2025年6月
| ●おまえなんか、へんな顔のくせに生意気だ! 2025.6.30 | ||
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小学校時代「おまえなんか、へんな顔のくせに生意気だ!」などということを当たり前に言っていた。今の小学生はそんなことは言わないだろう。人権教育が浸透してきたことと、そんなことを言えば、こっぴどく怒られたり、相応の仕返しに会うということを知っているということもあるのだろう。しかしそれ以外の理由もある。実際に昔は「へんな顔」の子供がいたのだ。ルッキズムの問題にもなるのでなかなか語られることも少ないが、逆に言えば、現在では小学生を含めた子供全体が、容姿端麗で都会的な顔になりつつあるようで、明らかに標準からかけ離れた「へんな顔」に該当する子供はいなくなったように思える。食生活や住環境の変化などもその要因として考えられるが、ヤバいのは「へんな顔」が現代社会の中で淘汰されていったということだろう。淘汰が進むことで、個体により差異が少なくなっていき、何らかの大きな環境変化が起きたときに、人類は生き残れないかもしれなくなる。だから、頑張れ、へんな顔!
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| ●人間はどんなに頑張っても若返ることはできない 2025.6.29 | ||
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もし若返ることができたとしたら、、例えば60歳の人が20歳になることができたとしたら、40年間の経験や記憶はどうなるのだろうか?経験や記憶を維持したまま若返るとした場合、肉体は対応できるのだろうか?最新のデータを40年前のOSにインストールするのは無理ではないかとも思える。では40年間の経験や記憶は消える、と想定しよう。そうなると若返りに成功した瞬間の記憶も消去されるわけなので、本人的には若返ったとは思っていない。つまりその人が20歳の時と状況は何も変わらないということになる。ということは若返りに成功した人はすでに沢山いるのかもしれない(本人が気づいていないだけで)。というかそうなると沢山いるのではなく全世界の人間が同時に若返りに成功しているのかもしれない。そうなると多次元宇宙論的な話になってしまうので、現実の世界の話に戻すと、やはり人間はどんなに頑張っても若返ることはできない。そして時間というものがある限り、今の年齢を保つということすらできない。もしどうしてもそれがイヤなら、残された選択肢は死しかない。死んでしまうと今の年齢を保つということはできるが死んでいるので年齢維持に成功したことはやはり分からない。
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| ●若者が入ってこない 2025.6.28 | ||
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日本中のほとんどの組織、団体、グループ、チーム、会、などでは「若者が入ってこない」という共通の悩みがある。どこも老人で溢れ返っていて活性化や代謝ができないでいる。そりゃ全国的に少子化なんだから仕方がないんじゃないか?とも言えるのだが、それよりも問題は「老人が多すぎる」ということだろう。その老人たちも、もし自分が若いころだったら老人で溢れ返っている組織や団体に入りたいと思ったか?と思い返してみると良いだろう。絶対に入りたいとは思わなかったはずだ。だいたい老人は、話が長いし、声がでかいし、他人の言うことは聞かないし、同じことをなん度も喋るし、自分が考えを改めようとしないくせに若者を説教しようとするし、すぐにキレるし、すぐに怒鳴るし、柔軟性の欠片もないし、昔の話しばっかりするし、口だけは達者だが手は動かさないし、と言った具合で、しかもそんな老人が溢れ返っているんだから若者が寄りつくワケがない。もし本当に若者に入って欲しいならば、まずは自分たちが辞めろ!ってことなんだがね。という提案をすると、自分がなぜ辞めないかという理由を、でかい声で、キレ気味で、説教臭く、さもありげな理屈をつけて、長々と語り始める。
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| ●インドには22の公用語、数百の民族グループ、6つ以上の宗教がある。 2025.6.27 | ||
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インドには28の州と8の連邦直轄地がある。そしてその州ごとに異なった公用語が使われている。さらに公用語以外で実際に使われている言語は約400〜1,600なのだそうだ。彼らのステイタスは「インド人」という以前に、出身地域、使っている言語と宗教、それとカースト、なのだそうだ。とてもではないが「インド人」と一括りにできるようなものではない。そしてインドは「インド共和国」ではあるが、そこに住んでいる人たちは「インド連合」みたいに思っているようだ。日本に例えれば「国」よりも「藩」や「都道府県」を優先し、その周りをゆるーくまとめている「インド連合」がある、みたいなイメージらしい。そしてソ連が崩壊したようにそれまで統治していたムガール帝国が崩壊し、その後パキスタンとバングラディッシュが独立した。現在でも問題になっているカシミール地方は、このパキスタンが独立するときに、インドとパキスタンのどっちに行こうか迷ってるうちに取り残されてあらふたしてるうちに火薬庫みたいになってしまったようだ。とはいえ、ここ数年での成長速度は著しく、人口は中国を抜きトップとなり、GDPが日本を抜く日も間近である。
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| ●ロシアには約100〜150の言語、190の民族(民族集団)がある。 2025.6.26 | ||
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ロシアによる一方的なウクライナに対する侵攻。と日本や欧米では報じられているが、多くのロシア人はそうは思っていないらしい。彼らにとって「世界」とはロシア+ウクライナ+べラルーシであり、何かの拍子で間違って国境線が引かれているみたいだが、これは形式的なものであって有効ではない。そして「世界(ロシア+ウクライナ+べラルーシ)」の外には、色々な国があるようだが、詳しくは知らないし、知る必要もない。この「世界」の外に行けるのは、モスクワ近郊の一部の金持ちのロシア人だけであり、その他の田舎で暮らしているロシア人たちは、貧しい生活を強いられていて「世界」の外のことなどを考える余裕などないらしい。なんせロシアには190の民族(民族集団)が暮らしていて、約100〜150の言語が使われているらしい。民族の数だけでも中国の3倍以上なのだから、そりゃ統治するのも簡単ではないだろう。いつどこで内戦が勃発するかもしれないので、常に民族共通の敵を作っておかないといけないのかもしれない。これが崩壊する以前のソビエト連邦時代には、もっと多くの民族と言語があったということになるし、そりゃーえらいこっちゃわ。
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| ●中国には56の民族、130の言語、5つの宗教、がある。 2025.6.25 | ||
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中国人留学生が5〜6人履修している授業。お互い大学に来て知り合ったそうだ。そして彼らは授業中(恐らく授業以外でも)、お互いに日本語で会話をする。「どうして中国語で話さないの?」と尋ねると、中国語ではお互いに通じないとのこと。出身地を聞いてみると、大連(の近く)、上海(の近く)、深圳(の近く)etc..とバラバラであった。なのでそれぞれ方言が強くてお互いに通じないとのこと。一般的な日本人から見れば、中国人はみんな中国語を話し、文字には繁体字と簡体字がある、ぐらいにしか思っていないことであろう。ちょっと詳しい人は北京や台湾では「Mandarin」と呼ばれる中国語の標準語が使われ、他の地域では標準語の「Mandarin」は理解しているが、その地域ちいきでの方言も使っている。というぐらいの理解であろう。中国には56の民族、約130の言語(推定)があり、仏教、道教、イスラム教、キリスト教、チベット仏教と大きくは5つの宗教がある。56の民族、130の言語、5つの宗教、を取りまとめるって、えらい大変なことだろう。なかなか民主主義で、ってわけにはいかないのも分かるというもの。
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| ●パソコンが全くできない 2025.6.24 | ||
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パソコンが全くできない新採用が入庁した→毎回周囲の先輩に質問→周りも答える際にだんだんイライラしてくる→新採用はそのいライラを察知し萎縮し聞けなくなる→仕事がどんどん溜まっていく→勝手に処理しミス→ますます怒られて嫌になる→ついに出勤しなくなる。という事例があったとのこと。これって時代的には一過性なのだろうか?いずれはスマホ1台で全ての業務が完結するのだろうか?またはあの小さい画面では対応できない業務も多いため、しばらくの間はパソコンも必須となるのだろうか?それとも大画面モニターにスマホを接続して入力デバイスは全てスマホで完結できるようになるのだろうか?もしくはスマホからプロンプトを送信してAIが処理して何とかなるのだろうか?とはいえ、パソコンが全くできない老人にとっては、周回遅れの朗報である。
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| ●JA全中を売却する方針 2025.6.23 | ||
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いよいよJA解体が始まったか?「東京ど真ん中にビル不要」としてJA全中は売却する方針なのだとか。何やら「JA全中は全国の農協で使う新たな業務管理システムの開発に失敗し、200億円規模の損失を出した」とか、で、その穴埋めなのだそうだ。にしてもだ、「開発に失敗」って何だよ!失敗するものなのかよ?例えばハコモノの建設だったら、作ってる途中で失敗するってありえないだろう。当初予算をオーバーすることはあっても、最後まで作るだろ!途中で止めるなんてありえないし。でもまあ確かにシステム開発を外注するときに、依頼者側が何も分かっていないと、絶対に不可能なことを突然要求したり、簡単にできることをぐずぐず検討しているうちに足元を見られてボッタくられたりすることは、システムの開発業界の「あるある」だろう。自分ができないことを自分で勉強しようとしないで、誰かに丸投げすれば何とかなるだろうと思っているから、そういうことになるんだろ。やっぱそういう組織は解体したほうが良い。
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| ●ひな壇 2025.6.22 | ||
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テレビを見ていると、大勢の芸能人やコメンテーターがひな壇に並んでいるのが定番になっている。これは海外には無いパターンであるらしい。司会者が話を振り、リアクションやネタ披露が展開され、芸能人の「キャラ」や「ポジション」が明確になっていて、視聴者は出演者の掛け合いを楽しむというのがお決まりである。そして一悶着あった後にも、全員がなんとなくひとつの方向性で同意、納得するというのもお決まりである。その同意や納得の中には、特定の政治家や芸能人を「やっぱりあいつは悪いやつだ」と決めて締めくくるみたいなところもお決まりである。これって弥生時代から受け継がれてきた農耕民族の「コミュニティーの中でみんなが同意することに同意してしまう」という特性を利用した古典的な洗脳手段である。しかし近年ではネットの普及で、この古典的洗脳手段がだんだんと通用しなくなってきた。そしてテレビの影響力や優位性が失われつつあり、テレビというマスコミの傲慢さや無理矢理感が露呈されてきて視聴率もダダ下がりになってきている。ではテレビはどうしてるかと言えば、ひな壇の芸能人の数を増やし、より著名な芸能人をひな壇に座らせるという、サルでも思いつくような対策をするようになる。有名人をたくさん出せばその有名人のファンは絶対見るだろう!という姑息で場当たり的な手段だ。ということでひな壇に座る芸能人の数は修学旅行の集合写真のように日に日に増えていく。ばっかみたいだ。いずれにしても図体がでかくなりすぎてフットワークの衰えたテレビ業界というものの、終わりは見えているということだろう。
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| ●プレーヤーになれないから評論家になった 2025.6.21 | ||
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noteを見ていると、絵についての評論を書いている記事がいかに多いか?ということが分かる。そしてその多くは実際に自分では絵を描いていないようで、上っ面だけの評論であり「そうじゃないんだけどね」「誰かの言っていたことのほぼそのままだろ」「描かない人間は何でも言えるわ」というものも多い。これは絵に限らず、音楽、文学、スポーツ、芸能についても言えることであり、本当はプレーヤーになりたかったのだが、どこかの時点で自分には才能が無いことに気づき、「であれば評論家になろう」と思ったのかもしれない。しかし実際には同じことを考えている人間の数はプレーヤーよりもはるかに多く、競争率も高い。もちろん評論家として一定の収入を得るなんてことは奇跡に等しいので、さっさと、できるだけ早めに諦めたほうが良い。特に芸能の評論家ともなると、国民の半分くらいが、ほぼ芸能評論家である。なのでnoteで勝手なことを書いて「スキ」をもらうことを些細な楽しみにしているのだろう。まぁそれもひとつの生き方だけどね。
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| ●脳と消化器 2025.6.20 | ||
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生物は脳と消化器のいずれかが発達している。いずれも大量のエネルギーを消費するので、両方とも発達させるのは不可能らしい。脳が発達した生物はアタマを使って食料を調達する方法を考え、消化器が発達した生物はとにかく何でもいいから食べてしまいじっくり時間をかけて消化する。ということで人類は前者に該当するのではあるが、その前者の中でも、脳を優先的に使うタイプと、消化器を優先的に使うタイプがいるようだ。お勉強のできる子供は総じて好き嫌いが多く神経質で身体も弱かったりもする。好き嫌いが無く何でもガツガツ食べる子供はお勉強ができなかったりもする。お勉強もできて何でも食べる健康な子供もいるように見えるが、実は好き嫌いや体の弱い部分はあるのだが、それを表に見せないように工夫や努力をしていたりもする。好き嫌いが多く神経質で身体も弱くお勉強もできない子供もいるが、その場合は生殖機能がやたらと発達していたりもする。おいおいおまえのようなやつは子孫を残して欲しくないぞ!いや、そうではなく人類が生き残るための秘密兵器なのだから仕方がない、のだそうだ。
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| ●私はかわいそアピール 2025.6.19 | ||
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ネットが無い時代から脈々と受け継がれてきたのがこの「私はかわいそアピール」だ。主に中の下の人たちに好んで使われている。中の下の人たちだから、だいたいにおいて不幸である。そしてその不幸具合を大袈裟にアピールし続けるのが「私はかわいそアピール」だ。「あんたなんかまだいいわよ、あたしなんかね…」という枕詞で始まる。しかしなぜこのような人たちはこのようなアピールを行なっているのか?というと、「幸せ」をアピールした途端に寄ってタカってボコされるからだ。他人は自分よりも不幸であって欲しいというのが、この人たち界隈の人たちの常識なのだ。だから円滑なコミュニケーションの手段として「私はかわいそアピール」なのであった。だから言ってることは話4分の1ぐらいと思っておこう。
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| ●沸点のやたらと低い人間がいる 2025.6.18 | ||
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沸点のやたらと低い人間がいる。すぐに怒る奴だ。こういう人間は、怒ることで注目してもらいたい、怒ることで反論を抑え込みたい(自信がないから)、怒ることが美学であると思っている、などの要因があるようだ。まぁ、基本的には寂しがり屋で友達がいない人間に、沸点のやたらと低い場合があるようだ。逆に沸点のやたらと高い人間もいる。普段は何が起きても怒ることもなく、動揺もせずに、常に懐の深さを感じさせるような温厚な人間である。そんな人に対しては、どこが沸点なのかを試してみたりはしないほうが良い。もう一種類、沸点が無いという人間もいる。何が起こっても怒らないという種類の奴だ。こういう類の人間は平和主義者ではなく、単純に、勇気が無い、責任を逃れたい、悪者になりたくない、という、わかりやすく言えば「腰抜け」である。腰抜けではあるのだが、最初の印象は「沸点の高い人間」と見分けがつかない。ところが不思議なことに子供にはすぐに分かるみたいだ。だから沸点が無い人間に対して、子供は徹底的にバカにして、言うことは聞かないが、沸点の高い人間の言うことは聞く。きっと子供に対しては「怒らせるとめっちゃ恐いんだぞオーラ」を出しているのだろう。これが沸点が無い人間には無い。怒ったことが無いのだから無いのは当たり前である。もちろん「他人を怒る」ということは、それなりに消耗もするし、後味も良くないし、できれば避けたいものである。しかし「怒る」という手段以外に解決方法が無いから怒るだけなのだ。それと、子供は「怒られたい」という気持ちをいつもどこかで持っている。それは、認められたい、注目されたい、という欲求に繋がっている。だから「沸点が無い人間」は、何だこいつダメじゃんと思われてしまっているだけなので、言うことなどは当然聞かない。
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| ●安全運転 2025.6.17 | ||
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思っていること、考えていることを、全部口に出したり、LINEに書いたりするから、人間関係がぐちゃぐちゃになるのだ。人間は一人ひとりがそれぞれ個別のアイデンティティを持ち、個別の欲望や興味を持ち、個別の経験や特性を持っている。だから他人の言っていること、書いている内容に対して100%同意することなんぞ有り得ない。ということを前提にしておけば、思っていること、考えていることの、うちの多くの人が同意できるであろう部分のみを、口に出したり、LINEに書いたりしておけば良い。となると、思っていること、考えていることの、だいたい20%ぐらいになるんじゃないかな。放出2割、余力8割で、安全運転しておこう。
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| ●SNSをやっていない人は情弱 2025.6.16 | ||
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SNSをやっていない人がSNSをやっている人にお願いする「あるある」のこと。「このことをあなたのSNSにも掲載してくれないか?」という安易な依頼。SNSをやっている人にとってはそんなことはまっぴら御免だ。断れない相手だとしてもまっぴら御免である。どうしても断れなくていやいや掲載したとしても、そのアクセス数や「いいね」の数は極小となる。SNSをやっていない人から見ればフォロワーが1000人いるのだから100人ぐらいは「いいね」してくれるだろうと思っていたらしい。SNSをやっていない人は自分が情弱であるということが分からない。だからSNSをやっている人というのは、インターネットの世界と広く繋がっているというような漠然としたイメージしか持っていない。SNSというのはお店である。お店なので商品を売っていて、商品を買う=「いいね」する、みたいなシステムなのだ。個人商店なので商品の種類と数には限りがある。馴染みの客やリピーターも多い。そして小さなお店だが、ここまでくるには、それなりにコツコツと努力をしてきている。そのお店で売っているものは、特定の趣味や技能に特化している場合も多い。それは特定のアニメキャラのフィギュアだったりもする。SNSをやっていない人はそのへんの事情が分かっていないので、地元の漬物をアニメキャラのフィギュア屋さんに持ってきて「これ売ってくれないか?」と言う。と、これを説明すると、いかに自分の行為が恥ずかしいことであり、自分が情弱であるかということが分かるというもの。いずれにしても今の時代に何もSNSをやっていないということは情弱街道まっしぐらだ。ちなみにLINEやってるだけじゃダメだぞ。
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| ●イランがイスラエルに報復攻撃を本格化か 2025.6.15 | ||
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1095年、東ローマ帝国はイスラム勢力(特にセルジューク朝トルコ)に圧迫されていたため、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援要請を出した。これを受けてウルバヌス2世は「クレルモン公会議」での演説を行い、キリスト教徒たちは「聖地エルサレムを異教徒(イスラム教徒)から奪還する」という宗教的使命感のもと、第一次十字軍(1096〜1099年)が始まった。第一次十字軍はエルサレムの奪還に成功したとされているが、実はその前に農民や女性、子供を含めた第ゼロ次十字軍(もどき)がエルサレムに向かい、異教徒に瞬殺されたとのこと。これはの聖地エルサレム奪還が、侵攻というよりも贖罪を目的とした聖地巡礼みたいなもので、エルサレムを目指すことで、死後に救われるということを信じた人たちの巡礼であった。そして第一次十字軍はエルサレムの奪還に成功した後に、十字軍国家を樹立し、中東にキリスト教支配の拠点を築いた。しかしイスラム勢力は十字軍国家を「侵略者」と見なして対立が絶えなくなった。そして1187年、イスラムの英雄サラディンがエルサレムを再奪還。その後強大な兵力の第三次十字軍は再び派遣されるが、統率が取れずに完全な奪還はできなかった。そんなことを繰り返していくうちに今でも紛争が絶えないのが、イスラエル付近の国々の動向である。これからもこの紛争は千年続くのであろうか。
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| ●絵が上手い、と、絵が魅力的、とでは全然違う 2025.6.14 | ||
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絵が上手い、と、絵が魅力的、とでは全然違う。いくら上手くても魅力が無い絵というのは掃いて捨てるほどある。そして絵の価値、または絵の評価というのは、決して上手い下手ではない。このことは絵の展覧会などの審査員をやってみるとよく分かる。にもかかわらず上手い絵のほうが優れていて価値が高いと勘違いしている人がいかに多いことか。そして上手い絵の多くは、描く過程で冒険やトライアルをしていない。絵にはその制作過程での作者の試行錯誤した心境の変化や感情の起伏が埋め込まれ、蓄積されていくから、見た人はそこにストーリー性や物語を感じて、魅力的な絵になっていく。しかしそれでも上手い絵のほうが評価が高いと思っている人が多いということには、いくつかの要因がある。まず1つ目は、ピカソの作品の凄さを理解している人が少ないということ。「ピカソ=凄いんだ」というバイアスがかかった状態で見ているから、凄いという風に感じるだけであって、感覚的には凄さを感じていない。写実では無い絵の見方が分からない人間が多いということ。2つ目は、美術展に出展される作品の多くが、写真を見て(参照して)描いているということ。元が写真だから、一瞬を切り取った画像でしかない。だから展覧会場全体が時間が止まったような錯覚に陥る。となると、仕方なしに筆使いのテクニックみたいな部分で優劣をつけざるを得ない、みたいなことになってしまうということ。そして3つ目は、上手い絵はたくさんの人が褒めてくれるが、魅力的な絵は褒めてくれる人が少ないということ。ところがその褒めてくれなっかた人たちは、その作品が賞でもとれば、こぞって褒めに来るんだよな。
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| ●永久にやらないことのリスト 2025.6.13 | ||
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面倒臭いことを後回しにすると余計に面倒臭くなり、それでも後回しにすると自分では処理しきれず、永久に「やらないこと」のリスト入りをする。そうなることは日本国民全員が、夏休みの宿題で体験しているはずだ。しかし多くの日本国民は、このことが分かっているにもかかわらず、分厚い「永久にやらないことのリスト」を持っている。人によってはこの「永久にやらないことのリスト」のほうが「今までやったことのあるリスト」よりも分厚くページ数が多かったりもする。ということで、学力が高い人ほど、または教養がある人ほど「永久にやらないことのリスト」のページ数が少なくぺらっぺらっだったりもする。しかしこの「永久にやらないことのリスト」を持っていない、または持っていても完全に白紙、という人はいない。そして「永久にやらないことのリスト」に書いたにもかかわらず最後にはやってしまうということもある。それが「死」である。
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| ●らくらくスマホとかかんたんスマホ 2025.6.12 | ||
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らくらくスマホとかかんたんスマホとかいうのがあって高齢者はこういうのを使っているのだが、これらが本当に楽ちんであったりカンタンであったりすることはない。使いこなせるわけがないということは分かっているのだが金を持ってる高齢者に売りつけるというdocomoやauの悪質な商売である。そもそも高齢者はマルチタスクではないしキャッシュを脳内にメモっておくことができないしハイパーカードの概念が無いのでどんなにカンタンにしてもスマホを使いこなせるわけが無いのだ。だからほとんどの高齢者はらくらくスマホとかかんたんスマホを電話としてしか使ってない。そして結局は家デンを未だにメインで使っている。じゃスマホいらないじゃんという話になるのだが、やっぱり外からかけることもあるので解約できずに毎月高い使用料を支払っている。さらに悪どいのは、家デンとスマホをセットで契約すると、ぐっと安くなるということ。これは、仮に家デンを解約すると月々のスマホの支払いが高くなるということ。家デンも解約されないように上手いことやってやがるということだ。なんか、もう貪りし放題だな。
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| ●井の中の蛙 2025.6.11 | ||
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”井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る”そりゃそうだろう。通常、井戸というのは海からは離れたところに掘る。岩盤や地形によっては海から100mのところに掘っても大丈夫な場合もあるが、一般的には海から300〜500m離れたところでないと海水の塩分が混入して井戸としての役割を果たさないらしい。もっともそれは”最低で”の話であって、海から数キロ以上離れたところにあるのが井戸というものだろう。なので井戸の中の蛙が井戸から出たところで海を見ることはできないというのが普通であり、仮に300mのところが海だとしても蛙の大きさでは海までたどり着くのは簡単ではないはずだ。だから海の大きさを知ることはけっこうムズいということにはなるのだが、でも空の蒼さは井戸の中から見上げても見ることはできるだろう。とまぁ、ここでの「蒼さ」は色ではなく、スケール感を言っているのだろうけど。でもやっぱり蛙は海を見ることのできるところまでは辿り着けないというのが前提のようだ。てか蛙は両生類なので塩分にとっても弱く、海を見に行く予定も目的はないはずだ。蛙は海に入ると死むし。
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| ●カブトムシの天敵はスズメバチ? 2025.6.10 | ||
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カブトムシが夜行性なのは、昼間は樹液を吸う時にスズメバチと競合するためだ!なんてことが、どっかの大学の研究者だか小学生の観察結果だとかで、さもありげに言われているが、これは嘘だ。そもそもカブトムシは昼間でも樹液を吸いに来る。そして夜であればカナブン、クワガタ、カミキリ、蛾、カブトムシ同士でも熾烈な樹液場所取り争いをしている。これが昼間であればカナブン、クワガタ、カミキリ、蝶、スズメバチが樹液場所取り争いになり、スズメバチだけが競合相手ではない。そしてカブトムシの成虫(特に♂の)活動時期は7中旬〜8月中旬で、8月中旬過ぎると多くは死んでしまう。対してスズメバチは9〜10月が最も活動が活発になる時期なので、両者が活発な状態で遭遇する時期は限られている。そもそもスズメバチは4月から11月まで活動しているので、スズメバチから見ても約1ヶ月の間しか出くわすことのないカブトムシが本当の敵とは言い難い。昼間の樹液場でのカブトムシの強敵といえば、最近個体数を増やしている外来種のアカボシゴマダラ(蝶)ではないだろうか。口から黄色いストローを出しながらガシガシと樹液を求めて歩く姿には。蝶としてのエレガントさや儚さの欠片もない。それと昼間の天敵はカラスである。カラスに腹側だけを喰われたカブトムシの「殻」を雑木林の中で見かけることがある。そういう意味では、確かにアカボシゴマダラやカラスが来ない夜のほうが安全だとは言えるんだけどね。
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| ●似てるからといって一体化したらダメなもの 2025.6.09 | ||
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似てるからといって一体化したらダメなものの代表例がテレビとパソコンだ。富士通「FM TOWNS」、ソニー「VAIO」シリーズ(一部モデル)、NEC「VALUESTAR W」シリーズ、東芝「Qosmio(コスミオ)」シリーズ、最近ではLGやASUSの一部モデルではテレビとしてもPCモニターとしても使えるタイプもある。ただしどのモデルの売れ行きもパッとしなかった。それもそのはずで、受動的な使われ方をするテレビと、能動的な使い方をするパソコンを一体化したところで、誰がどこでいつ使うねん?ということだ。大して売れなかったので大幅に値下げされて、同じスペックでテレビ無しのモデルよりも安くなったので、結局はパソコンとして使われるケースが多かったとか?じゃ、能動的なもの同士での一体型であれば売れたのか?というとそうでもない。 自動車が登場しはじめた頃、馬車にエンジンを取り付けたものが実際に登場しているとのこと。もちろん売れなかった。つまり、これからのモノと滅びゆくモノを一体化したところでニーズは無いということだろう。
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| ●半分廃墟化した農家 2025.6.08 | ||
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半分ゴミ屋敷化して半分廃墟化した農家というのをよく見かける。木造の母屋は老朽化して今にも崩れ落ちそうなのだが、その母屋に繋がってバブルのころに増築したであろう洋風の建物。その洋風な建物のテラスには洋風な白い椅子が数脚積み重ねられていて、その傍には中味がゴミであろうことが容易に想像できる濡れて腐りかけた段ボールが8個ぐらい(腐っているので性格な数が分からない)。母屋のほうも玄関と土間には正体不明の段ボールの山。ガラス戸の隙間から見える室内にも積み重ねて崩れかけている段ボールの山。と、その奥に洋風のリビングがあり、ソファーやテーブルがあるのだが、どちらもガラクタ置き場になっていて住人は床に座ってちゃぶ台を置いてそこで食事をとっている。母屋の向かい側に木造でトタン葺きの納屋があるのだが、目視で分かる程度に傾いている。軒下には何年も使ってないであろう赤い耕運機が2台。大きなビニールを巻いた筒が数本重ねて置かれていて、小さなベルトコンベアみたいな機械や、スコップや鍬などが無造作に置かれている。その納屋の奥には離れの木造の便所。こちらは完全に朽ちて原型は半分ぐらいしか残っていない。そんな半分ゴミ屋敷化した農家の玄関先で、落ち葉を丁寧に掃き掃除をしている若奥さん。いや、これってたぶん農業機械や農協ができて下水道や電気が来る前のライフスタイルがそのまま受け継がれようとしたが故のバグなんだなぁー。と思った。
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| ●今までの暮らしをどう維持できるか? 2025.6.07 | ||
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NHKのニュース。ここのところの物価高対策の話題。「今までの暮らしをどう維持できるか?という課題に取り組んでいかなければ…」的なことを言っていた。おいおい、国営公共放送がそんなこと言ったら国民がその気になってしまうではないのか。今の日本は、高齢化が進み社会保障費も増大している。少子化が加速して人口が減少し労働人口はダダ下がりである。そしてかつてのように海外でバンバン売れるようなプロダクツも作れなくなっている。日本クオリティのものを中国や東南アジアで激安で生産できるようになっている。円高も進んでいる。日本で作った製品は海外で売れなくなってきている。どう考えても「今までの暮らしは維持できない」ということになる。今までの暮らしは必要以上に贅沢であり過剰消費であった。それを正常に戻すというだけのことだ。身の回りには「無くても生活に困らないモノ」は、まだまだ掃いて捨てるほどあるだろ!何のこたあない。昭和40年ごろに戻ればいいだけの話だ。便所はぼっとん式だけどね。
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| ●Windows11の微妙なアップデートは困る 2025.6.06 | ||
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Windows11では、2024年11月から、それまでバンドルされていた「ペイント3D」がバンドルされなくなり、代わりに「ペイント」がグラフィックソフトウェアとして推奨されているとのこと。そもそも2次元のグラフィックソフトに「3D」と名前をつけてしまうところが、Microsoftの未来予測の甘さだったようだ。3Dグラフィックを扱うユーザーというのは限られていてマーケットもそれほど大きくはないはずだ。というわけで「ペイント3D」を使う人は思ったより少なく、結局元の「ペイント」に戻すことになったというお粗末な話。またWindows 11の右クリックメニューが、Windows11 24H2からメニューでの表示項目が少なくなり使いにくくなったという人もいるので、これをWindows11 23H2と同等に戻す方法というのがネット上で紹介されていた。大学の課題で、こちらで予めアップロードしておいたhtmlファイルを、学生がダウンロードして確認する、という作業を行なった。ところがダウンロードしたファイルを右クリックすると必要なメニュー項目が表示されなくなっていた。そこで「Windows11 23H2と同等に戻す方法」というのをやってみたのであるが、どれも不発だった。そもそも23H2と24H2の違いって何なんねん?大学のWindows 11が自動アップデートさせられてそうなったんかいな?と、どんどんと疑問は深まっていく。同時に学生からも「右クリックメニュー出ませ〜ん」というクレームが相次いだ。で、いろいろといじくっているうちに「ダウンロードフォルダの中のファイルでは右クリックメニューで表示される項目が限られている」ということが分かった。デスクトップに移動すれば解決するのだった。という単純なものだったが、だいたい23H2から24H2という微妙なアップデートをするから混乱するのだよ。そもそも何で「ダウンロードフォルダの中のファイルでは右クリックメニューで表示される項目が限られている」んだよ?
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| ●震電 2025.6.05 | ||
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震電(しんでん)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が試作した局地戦闘機である。米軍爆撃機B-29の迎撃用として開発された海軍の局地戦闘機で、前翼型(エンテ型)といわれる形状で、胴体後部にプロペラのある特異な形を特徴とした戦闘機。試験飛行まで行われたが、実戦に使われることなく終戦を迎え「幻の戦闘機」と呼ばれた。その形状がユニークでスタイリッシュなこともあり、今でも戦闘機ファンの間での人気は高い。映画「ゴジラ-1.0」では、時代背景が日本の戦後間もなくということもあり、米軍に没収されずにたまたま残っていたこの震電に、主人公の元特攻隊員が乗り込み、最後にゴジラの口に、爆弾を積んだ震電で突っ込み、ゴジラを爆破することに成功するが、その直前に自分はパラシュートで脱出して、無事に帰還するというもの。ただし実際に震電は、前翼型ということもあり、設計上いくつかの問題を抱えていたのも事実であったようだ。その1つがパラシュートによる脱出装置であった。通常戦闘機の脱出装置は、キャノピー(風防)を手動で開いて自力で機外に出るという方式であったが、震電の場合、後方にプロペラがあるため、機外に出た直後のプロペラに巻き込まれて操縦士がミンチになってしまうということになる。 そのため座席ごと小型の爆薬で機外に打ち上げる仕組みにしていたはずだが、その打ち上げる高さや、速度、爆薬の量などは、何度も実証実験をしてみないと分からないはずであり、ぶっつけ本番ではあまりにリスクが高いだろう。また脱出時には、プロペラブレードを爆発ボルト(火薬)で吹き飛ばす仕組みが組み込まれていたとも言われているが、これもその爆破のタイミングや威力を実証実験してみないと分からなかっただろう。というか、そもそも零戦など日本の戦闘機は防御も簡素で脱出も非常に難しい構造になっており、燃料タンクが操縦席の近くにあり、火災で逃げられない事例も多く、脱出のための仕組みがほぼなかったため、最後まで戦う=死亡覚悟というケースが多かったようである。さらに、震電は幻の高性能局地戦闘機というイメージが植え付けられているが、実際には普通に飛ぶことさえままならないポンコツだったらしい。設計製造は「九州飛行機製作所」という会社が担当したが、彼らはそれまでに高速で飛ぶ航空機を作った経験もなく、局地戦闘機のノウハウもほとんど無かったらしい。また前翼型(エンテ型)は過去にも世界中で作られてきたが、まともに実用化された例もほとんどなかったとのこと。震電=夢物語だけが勝手に独り歩きした機体、ということのようだ。
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| ●追い詰められると目先のことしか考えられなくなる 2025.6.04 | ||
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人間は追い詰められると余裕が無くなり目先のことしか考えられなくなる。例えば震災で避難所生活を強いられたとき、明日食料がちゃんと支給されるかどうか?飲料水は?トイレは?寝る場所は確保できるかどうか?という至って目先のことを優先して考えなければならない。遠い未来のこと、10年後の将来のこと、などは考えていられなくなる。これは時間軸だけではなく、空間軸についても同じだ。避難所生活をしていれば、自分のこと、家族のことを考えるのが精一杯で、隣町のことや、他府県のことなどは考えないはずだ。増してやウクライナやパレスチナで起こっている戦争のことなどは眼中に無いはずだ。従って、国民の多くの生活が苦しくなって余裕がなくなってきている現状では、国際情勢や世界経済の話をしても、国民の多くは、聞く耳を持たなくなっているということだ。だから国や政府は、もっと身近な、生活に直結した問題を優先的に取り組まなければならない。でもまぁ、芸能人のスキャンダルのニュースには、みなさんあれだけ喰いついているということは、まだまだ余裕があると思ってよいのかもしれない。
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| ●大切なものの価値 2025.6.03 | ||
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人間は、失うことでしか大切なものの価値を知ることはできない。ただしある程度の教養のある人間であれば、それを失う以前にも、その大切さを分かっていることであろう。ところが教養の有る無しにかかわらず分かっていないのが、所謂コレクターと呼ばれる人たちのコレクションの価値だ。それは骨董品だったりフィギュアだったり衣料品だったり書籍だったりメディアだったりと実に色々とあるのだが、その所有者が亡くなった場合の親族が、その処理のために膨大な手間と時間を費やすことになってしまうのは、あるあるな話だろう。中には貴重で価値の高いものもあれば、本人の思い込みだけで、客観的な価値はゼロというのもある。と、それを分別するだけでもタイヘンな作業となる。仮に面倒だからまとめて廃棄処分するにしても、ものによっては、それなりの手間と費用がかかってしまう。その廃棄する状況を、もし生前の所有者が見ていたとすれば、さぞかし悲しみ気が狂ったように静止しようとすることだろう、などと想像するのではあるが、でもそれって失っても誰も困らないという点では、大切なものではないのだろうな。というか、失われずにそのまま存在するだけで、大いに周囲を困らせるという点では、そのコレクションの価値は総じてマイナスである。
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| ●ギャンブラー 2025.6.02 | ||
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ギャンブラーというと、英語では危険を恐れない勇気のある人、というニュアンスがある。しかしギャンブル依存症は、ギャンブルにのめり込んでコントロールができなくなり、日常生活や社会生活に支障が生じる精神疾患のことだ。つまり病気だ。というか、病気になる前に、例えばパチスロやる前に、何でこんな立派なパチンコ屋の建物が建てられるのか?宝くじ買う前に、何であんな有名な俳優を使ったCMを地上波でばんばん流せるのか?ということを考えてみれば分かるだろうに。全部おまいらから巻き上げたカネを使っているからなのさ。そしてそのカネを上納するために、今日もパチンコ屋や宝くじ売り場に通うアタマの悪い人たち。
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| ●「お金」は無くなるのか? 2025.6.01 | ||
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高齢者やITリテラシーが低い層の人間のため、 災害や停電、システム障害等の対策のため、などに一部「現金」は残るであろう。しかしメリデメを考えれば、近い将来には世の中のほとんどはキャッシュレスになるということは確定している。てか、もっと先のことを考えれば「お金」というもの自体がなくなるだろう。そもそも物々交換であったものが、それではメンドクサイということで「お金」というものを人類は考えだした。しかし社会が高度化してきて、必要なものを必要な量だけ社会が供給できるようになり、人々が必要なものを必要な量だけ生産できるようになれば、「お金」はいらなくなるはずだ。しかしそうなるのは、守銭奴のDNAが人類から完全に消えてからになると思う。
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