またこの研究では、イケメンは友達が多く、ブサイクは友達が少ないという研究結果も出た、ということ。だからそれって世界中の大多数の人間が知っていることだろ。そうじゃないかなーと思っていたことを実際に研究してみたら、やっぱりそうだった、というようなことに公費を使うなってことだ。他にも研究しなければいけないテーマはいくらでもあるだろ。
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| ●LINEはSNSでは無いらしい 2025.05.02 | ||
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メールの同時複数への配信はCCを使うのだが、LINEの場合はグループを作らないとこれができない。複数人トークとかリスト配信もできるが、このへんはややこしいので使っている人は少ない。メールの場合、CCされた人同士がその件についてメールでやり取りをするというケースはほとんど無いのだが、LINEグループでは、そのグループ内で相手を指定して送信することが可能だ。ただ、これが色々と問題を起こすこともある。誰それが誰それにだけに言った、とか、誰それは誰それが嫌いなようだ、とか、四方山話に花が咲き、これがエスカレートすると、LINE外し、や、裏LINEグループの発生、につながっていく。LINEはスタンプを多用することでスクロールを占領して、過去投稿がどんどん埋もれていってしまい見つからなくなるので、いずれにしてもビジネスでは使ってはいけない。ではあるのだが、LINEしか使うことのできない(メールは使えない)という人も少なくないので、こういった混乱は避けられないようだ。こういう人のことを、LINE民、非SNS層、クローズドユーザー、などと呼ぶそうだ。LINEはSNSでは無いらしい。
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| ●Gに耐えろ! 2025.05.01 | ||
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享保6年に飢饉が続いて食糧供給も滞り出生率が低くなったために一瞬人口が微減したという記録が残っているそうだが、それ以外は平安時代から2010年までは日本の人口は増加し続けていた。これが2010年以降にジェットコースターのように急激に減少するわけで、これは日本人の誰も経験したことが無い出来事であり、先が見通せずにあたふたするのも当然のことであろう。で、どうしたらいいか?なのだが、確実に言えることは、急降下するジェットコースターの「Gに耐えろ!」だ。
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