2025年8月
| ●本を買っても完読する人は少ない 2025.08.31 | ||
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例えば本を買う。もちろん価格とかジャンルとかにもよるが、最後まで完読する人の割合は決して多くはない。ちょっと読んで止めてしまう人、とりあえず買ってみたものの「後で読もう!」とか言って結局は積読にする人、読む前に誰かにあげちゃう(貸しちゃう)人、半分読んでBOOK-OFFで売っちゃう人、などなど様々であろう。逆に言うと、完読しない人にまで売らないと販売部数目標には到達しないわけだ。もちろん本だけでは無い。文房具、工具、健康器具、衣料品など、多くの「商品」は、使わない人、にまで売らないと利益は出ないのだ。という具合に多くの消費者はモノを買うときに深くは考えていない。思いつき、衝動、場当たり的、に購入という行為を行なっているのだ。そんな愚かな消費者の多くが有権者でもあるのだから、まともな政治家が選ばれるわけもない。
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| ●有能な人間はと無能な人間の違い 2025.08.30 | ||
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有能な人間は忙しくても「忙しい」とは言わない。無能な人間は大して忙しくなくても「忙しい忙しい!」と言っている。そもそも忙しいには基準も無ければ数値化もできないのではあるが、無能な人間は段取りと整理ができない。だから「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と勝手に焦りまくりパニックになって、大して忙しくなくても感覚的に「忙しい」と強く感じてしまう。有能な人間は、仕事をプライオリティーと納期と難易度で分類している。だから予め無理な仕事は断るし、間に合わない仕事はバッファーを持った納期で受注するし、割に合わない仕事は外注に出す、とかの方法で捌いていく。ということで、有能な人間は、無能な人間が焦ってアタフタしている間に、ゆったりと余暇を過ごしていたりする。つまり有能な人間も無能な人間も、やっている仕事の質も時間も大きくは変わらない。無能な人間は、勝手に焦りまくりパニックになってアタフタしている時間が長いというだけのハナシだ。
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| ●オンラインの対義語は何と言う? 2025.08.29 | ||
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「オンライン」の対義語は何と言うのか?そのまま訳せば「オフライン」になるのだが、これでは意味が通じない。ラインがオフであることは分かったが、それで何をする?ということになる。そこで使われるのが「オンサイト」ということになるが、これはビジネスやIT業界限定みたいで、決して一般的とは言えない。ウェブサイトがオンの状態、みたいで、やっぱり繋がってる?とも思えるし。となると、やはり「対面」や「リアル」、「現地」ということになるのだが、言葉としては腑に落ちない感じもする。ただし、対面授業、対面会議、というふうになれば、まぁそうだよな、てな感じもする。では「オフ会」の対義語は何と言うか?「リモート飲み会」とでもしておこうか。いずれにしても言葉が定着する前に、時代がどんどん移り変わっていくから、どうしても言葉も場当たり的になってしまうのは仕方が無いんじゃねーかな。そもそもインターネットができる以前は、世の中全てが「オフライン」だったわけだし。
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| ●あれもこれも 2025.08.28 | ||
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スティーブ・ジョブズは「iMac」の広告宣伝について、クリエイティブ・ディレクターのケン・シーガルに相談に行った。ジョブズが「iMac」について説明している間、シーガルは机の上で紙をまるめていた。5つの紙をまるめ終わると、その5つのまるめた紙を、一度にジョブズに向かって投げた。慌てて手を出して受け止めようとしたジョブズの手には、丸めた紙のうちの1つしか入っていなかった。「人が受け止められるのは1個だけ。5個も6個も投げても意味は無い」と言ったというのは有名な話。有名な話なのだが、いまだに広告宣伝となると5個も6個も投げたがる人がまだまだ多い。いかにシンプルに、いかに短い時間で、いかに印象的な言葉で、いかに多くの回数を、PRすることが大事であるか。テレビのCMがなぜ15秒なのか? 小泉純一郎がなぜ「郵政民営化」という言葉だけで総理になったのか? とかを考えてみよう。
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| ●タクボンはなぜ執拗に市長の座にしがみ付いているのか? 2025.08.27 | ||
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タクボン(田久保まき伊東市長)はなぜ執拗に市長の座にしがみ付いているのか?と多くの人が疑問に思っていることだろう。東洋大学を除籍になった→卒業と偽るために偽の卒業証書を作ってチラ見させた→もう一度見せろったって見せたら偽物ってバレるだろ→弁護士の金庫にしまっておいて絶対に見せない。というのが誰もが想像する実情だろう。しかしここまで雪隠詰めの状態になっているのだから、本人的にも辞職したほうがよっぽど楽になるはずなのになぜ辞めないのか、と誰もが疑問に思うところ。でもその答えはシンプルで、伊東市長の月額給与は約 85万5,000円で6月・12月の年2回支給される期末手当は1回約180万円。だから長く居続ければ居続けるほど、この金額が自分のものになるわけだ。そして市長選挙に出馬するのにかかる費用は恐らく1000万を超えているだろうから、これを回収するためには、ざっくり1年は居続けなければいけないという計算になる。つまり今辞めると大幅な赤字になってしまうわけだ。だからどんなに批判されようが執拗に市長の座にしがみ付いているんじゃないかな。例えば今会社を辞めれば500万の借金が残るが、どんなに辛くてもあと半年がんばればチャラになる、とすれば皆さんもあと半年がんばるんじゃないかな。
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| ●白とか黒は色ではない 2025.08.26 | ||
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「好きな色は?」と聞かれて「白」とか「黒」と答える人がいる。おいおい白とか黒は色ではないぞ。だから色の無いテレビは白黒テレビ、色の無い写真を白黒写真と言うのだ。「色を使わないで絵を描け」と言われれば墨や鉛筆で白黒の絵を描く。白と黒は色相とは別のレイヤーなのだ。白は光で黒は闇だ。だから「目を白黒させる」「白い目で見られる」「俺の目が黒いうちは」「頭の中が真っ白になる」「腹黒い」「白ける」「白を切る」「白紙に戻す」「白黒はっきりさせる」「白いものでも黒と言う」「黒白を弁せず」というように光と闇、善と悪、を対比したような表現に使われる。また「素人・玄人」のように音だけが白と黒の対比の意味が残っているものもある。まあ世の中の事象は一般的に、大きく白か黒かに分類することができるのだが、どっちともつかないものがグレーゾーンとも言うのであるが、さらにこれに着色して色相を混ぜると余計に白か黒かが分からない「玉虫色」になる。
だから絵画においても、白黒で描かれた作品では、その描いた人の実力が明確に分かるのであるが、色を使うと上手いか下手かの実力が全く分からなくなる。だから素人ほどすぐに色(有彩色)を使いたがる。
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| ●こいつらがそろそろ一掃されてきたから 2025.08.25 | ||
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学校法人「産業能率大学総合研究所」が今年度入社の新入社員を対象に実施した調査で、旧来の年功序列型の人事制度を望む声が成果主義を上回ったというニュースが話題となっているようだ。しかしこれって当然の結果ではないのだろうか。働く身になってみれば、一生懸命働いて成果を出すよりも、居るだけで自動的に給料が上がる方が全然ラクチンなはずだ。ではなぜ今まで年功序列制度が嫌われていたかというと、全く能力がないくせに部下の出した成果をあたかも自分の成果のように装い、口では偉そうなことをほざくくせに自分では全く手を動かさず、自分の部署では他部署の悪口を言いまくり他部署では自分の部下の悪口を言いまくり、何か問題が起こると有給を取って出社しなくなり、くだらないダジャレを誰かがウケルまで何度も何度も言い続け、飲み会では誰も隣に座らず、たまに書くレポートは何を言ってるかが全く分からず、こんなバカ上司の下ではこれ以上仕事はしてらんねえと言って優秀な部下がどんどんと辞めていき、陰では無能穀潰し給料泥棒と囁かれ、会社にとってマイナスでしかない無能上司がまだまだ沢山おったからであろう。と、こいつらがそろそろ一掃されてきたから、年功序列型の支持者が増えてきたのじゃろう。
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| ●日本のプロ野球はなぜつまらないのか? 2025.08.24 | ||
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言うまでもないがスーパースターがMLBに行ってしまって日本にいるのは出涸らし選手ばかりだからだ。昔は「昨日、巨人勝った?」が挨拶だったが、今は「今日、大谷はホームラン打った?」が挨拶だ。もはや国民の興味はMLBだ。MLBはチーム数が多い(30球団)から仕方無しにやっているプレーオフを12球団しかない日本でやるなよ!あとオールスターゲームは1試合にして監督推薦とか無くせ。MLBは打って点を取ることを目指しているが、NPBはいかに打たれないで点を取られないか、ということを目的にしているから、点が入らず試合が面白く無い!それと点の入らない延長戦をいつまでもやるな。延長10回からはタイブレークにしろ。タイブレークがいかに面白いかは、高校野球で多くの国民は知っているはずだしな。それと、弱いチームにはファンはもっと冷たくしろ。負けても負けても負けても観客が減らないのはおかしいだろ。
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| ●自動車 2025.08.23 | ||
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「ねえ、見てみてあのクルマ、ハイブリットって書いてあるよ!」「あ、ほんとだ。ハイブリットってことはガソリン燃やして走るんだ!信じられな〜い。」「ほんと野蛮だよね。」「ねえ、見てみてあのクルマ、もっとすごいよ!ほら、人間が運転してる!」「あ、ほんとだ!やだ〜。人間が運転してたら『自動車』って言えないよね」「そうだね、でも人間が運転してるクルマなんて、危なっかしくて誰も乗らないよね」「運転している本人以外はね!」「人間はいつ事故るか分かんないってこと、分かってないいんじゃない?」「棺桶運転しているみたいなもんだよね」と、そんな時代が来るのは、もうすぐである。
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| ●承認欲求のためなら何でもやる 2025.08.22 | ||
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カネのためなら何でもやったのは昭和の人間だ。令和の人間は承認欲求のためなら何でもやる。InstagramやXでアカウントを取得して毎日投稿してもアクセスも伸びなければ「いいね!」の数は増えない。他人のアカウントをフォローして他人の投稿に「いいね!」する、といった作業を継続的に行わないと、フォロワーも増えなければアクセスも伸びなければ「いいね!」の数も増えない。そしてこの令和の人間の特性である「承認欲求のためなら何でもやる」という挙動は、いかに令和の人間が世間から承認されていないか?ということの裏返しのようでもある。そう思うとフォロワーがたっくさんいる人って何だか可哀想にも思えてくる。一方、昭和の人間は、フォロワーとアクセス数と「いいね!」を増やすためにはまずはコンテンツが大切だ!と思うのであるがそうではない。最も大切なのは広告宣伝である。コンテンツは二の次である。だから既に知名度という広告宣伝が済んでいる芸能人が書いた本が売れるということだ。もっともゴーストライターが書いているからコンテンツもそこそこ面白いのではあるが。とはいえ、フォロワーとアクセス数と「いいね!」を増やすためにはまずはコンテンツが大切だ!と勘違いして、コンテンツのクオリティを上げていくのだが、相変わらずフォロワー数もアクセス数も伸びない昭和思想の人間は「だからネットは嫌いだ!」ということになる。
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| ●勉強する気が1ミリも無い大学生 2025.08.21 | ||
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勉強する気が1ミリも無い大学生。世に言うFラン大学ではそんな生徒が大半だ。彼らは遅刻して教室に入ってくる。そしてなるべく後ろのほうの席が空いていないか必死で探す。席が見つかると周囲の友達と大声で話たりバカ笑いをしたりする。遅刻してきたことを悪びれる様子もなく、バカ笑いが終わるとスマホをいじり始める。スマホをいじり終わると机に突っ伏して寝る。たまに起きてることもあるので、授業の内容について質問をしても何も答えない。2択の質問をしても答えない。10秒も待っても30秒待っても何も答えない。ただただ先生が諦めるのを待つだけだ。そして先生が去ると嬉しそうにスマホをいじり始める。廊下で先生に会ってもガン無視。校内で来客とすれ違ってもガン無視。授業が終わる5分前になると席を立って当たり前のように教室を出ていく。学校の中の全てが自分家(じぶんち)であり、緊張感もマナーも礼儀も作法も躾も何も無い。昼飯を食い終わるとラウンジのソファーにうつ伏せに寝たり仰向けに寝たりそのままの体勢でスマホをいじったり。授業をサボりまくっているうちに単位が足りなくなり気がついたときには落第の一択しかなくなり最後は結局大学に来なくなる。そんなバカ息子バカ娘のために親は入学金と授業料をウン百万払っているわけだ。そしてそんなバカ息子バカ娘は世間に出てから更生する可能性は低い。どうせ1ミリも勉強しないし社会に出ても他人に迷惑をかけるだけなので、なるべく社会に出る時間を遅くするためにFラン大学の社会的存在意義は大きい。
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| ●理系の人間は理屈っぽい 2025.08.20 | ||
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理系の人間は理屈っぽい。というのは当然のことであるが、答えが出ないものには対応できない、というのもある。また、感覚や感性の表現も苦手である。もちろんそういう人たちがいたからこそ、科学が発達して我々の生活を便利で豊かなものにしてくれている。とはいえ笑っちゃうようなエピソードも色々とある。①優秀なベテランのプログラマーが新規商品の企画会議の席に、萌え絵のシールが貼ってあるチープな筆箱を持ち出して「こういうデザインこそがこれからの市場では絶対に受け入れられる!」と熱弁をふるって会議の時間の大半が潰れた。②システムエンジニアが飲食店の注文システムを開発し、その商品を説明するためのビデオ撮影を行なったところがセリフがまったく言えずにどんどん短くしていった。最後は単語ひとつだけを言うことで何とかOKになったのではあるが収録の時間の大半が潰れた。③1995年ごろある組織がホームページを作ろうとした。ところが当時はホームページを作るという業者もなくデザイナーもいなかったために社内のSEに制作を依頼したところが、できたホームページは全部テキストで画像が1つもなくしかも理屈ばかりが延々と続いていて「こんなもん誰も読まんだろ!」という代物になった。というホームページが完成した頃には世の中にはホームページを作るというデザイナーもぼちぼち出てきたので、そちらに依頼した。ということで膨大な時間と経費が潰れた。④プログラマーが絵を描いた。へったくそな絵だ。そしてその絵の解説を始める。どういう理由でこの絵を描いたか、から始まり、ディティールの各部が、どうしてそうなったのか、まで延々と続く。とはいえ「理屈は分かったけど、何でそんなに下手くそなの?」ということは聞いてはいけない。描いた本人はすっごく満足していて、展覧会に出せば何らかの賞を受賞できて、うまくすれば高値で売れるだろう、ぐらいの勢いなのだ。「理屈は分かったけど、何でそんなに下手くそなの?」とか言ったら、きっと精神が崩壊してしまうことだろう。
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| ●地球温暖化が加速している 2025.08.19 | ||
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地球温暖化が加速している。このままいけば日本の夏は暑くて住めなくなるだろう。マスコミでは熱中症にならないために適切なクーラーの使用を!とか言っているが、電気を使えが使うほどCO2の排出量は増えて地球温暖化はより加速する。この大きな矛盾を誰も指摘しないのはなぜだろう。街頭インタビューでもほとんどの人は「暑い!」しか言わない。私たちが個人ができることは何か?ということまで考えている人間は皆無だ。人は何かの危機が起こると、自分がそれを回避することのみしか考えられなくなり、未来的、俯瞰的なことは眼中に無くなる。だから、暑い→クーラーをつける、ということになる。まあだからと言ってクーラーをつけないで熱中症で死んでしまっては元も子もない。そしてその遺体を焼却する時にはまたCO2を出す。いずれにしてもこの温暖化がどこまで進むのか?10年後には夏の最高気温は何度になるんだ!50年後には地球の平均気温は何度になるんだ?ということはマスコミも言わなくなっている。とりあえず連日の厚さの中でクーラーをつけてから、頭を冷やしてから考えるということなんだろうか。とまあ考えたところでどうにもならんから、考えないのだろうか。
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| ●どう見ても似合わない服を着ている人 2025.08.18 | ||
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どう見ても似合わない服を着ている人は、まず自分の姿恰好というものを理解していない。キレイなおべべを買ってきてそのキレイなおべべを見てうっとりしているのではあるが、それを自分という異物が纏ったときに必ずしもキレイなおべべには見えないことが分からないのである。おべべがすっごくキレイだから、多少はキレイではない自分が着たところでおべべのキレイさが超強力なので、自分のキレイで無い部分を打ち消してくれるだろう、とか思っているらしい。どんなに新鮮で美味しい刺身であっても、板チョコの上に乗せて食ったら台無しだろ!ってことだ。どう見ても似合わない服を着ている人は、その服を着ている金髪の外人モデルの写真を見て、自分もその服を着れば、そのモデルと同じまでとはいかなくても、近づくことはできると思っているようである。金髪の外人モデルは基本的に白人である。つまり髪の色と肌の色のコントラストが低い。だから着ているものの美しさが引き立つ。黒人のモデルも基本的に髪は黒い。白人同様に髪の色と肌の色のコントラストが低い。だから白人同様に着ているものの美しさが引き立つ。対して東洋人は髪は漆黒で肌は黄色。つまり踏切の遮断機のように超ハイコントラストでそこだけが目立つ。だから彩度を抑えめで色相の使用範囲を少なくする、または紋様を散りばめて派手な色と補色を使って顔のハイコントラストを打ち消すような派手さで見るものの視線を服に強引に惹きつける、というような方法を取る、のいずれかしかないのだ。そして、どう見ても似合わない服を着ている人は、他人から面と向かって「似合わねー!」と言ってもらえる機会もないから、たぶん死ぬまで、どう見ても似合わない服を着続けるのだろう。あ、でも死んだ後は白一色の死装束を着るから大丈夫か。
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| ●「死ね死ね死ね死ね」 2025.08.17 | ||
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その昔、東京にはクマゼミはいなかった。30~40年前までは、神奈川県(三浦半島周辺)が北限とされていて、関西や伊豆半島に行くと、例の「死ね死ね死ね死ね」というクマゼミの鳴き声を聞くことができ「南にきたなぁ」という気分になったものだった。しかし現在では、東京でも普通にクマゼミの「死ね死ね死ね死ね」を聞くことができるようになった。クソ暑い炎天下の公園とかで「死ね死ね死ね死ね」を聞くと暑さ倍増である。もちろん、こうした北上の背景には、地球温暖化による影響が大きいとされている。しかしクマゼミの場合、1990年代以降の20~30年で関東北部まで一気に分布を拡大しており、速度が早すぎるとされている。ではなぜ急速に北上したのかというと、クマゼミは卵を樹木の枝に産み付けるため、街路樹や庭木の苗木を、温暖な地域から北の都市に移植する際に、卵や幼虫が「おまけ」として運ばれてしまう可能性があったとのこと。また 都市のヒートアイランド現象により都市だけでクマゼミが定着する、北方でも越冬が可能になる「局地的な温暖化」が生じているとのこと。確かに東京でも、郊外では「死ね死ね死ね死ね」を聞くことができないが、都市部の公園では数多くのクマゼミが「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」。
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| ●初心者でも分かりやすく 2025.08.16 | ||
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初心者でも分かりやすく説明してほしい、とか、初心者でもできるように教えてくれ、とか、初心者が理解できるようにやってくれ、とか、そりゃ無理だろ。分からなくて、できなくて、理解してないから初心者やってんだろ。どんなことでも最初からいきなりできるようには、絶対にならない。はじめてやったときに「才能ありますね」とか「筋がいいですね」とか「プロになれますよ」とか言われるのは、99%社交辞令であり、生徒への勧誘である。実際には何ごともプロになるためには、それなりの修行時間と、持続力と、強い心が必要。だいたい「自称初心者」というのは、プロになる気は1ミリもなく、苦労しないで成果を出したい、褒められたい、自慢したい、承認欲求を満たしたい、と思っているから、ちょっとやって上手くいかないと「私には向いていない!」とか言って辞めてしまう。だから何をやっても、いつまで経っても、全てが初心者のままなのであった。まぁ、そういう人がたっくさんいるから、世の中の○○スクールというのは回っているんだけどね。
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| ●知らない間にお墓が 2025.08.15 | ||
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外国人が勝手に死者を埋葬する「闇土葬」が増えているそうだ。イスラム教など特定の信仰では、死者は土にかえるべきとされ、火葬が一般的な日本とは異なる。と、ここまでは良いとしても、実際にイスラム教徒が日本国内で死んでしまった場合、現在、土葬が可能な日本の墓地は全国で10カ所ほどしかなく、これらを利用することは難しい。かといって本国に遺体を搬送するには相応の費用がかかる。場合によっては日本で稼いだカネがチャラになる。ではどうするかといえば、その辺の空き地に死者を土葬するということになる。もちろん彼らに悪意は1mmも無い。信仰に従って、自然に帰す、ということだけのことだ。そもそも宗教や信仰による死の基準や概念は大きく異なる。例えばパプアニューギニアやフィリピンの一部少数民族では、遺体を椅子に座らせ、数日〜数週間にわたり家族や近隣の人が面会する葬儀形式があるとのこと。これは、故人と過ごす最後の時間をゆっくり持つため、また死者の魂を徐々に送り出すためとされている。また、ペルーやボリビアのアンデス山脈の先住民族やアマゾン流域の一部では、ミイラ化した遺体を座らせて祭壇や椅子に置き、年中行事の際に「再会」する風習があるそうだ。インドネシア・スラウェシ島のトラジャ族は、遺体を防腐処理して自宅に安置し、数か月〜数年後に盛大な葬儀を行い、この間、遺体は寝かせる場合もあれば、椅子に座らせる場合もあるとのこと。この間、家族は遺体に食事を供え、会話を交わすなど「まだ生きている家族」として扱うとのこと。中南米やヨーロッパ農村部のキリスト教圏でも、かつては遺体を棺に入れず自宅で座らせた状態で通夜を行う地域もあったとのこと。といったようなケースに比べれば、土葬するくらいは大目にみてやれよ、という気分にもなる。
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| ●マックのポケカ転売問題 2025.08.14 | ||
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マクドナルドが2025年8月8日にハッピーセットを発売後、おまけ目的で大量に買い求める転売ヤーたちに関連した投稿が相次ぎ、転売目的の大量購入や食品の放置、廃棄などが問題になった。とまあ、これって資本主義社会であれば構造上は普通に起こる出来事ではないのかな。基本的に売るほうは売れれば良いのであって、売れたあとに消費者がその商品をどう扱うかまでは責任は持てないだろう。例えばビックリマンチョコのウエハースを食わないで捨てる、ビッグワンガムのガムを食わないで捨てる、とかは多くの子供たちは経験しているはずである。また、居酒屋で帰りぎわにテーブルの上には食べ残した食材、結婚式場で食いそびれたコース料理とかも、多くの人が経験しているはずだ。それと、買ってから一度も着なかった服とか、一度も使わなかった道具とか、箱にしまったまま結局は捨てたお土産とかも普通に普通の家にはあることだろう。ついでに壊れていないのに買い替えたパソコンとか、まだ使えるのに機種変したスマホとかも国民の多くが経験しているはずだ。さらに、病院でもらったクスリを最後まで使い切った人っているの?ってことだ。一定量のロスを出しながらも回っていくのが、資本主義の構造なのだから仕方が無いだろう。マックのポケカ転売問題もその一環でしかない。
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| ●忘れ去られる謎 2025.08.13 | ||
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大学のウェブデザインの授業。htmlでホームページを作らせて指定のサーバーにアップロードさせるというもの。履修者は約400人。提出期限が近づくとサーバーはFTPで混雑の極みとなる。決してスキルが高いとは言えない学生が、400人も一斉にアップロードするのだから。イレギュラー、レア、予想外、想定外、のことが色々と起こる。そして中にはどうしても分からない謎の現象が起こることがある。例えば、何度見てもソースは正しいのだが、アップロードすると一部の画像が表示されなくなるというもの。確かにソースとファイル名とで大文字小文字が不一致の場合、ローカルでは表示されるが、サーバー経由では表示されない、という現象は起こる。ところが全てが小文字で間違いなく書かれているソースがアップロードすると表示されなくなる、ということが起こるのだ。自分のことであれば原因の追求に時間も割けるのであるが、次から次へと問題が発生し、採点もしなければいけないのでそうもいかない。そうして、いくつかの謎を残したまま採点は終わる。で、そのあとで謎を解明していけば良いのだが、「ま、世の中の多くの謎に比べれば、小さいことなので、別に放っておいてもいいだろ」という気分になって、そのうちの何が謎であったかも忘れていく。まっ、世の中で普通に発生する謎というものは、そんな、もんだろ。全ての謎をいちいち解明していたら、謎の無い、つまらない世界になってしまうからな。
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| ●日本航空123便墜落事故の都市伝説 2025.08.12 | ||
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1985年8月12日、日本航空123便墜落事故は起こったが、当時、パソコンOSのWindowsと日本のTRON-OSがしのぎを削っていて、日航123便墜落事故でTRON-OS開発チームの17名が死亡しTRON-OS開発に致命的打撃を与えた。このことで米軍機による攻撃で故意に墜落させたのではないか?という都市伝説が今でもまことしやかに囁かれている。が、これは違うだろう。123便は過去に滑走路での尻もち事故を起こしていて、その時の衝撃で後部圧力隔壁が損傷。修理の際に本来必要な二重継手ではなく、一重継手での不適切な修理が行われた結果、金属疲労が進行し、1985年8月12日の飛行中に圧力隔壁が破断。急減圧によって後部胴体の一部と垂直尾翼が吹き飛び、油圧系統4系統すべてが失われ、操縦不能状態になったとのこと。当時、一般人が撮った墜落前の123便の飛行中の写真では、垂直尾翼が失われた機影が写っていた。で、最初の都市伝説を伝える記事であるが、日本航空機の墜落現場の写真が載っているのだが、吹き飛んだはずの垂直尾翼がはっきりと写っている。しかも墜落したボーイング747にしては、明らかに小さい。調べてみると、その写真は、1972年6月14日、日本航空471便がインドのニューデリー近郊のヤムナ川の土手に墜落したときのものであった。垂直尾翼が吹き飛んだことを否定するために、あえて垂直尾翼が写っている写真を使ったのかな?にしても、お粗末な都市伝説(フェイクニュース)である。
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| ●エアコンの温度設定 2025.08.11 | ||
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エアコンの温度設定が24度だとすると、エアコンから24度の冷風が吹き出していると思っている人が多いようである。扇風機には温度設定は無く、強・中・弱の3種類しか設定できないことを考えればエアコンだって1度毎の細かい設定なんかはできないであろうことも想像がつく。またエアコンには6畳用とか10畳用とかがあることもおかしいと思わないのかな?仮に24度の冷風が吹き出しているのであれば部屋の広さは関係ないはずだ。つまりエアコンから吹き出している冷風の温度はいつも同じ(通常は20度程度)で、吹き出している風の強さや、冷風が吹き出している時間のインターバルと冷やす部屋の広さとの兼ね合いで、だいたいの冷えるであろう温度を表示しているだけなのだ。だからおおよその目安でしかないにもかかわらず、「24度じゃ冷えすぎだから26度にして」とかいう会話が頻繁に交わされている猛暑の日本の夏休みの日常。多くのエアコンではリモコン側に温度センサーが内臓されていて、これがエアコンをONにする前の室内温度を想定しているということになる。つまり室温が30度で、エアコンが10畳用で、ユーザーが24度に設定してエアコンをONにすると、エアコンは20度の冷気を何分ぐらい噴き出せば、ほぼほぼ室温が24度になるであろうことを計算して、冷気を吹き出すインターバルを調整しているということになる。そういう意味ではエアコンはずっと前からIoTだったわけだ。
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| ●だってそう言ったじゃん 2025.08.10 | ||
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コミュニケーションの基本は言って伝えるだけでなく、言ったことが相手に伝わったかどうかを互いに確認することだ。これができてないと「言ったじゃない!」「聞いてないよ!」の応酬となりコミュニケーションが成立しなくなる。またコミュニケーションとは一度行えばそれが恒久的に効力が有効かというと、そういうものでもない。「だってそう言ったじゃん」とかいつの話をしているんだ?たしかにそう言ったけど、それって半年前のことじゃん。半年もすれば世の中の状況は色々と変わるし、プロジェクトの進捗状況も大幅に異なってるんだから半年前の常識は今現在の常識とは全然違うんだけどね。世の中が目まぐるしく変化しているのだから、その変化に合わせて考え、行動しろってもんだ。そもそも半年前は冬で今は夏だし。半年前に「暖かい服装で来てね」って言われたら、今でも暖かい服装で来るのかよ?
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| ●大きなガラスの球体に一筋の液体が流れ込んでいる 2025.08.09 | ||
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人間のスケール感を遥かに超越した大きなガラスの球体がある。この球体の上部には小さな穴が空いていて、その穴から一筋の液体が流れ込んでいる。このガラスの球体が「宇宙」で、流れ込んでいる液体が「時間」なのだそうだ。球体の中は液体で徐々に満ちてくる。そして球体の中いっぱいに液体で満ちて、これ以上入らなくなったときに「宇宙」の「時間」が終わるそうだ。時間が終われば全ての物体の活動が停止するので、事実上この世の終わりを意味する。このことが最近になって、世界中の観測者や学者の、銀河の動向や宇宙全体の観測結果とデータ解析によって分かってきたそうだ。学者によって多少の見解の相違はあるものの、この球体が液体でいっぱいになるまでの残り時間は概ね3万年であるとのこと。宇宙が終わるのだから、人類は他の天体に移住して生き延びることはできない。3万年後に訪れるのは人類の滅亡であり、個々の生命体の死である。ただし3万年後のことなので、皆さんの子孫のことを心配するにも余りある時間の長さである。とはいえ宇宙138億年の歴史から見れば「瞬間」に等しい。さてこの事実によって、皆さんの普段の行動や考え方がどのように変化するのだろうか?もちろん多くの人は「今までと何も変わらない」ということになるのだろうが。それと注意すべきは、ネット上には、まことしやかな嘘情報が溢れかえっているということ。宇宙が終わったあとの液体のように。
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| ●完成していない文章は公開できない 2025.08.08 | ||
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ロクに推敲していない文章というのはイマイチ読みにくいし恥ずかしいしウザかったりもする。逆に推敲を重ねると完成度は上がっていくものの、その成果は推敲を重ねるごとに薄れていく。誤字脱字を見つけるだけでも最初は10箇所見つかったものの、2回目は3箇所、3回目は1箇所、4回目はゼロと段々に減っていく。しかし5回目に新たに2箇所見つかったりもするので、エンドレスになってしまったりもする。一般的に、校正・校閲を経た商業出版物でも、1冊あたり1〜5箇所程度の誤植が見つかることは珍しくないとのことだし、300ページ前後の文庫本や単行本で、読者や著者が発見する誤植は平均1〜3件程度とのこと。だから書籍や論文の執筆者はいかにミスの無い完璧な文章を、常に追求しているかということになる。だから彼らはいい加減な衝動的で曖昧な文章は書けない。だから彼らはXに投稿ができないのであった。投稿したとしても何度も推敲を重ねた完成度の高い文章になってしまうので、タイミングを逃した「何をいまさら?」的なものになってしまう。そしてリツイートやコメントも、推敲を重ねているうちに周回遅れになってしまうのであった。誰か「いい加減で無責任な文章の書き方」を教えてやってくれ!
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| ●喋っていないと死んでしまう人 2025.08.07 | ||
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まるで常に泳いでいないと死んでしまうサメのように、常に喋り続けているという人間がいる。彼らの共通点は、仮に喋っていないとすると「存在感が極めて薄い」ということだ。秀でた技能やスキルがあるわけでもなく、面白いネタや説得力のある話術を持っているわけでもない。だから常にベラベラと話し続けていないと周囲からその存在を忘れられてしまうのであろう。彼らは常に「喋っていないと死んでしまう」ので、喋る内容を考えてから口に出していたのでは死んでしまうので、思いついたコト、気がついたコト、感じたコト、を「これを口に出したら周りの人はどう感じるか?」てなことを考えるイトマもなく、脳内の制御装置をスルーして、次から次へと口に出すのであった。周囲の人間も、最初は「るうせーな!」「少し静かにしとけ!」とか思っていたのであるが、喋るの止めさせると死んでしまう、ということが分かってくると、その喋りを一種のBGMとして消化できるようになって「心地よい雑音」として捉えるようになるので、「喋っていないと死んでしまう人」は死なないで済むのであった。
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| ●たくぼんはなぜ権力にしがみつくのか? 2025.08.06 | ||
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たくぼんこと田久保まき伊東市長が「辞める」を一転「辞めない」ということになった。日本人の大半は「たくぼんは大学卒業してない!」「たくぼんは権力にしがみつきたい!」と思っていることだろう。兵庫県の斎藤知事のときも、日本人の大半は「斎藤知事はパワハラの常習犯」「斎藤知事は権力にしがみつきたい!」と思っていたところが、実は斎藤知事はちゃんとした人だった。とはいえ、たくぼんの場合は学歴詐称がほぼ間違いの無い事実になりつつあり、もはや雪隠詰めの状況なのになぜ辞めないのか?本人的にも辞めたほうがよっぽどラクだろうよて。しかし伊豆高原で問題となっている大規模太陽光発電所の白紙撤回を公約に掲げて市長になった。もし今回の件でたくぼんが辞めれば、たくぼんが市議のころから続けてきた大規模太陽光発電所の白紙撤回が白紙撤回されてしまう可能性もあるんじゃね?といったところだろう。伊東市のメガソーラーは韓国財閥系企業と「伊豆高原メガソーラーパーク合同会社」を事業主体とし、2018年に着工したが、たくぼんは「伊豆高原メガソーラー訴訟を支援する会」の事務局長として反対運動を展開し、国会議員らとともに経済産業省などにも陳情した過去を持つ。事態は建設工事の差し止めを求める行政訴訟に発展し、2019年以降は工事がストップ。たくぼんは市長就任直後も「売電事業そのものを事業者が断念し、計画地の保全に加え、地元住民の安全安心な暮らしを確保する」と記者会見で言っている。で、この企業の関係者がたくぼんの学歴詐称をチクったのではないかともウワサされている。たくぼんとしては「市長になるまでずっと続けてきたプロジェクトを水の泡にはしたくない」「今辞めたらメガソーラーに反対してきた住民に対して申し訳ない」という思いから「確かに学歴詐称はしたが、そんな些細なことで負けるわけにはいかない!」というのが本心ではないのかな、権力にしがみつきたい以前に。それとメガソーラー企業の息のかかった市議とかもいるんだろうな。にしてもだ、学歴詐称という点だけにスポットを当て、たくぼんを悪者に仕立てて騒ぎまくる、相変わらずのマスゴミ。
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| ●彼女と彼 2025.08.05 | ||
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大学の授業で生徒を注意することがある。「そこの彼女と彼!さっきから何もやってるのかな?」といった具合にだ。明らかにスマホを見ながら二人で笑っている、という行為が延々と続いていたりするときにだ。しかしこの注意が思わず間違いだったりすることがある。「彼女と彼」ではなく「彼女と彼女」だったのだ。女か男か怪しい場合には、近くに行って確認してから注意をする、またはあえて注意をしないという選択になるのだが、特に疑う余地もなく男に見える場合もあるのだ。特にスポーツ系でショートカットですっぴんの場合は見間違う。しかしこういうご時世なのでジェンダーに関する発言は気をつけなければいけないので、必ずフォローを入れるようにしている。「あ、さっきは男子と間違えてごめんね。イケメンだったからボーイに見えたし。」とか言っておけば、だいたい大丈夫だ。
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| ●横着する 2025.08.04 | ||
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横着をするというのは、平気で図々しくしていること。図々しく構えて怠けること。という意味のようだが、平気とか図々しくとかではなく単に「怠ける」という意味合いのほうが強いように思える。さらには「怠ける手段を選んだが故の無駄」そしてその行為の「滑稽さ」みたいなニュアンスも含まれてくるのではないかな。例えばテレビの目の前でチャンネルを変えようとして必死でリモコンを探す、とか、カップラーメンのフタを付けたまま、半分開いたスキマから麺を食おうとしている行為とか、口の周りに付いた食いこぼしを1枚のティッシュで拭いて、残りを素手で拭き取る、とかだ。「そんなことオレはしないよ」とか言っているそこのあなた。キーボードを1つ押せば済むところを、いちいち「cntl」+「v」を押したりしていませんか?
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| ●内閣支持率 2025.08.03 | ||
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内閣支持率って不毛だろう。内閣支持率は総理大臣個人ではなく○○内閣全員のことだ。じゃその内閣全員の名前を言えるのか?顔が分かるのか?実績や評価は?となると国民の多くは答えられないはずだ。にもかかわらず聞かれると「支持する」とか「支持しない」とか答えるのは無責任だろ。「どちらともいえない」という選択肢もあるが、これとて正確に言えば「分からない」ということだ。だいたいマスコミからこぼれ出てくる、どちらかと言うと悪評を参考にして衆愚な人々が答えているだけなので、何の効力もメリットも無いのが内閣支持率じゃないのかな。そもそも不支持率がとっても高い内閣がいっつも内閣やってるのはなんでやねん?
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| ●醜女 2025.08.02 | ||
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今まで出会った個人が特定できる人間の中で、最強の醜女が、高校時代に地理の担当だった先生だ。俳優の竹原芳子をもっと情けなく貧そでさらに影が薄くやる気の無い感じにした容姿であった。ややハゲあがった広い額にワカメの束のような一塊の前髪を垂らし、顔の下三分の一に集約した小さな目と鼻と地面が対し45度で突き出た前歯。毛嫌いされるような醜女というより「かわいそ」感が漂っていたので、生徒もこの先生に対して言及することは少なかった。あだ名は「ちり」と、あまりにそのまんまであり、ここにも言及したくない感が現れていた。授業の内容というと、ただただ淡々と教科書を説明するだけで、喋りに感情を入れることもなく、メリハリもリズムもストーリー性もない、至って退屈でつまらないものであった。生徒の100%が「聞いていない」にもかかわらず、毎回この同じような流れで授業を進行していたのであった。その姿はその容姿も手伝ってか「かわいそ」の一言であった。そんなにかわいそなら授業ちゃんと聞けよ!ってことだが、かわいそすぎて授業を聞く気にもなれなかった。試験前に自宅で、試験勉強をしようと地理の教科書を出しただけで「ちり」の顔を思い出し、一気にやる気が失せたものだ。シャルル プリニエ作の「醜女の日記 」では、最後に主人公の醜女は自殺してしまうのだが、「ちり」は大丈夫だっただろうか。。。
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| ●提案大好き人間はゴミ人間 2025.08.01 | ||
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提案大好き人間というのがいる。ただしこういう人間は提案能力に優れている人間ではない。なぜならばその提案は他人に「やらせる」ことを前提にした無責任な提案だからだ。提案は実現できてナンボのもので、実現できる見込みの無い提案は提案とは言わない。ただのゴミ案である。提案というのは、誰がいつどのようにどんなモチュベーションで実行できるかという具体的な実行案を含めたものである。だから提案者は、仮に誰もやらなかった時点で、最後は「オレがやる!」と手を挙げる覚悟がなければいけないのだ。その覚悟がないクセに、知識と経験が豊富で広い視野とユニークな視点を持つ有能な人間と思われたいだけの提案大好き人間というのは、ただの役立たずの迷惑ゴミ人間である。
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