▼天声人誤

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ジョンスミスは日本に来るのが初めてだった。カリフォルニアで大学を卒業後、地元の重機製造会社に就職しエンジニアとして12年働いた後に数名の友人と共にコンピュータ関連のベンチャーを起業。しかし並みいる競合の中で日の目を見ることなく解散。

その後食品関連の工場用の製造機器の会社に就職し技術者としての経験を活かし営業として活躍。1年後には企画開発部のセクションマネージャーとなり、今回は日本の幕張で開催される食品梱包機器フェスタの視察となったわけである。

アメリカ人である以上は基本的な日本に関する知識や情報は持っており、今時ちょんまげ結ったサムライが町中を徘徊しているというようなイメージは持っていない。

成田空港に到着後NaritaExpressで都内のホテルに向かう途中でも特にカルチャーショックを受けるでもなく、旅行ガイドブックやウェブで調べた情景と変わらぬ日本を眺めていた。

今回の日本行きは幕張の食品梱包機器フェスタの視察という名目ではあるものの実質上は人並み以上に会社に仁を尽くしたジョンスミスに対する社長からの観光旅行のプレゼントという意味合いもあった。同時に異国の文化に触れ、見聞を広げて今後の会社のために活かしてほしいという目論みもあり、その事をジョンスミス自身も理解していた。

夕方着の便で成田に到着したため初日は都内のホテルに直行。翌日は日本の取引先のアメリカ人ポールグラマンがホテルまで迎えにきてそのままクルマで幕張へ。ポールの南部なまりの英語と、すぐに地元の自慢話になるガイドには少しうんざりもしたものの、まあ、それなりに悪くはない一日を終えた。

翌日はポールの案内でTDLへ。アメリカにもディズニーランドはあるのだが、アメリカのディズニーランドにも行ったことはなかったので土産話のネタに行ってみることにしたのだが、あまりの混雑と待ち時間の長さに閉口し、早々に切り上げた。

まだ昼前だったので都内に帰るにも早すぎ、ポールに何か面白い所はないか?と聞いた。するとポールは「日本の通勤電車に乗ってみてはどうか?」ということだった。

NaritaExpressとは違い一般の人が通勤や通学に使うローカルの電車のことだ。TDLのアトラクションの20%の値段で20倍の長い時間乗れて待ち時間も1/20とのことだ。これは乗るしかない。

ということでJR武蔵野線という電車に乗ることにした。どこに行くという目的もないので、とりあえずはホテルのあるSHINJUKUまでのチケットを買い、武蔵野線のNISHIKOKUBUNJIという駅で乗り換えて、そのままホテルに帰ることにした。

ポールに礼を言って一人でMAIHAMAの駅でチケットを買って電車に乗った。日本ではほとんどの場所で英語は通じるとのことだったので安心はしていたのだが、思っていたほど英語は通じなかった。しかしとりあえず喋りまくれば何とかなるということも分かってきた。

日曜日の午後ということもあり電車の中はすいていた。窓の外に広がるのどかな田園風景を眺めながらぼーっとしていたジョンスミスであったのだが、乗車して40〜50分ほどしてあることに気づいた。「こ、これが日本の技術立国を支える根本なのか!」とジョンスミスは英語で唸った。

まったく予想していなかった日本の底力を見て大きなカルチャーショックを受けたのだった。それは…電車に乗っている男たちは決して金持ちとはいえない服装をしていた。安っぽいジャンパーや作業用のズボンにサンダルや長靴をはいていた。しかしその男たちのほとんどが車内で新聞を読んでいる。しかも真剣に紙面に目を通している。

MINAMIURAWAという駅を過ぎたあたりから、こういった風情の男たちの人数が増え、新聞を読むだけでなく、紙面に赤鉛筆で印をつけたりメモを書いたりしているのだ。耳に赤鉛筆をはさんでいる男も多く見かけた。低所得者層のワーカーがこれだけ真面目に電車の中で新聞を読む国家は他にあるだろうか!この事実を目の当たりにしたことが今回の日本視察での最も大きな成果であったことを帰国後真っ先に社長に報告したジョンスミスだった。

そしてジョンスミスの見た新聞を読んでいる男たちは西国分寺で乗り換えることなく府中本町から府中競馬場に向かったのだった。
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