▼天声人誤

●幽霊

最近はめっきり柳の木が少なくなった。いや、正確に言うならば幽霊がそのパフォーマンスをすべく環境の整ったシチュエーションの柳が少なくなったということだ。街路樹で街灯に照らされて深夜でも車の通りが絶えることのないような幹線道路沿いの柳の下には幽霊は出現することはできないのだ。

さらに言うなら、最近では多くの通行人がデジカメやらケータイの写メやらとかを携帯しているために、その姿をモロに映像として撮影されてしまう危険性も極めて高くもなった。それだけに驚かす際にはそれらハイテク機器を操作する間もなく、いや、そういった記録に残すという発想に至る暇を与えないように徹底して強烈に脅す必要があるのだ。

写真に幽霊が写るのかと言えば、これは確実に写るのだ。なぜならば幽霊は固体として物理的に空間内に間違いなく存在するからだ。幽霊は半透明で、手で触れようとしても手が貫通してしまい、その存在自体があたかもタバコの煙か液晶プロジェクタの投影の光りのようにも思われがちだが、それは大きな間違いである。幽霊は固体である。ただし生きてはいない。とは言っても死んでいるわけでもない。成仏できなかったなどと言われているが、そういうワケではない。この世に未練を残しているために死にきれずに魂だけがこの世に現れたとか、そういうことではなく、まあ、分かりやすく言えば、半分死んでいて、半分生きている状態なのだ。

では、何でそのような状態になったかのかと言えば、生理的、病理学的に「死んだ」という生きている人間の勝手な判断によって、棺桶に詰められ、火葬場で焼かれる段になり、そこで焼かれるのが熱いからイヤで、または怖くなってそおっと逃げ出して来ただけのことである。だから下半身は既に焼かれて灰になり、腰から上だけになってしまった幽霊が多いのだ。じゃなければ三角巾を付けて遺体用の白衣を着ているわけがない。

生きてる連中は勝手に幽霊は夏の風物詩のように思っているが、実際、白衣1枚では寒くて冬場には戸外をうろうろできないのだ。凍死したらどうするんだ。とは言っても夏場でも薄着が故によく蚊には刺されるのだが、生きている人間ほど血液の循環が良くないとみえて、蚊も執拗に血を吸ったりもしないようだ。しかし痒いという点では生きていたころと変わりはない。

ということで仕方なしに掻いたり蚊を追い払ったりもするのだが、その動作がかえって不気味に写ることもあるらしい。

背後霊が見える!などと言う人間がいるが、あれは違う。背後霊なんてものは存在しない。幽霊は人間と同じ大きさであり、話もできれば目も見える。意識がなく朦朧と彷徨ったりすることはなく、そこそこ明瞭な意識と思考を持ち、きちんと計画的に行動しているのだ。

背後霊とか死んだ人間の人影が見えるなどというのは、その人間の脳と視覚神経の間で完結している幻覚に過ぎない。芥川龍之介が歯車が見えたのと同じことであり、他の人間が見えないのは当たり前である。実際その場所に存在するのではなく、見えたと言っている人間の脳みその中で起こっている出来事でしかないのだから当然のことだ。

ではなぜ幽霊が計画的に行動するのかと言えば、無計画に行動すると生きている人間に捕らえられてしまう危険があるからだ。絶対に捕獲されない状況で出現しなければいけないのだ。これは死活問題でもある。仮に真っ昼間に人通りの多い繁華街に現れたとしたら、恐らくパニックになるだろう。それだけならいいのだが、警察官や機動隊が出動して捕獲作戦を決行されたら逃げ切れるほど一般の幽霊は体力は無いのだ。

そしてまんまと捕まえられて刑事から尋問されたり、留置場に入れられたり、マスコミの前で記者会見させられるハメになったら幽霊の威厳もプライドも沽券も台無しだ。それにTVカメラの前で話をするなどということは死ぬほど恥ずかしい。

などと思考を巡らせているうちにやっと今日のターゲットとおぼしき若い男がこちらに向かって歩いて来るのを発見。もはや貴重な存在となった街の明かりも届かず、付近に街灯も民家も無い薄暗い柳の木の下で幽霊はその男が近づくのを待った。

あと20mぐらいに男が近づいたとき、幽霊は柳の根元に予め置いてあったラジカセのスイッチを入れた。「ひゅ〜〜どろどろどろどろ…」と、あたかも幽霊が出そうなBGMが流れはじめた。男はもう10mぐらいのところまで来ていた。しかしこの音には全く反応しないようだ。それもそのはず、iPodを聞いていたのだ。

しかし幸いなことに、この時に南から生暖かい風がすうっーーっと吹いて来た。時刻も丁度丑三つ時、BGMはさておき、絶好のシチュエーションが整った。幽霊はお化けではないので「わっ!」とか言って突然脅かしてはいけない。おもむろにさり気なくその存在を認知させ、非常に高度でマニアックな恐怖感を与えなければいけないのだ。

男はすぐ目の前まで来ている。幽霊は生暖かい風になびく柳の枝の間からその姿を現そうとしたのだが、あれ?柳の枝が全然なびかない。風はそれなりに吹いているのだが、柳の枝はだら〜んと下向きに垂れたまま、先端は空中で静止し、枝の途中部分がかすかに震えているだけだ。

どうしたことだ。男が行ってしまうではないか!と思って柳の枝を1本手に取ってみる。するとその先端に長さ10cmほどのモクメシャチホコの幼虫がひっついていた。よく見ると1本の枝に1匹ずつとまっている。これでは重くてなびかないわけだ。異常気象で気温が上昇して大量発生したらしい。さらにはこういった害虫の天敵であったはずのカラスやムクドリが、もっぱら人間の捨てた生ゴミで腹を満たし、味で劣る幼虫類を食べなくなってしまったのがその要因であろう。

などと考えているうちに、手に持ってた枝のモクメシャチホコの幼虫が幽霊の手のほうに上ってきた。「あ、こら!、来るな!」と叫んだ幽霊は幼虫を手で振り払おうとした。空中で円弧を描いた幽霊の腕は周囲の数十本の柳の枝も同時に振り払った。

振り払われた数十本の枝は、スローモーションのようにゆっくりと広がっていき、またゆっくりと幽霊のほうに戻ってくる。先端のモクメシャチホコの幼虫が順番に幽霊の肌に触れる。「ひたっ、ひたひた、ひったんこ、」そして触れると同時に幼虫が身をよじる感覚が伝わっても来る。「わっ!こら!来るな!」と叫んだ幽霊は、さっきよりも大胆に大きなモーションで、さらに無造作に枝と幼虫を振り払おうとする。

幼虫のうち数匹が枝から離れ宙に舞った。うち1匹が幽霊の口の中に落下した。落下と同時に身をよじり丸まった。慌てて吐き出そうとした幽霊であるが、慌てたついでに柳の幹に頭をぶつけ、その反動で口の中のモクメシャチホコの幼虫を噛み切ってしまった。

男はまったく幽霊に気付かずiPodを聞きながら通り過ぎて、もう見えなくなろうとしている。

幽霊は柳の根元にうずくまり、くちの中のつぶれた幼虫のぶちゃぶちゃの何かと、そのエキスの混ざったツバを何度も吐き捨てた。「ぺっ!ぺっ!ぺェーー!。あーもー死ぬかと思った。」

天声人誤

メニュー




.