2020年11月


●アジア人の顔(3)   2020.11.25
昨日の続き→。黒人の差別について語る日本人がいるが、その前にアジア人(モンゴロイド)が白人に差別されていないのか?ということも考えてみる必要があるだろう。例えばアジア人がレストランに行けば、窓際の席に案内されることはない。便所やボイラーの近くの席に誘導される。地方の空港で飛行機に乗れるのは白人の後である。公園の売店でアイスクリームを買おうとすれば「イエローは後だ!」と言われる。そしてコロナ禍のヨーロッパではアジア人というだけで暴行を受けたりもする。というふうに特にヨーロッパでは今でもアジア人は大いに差別されているのが事実だ。そしてそういった事実を多くのアジア人が知らないということもおめでたいものである。


●アジア人の顔(2)   2020.11.24
昨日の続き→。そしてその何人かの候補を挙げるときに、たまに「イタリア人特集」とが「フランス人特集」とかいうのがある。では「日本人特集」っていうのはないの?といえば、それは無い。あったのは「アジア人特集」だった。つまり世界から見ればアジア人は十把一絡げということだ。ついでに「今回はアジア人特集!」と発表されたとき、「それはないよー」「うわ、最悪」というようなコメントが相次いだ。似顔絵を描くにしてもアジア人はみんな同じ顔をしているから、極めて難しいということだったようであった。→明日へ続く。


●アジア人の顔(1)   2020.11.23
世界中の人たちから見て、アジア人は最も興味をもたれていない無関心な人種であろう。経済や文化では世界に対する影響力は大きいことは確かである。ただし「アジア人」というものに対して世界の一般的な人たちがもっているイメージは「顔が平で目が細い」「みんな子供のような同じ顔をしている」「無表情な盗人のような顔」というようなものだそうだ。もちろん白人のアジア人への差別も未だに根強い。登録者数が全世界2万5千人のCaricaturama Showdown 3000というFacebookグループがあり、毎週世界的有名人を選んで、その人物の似顔絵を描くということになっている。世界的有名人は何人かの候補のうちから投票で選ぶのだが、その候補の中にアジア系が含まれていることは非常に少ない。→明日へ続く。


●感染者数   2020.11.22
毎日の当道府県ごとの感染者数を見て「今日は多かった!」「今日は少なかったぁ」と言って一喜一憂する人たち。ちょっとバカなんじゃないかと思う。そもそも各当道府県の人口が違うし、PCR検査を受けた人数も違う。数字としては至って信頼性が低い「参考値」にしかならないはずだ。東京だって都内でPCR検査を一回も実施しない日の感染者数はゼロになるはずだし、岩手だって県民全員に1日でPCR検査を実施すればもっと増えることだろう。従ってPCR検査を受けた人数に対する陽性比を全面に出したほうが感染者数の推移を見る上では正確と言えるものになるはずだ。とはいっても、そもそもPCR検査で陰性の人が全て陰性とは限らないし、陽性の人が全て感染しているとも限らない。昔よく見たホームページのアクセスカウンターのようなもので、100となれば10〜1000の間ぐらいなのだろうな、と思えば良いのかもしれない。


●ベクター   2020.11.21
ネズミやゴキブリ,ハエや蚊は,感染症の原因となる菌やウィルス・寄生虫などを運ぶ運び屋(ベクター)になり得るということだ。だからこれらの害虫はできるだけ遠くに移動しないようにしておかなければいけない。そして人間という生き物は、ネズミの数百倍、ゴキブリの数千倍の菌やウイルスを運ぶ。ところがこいつらは移動しないようにしておくどころか各個体は勝手に地球上の至る所に移動してしまう。感染症が広がるわけだ。これ以上感染症を広げないためには、人間という生き物の個体数を減らす、または移動しないようにする、のどちらかでしかない。前者は急には無理なので後者にするしかない。しかし人間という生き物はゴキブリのように「じっとしていることができない習性」があるので感染を止めることはできないのであった。


●本題   2020.11.20
電話でいきなり「本題」について喋り始める人がいる。電話したほうはその本題についてずっと考えていて、不明な部分があったので「よし電話して聞いてみよう!」と思い立ってかけたのではあるが、受けたほうはその本題について考えていたわけでもなく他のことを考えていたので、いきなりはその本題を考えるモードには頭の中が切り替えられない。であればまだ良いのだが、その「本題」が何であったか思い出せずにいる場合もある。電話でいきなり「本題」について喋り始めたとき、受けた相手が「はい」「そうなんだぁ」「ふ〜ん」「うんうん」とか短く差し障りのない返事をしているときは、じつは必死にその本題が何であったのかを思い出そうとしている場合であったりもする。


●食うときは喋るな!   2020.11.19
食うときは喋るな!喋るときはマスクしろ!というだけの話しだろう。この2つを守れば感染は拡大しないはずだ。だいたい食いながらべらべらべらべら喋るからいかんのだろ。食うときと出すときは喋るな!ということだ。出すときに喋るやつはほとんどいない。出すときに喋らないで我慢できるのだから食うときも我慢できるはずだ。


●角   2020.11.18
OSの画面でアプリのウインドウの大きさを切り替えるとこがある。どんな時でもアプリの画面は全画面表示という人もいるが、オーサリングツールでのコンテンツ制作時やサイト制作時のウェブブラウザなどでは頻繁にウインドウの切り替えが必要になり、そのたびに最小化されてウインドウを開いていたのでは効率が悪い。そこで複数のウインドウをデスクトップ上に開いて切り替えながら作業をすることになるのだが、そうなると当然、全画面表示ではなくなる。必要に応じて画面サイズを調整しながらの作業になるのだが、毎度困るのがウインドウの角をつまむのがめんどくさいということ。矢印のアイコンがなかなか角をつまむ斜めの矢印にならないということ。斜めのなる範囲がかなり狭めに設定されているようなのだ(特にWindowsでは)。これでは初心者が何かの拍子にウインドウをデカくしすぎて、角がつまめなくなってしまう、なんてこともあるだろう。最低でも角が4つなければ矩形というものは存在し得ないのだ。もうちょっと角というものを大事にしてほしいものだ。


●ジジィ   2020.11.17
ある地域のジジィたちのイベントでビデオを撮影することになった。撮影をジジィたちに頼んだところ、たっくさんのジジィたちが手を挙げた。と同時にカメラ自慢が始まった。しかも1人で何台も持っているというジジィもいる。主催者側で記録メディアを用意するということになったのだが、ジジィたちは自分のカメラの記録メディアが分からない。SEカードのミニ8ギガ、とか言っている。SEではなくSDだし、ミニではなくマイクロだ。しかしジジィなのでとっくに生産が終わっているモデルだったりもするのでminiSDの可能性がないこともない。そしてジジィたちは撮影する前の講釈が長い。アクセサリーもてんこ盛りで持ってくる。が、自分の三脚の足の伸ばし方がわからなかったりもする。そしてジジィたちの撮影した映像は無用にだらだらだらだらと長い。しかしジジィたちは動画編集アプリは使えないのでだらだらだらだらと長いままだ。そしてそのだらだらだらだらと長い動画を他人に見せようとする。だらだらだらだらと長い蘊蓄付きでだ。


●ちゃんと書いてある   2020.11.16
重要なメールを受信した。そこには重要なリンク先のURLが記載されているはずであったのだが、それが記載されていなかった。しかし記載されていなかったのではなく、ちゃんと記載されていたのであった。というのもメール本文の中にテキストでリンク先のURLにアクセスする方法が書いてある、というものだった。そもそもそのURLが記載されているメールというのが長文であり、隈なく読んで内容を理解するのは一苦労なものだった。受信した人の中には忙しい人もいる。忙しい場合にはメール本文の中からリンクされている青文字の部分だけを捜し、そのリンクが載ってなければ、リンク先のURLが記載されていないと判断するのが普通であろう。知識人や学者に共通しているのが、①メールが長文で難解、②読んで理解しないほうが悪い、③「ちゃんと書いてある」と最後は開き直る、である。論文を隈なく読んでその内容を理解するというのは限られたほんの僅かの人である。論文のようなメールを書いてはいけないのだよ。


●ぶっ飛ぶ   2020.11.15
若者には未来がある。だから何かとんでもないことをやらかしちまった場合には、未来に影響する。不幸な未来になってしまうかもしれないのだ。だから若者は慎重に行動し、注意深く生きる必要がある。対して老人には未来が無い。あったとしても数年であったり数ヶ月であったりする。だから何かとんでもないことをやらかしちまった場合でも影響する未来が僅かなのだから、思い切った行動に出ても良いのではないか。今まで生きてきた経験と知識を生かしてぶっ飛んでみても良いのではないか。いやいや本人に未来がなくても残された家族には未来があるのだから、より慎重に注意深く生きる必要があるのだろう。とは言ってもアクセルとブレーキを踏み間違えてぶっ飛んでしまう老人もいる。


●予測   2020.11.14
学会のフォーラムにオンラインで参加した。テーマはもっぱらテレワークである。しかしその発表の多くは、今日までの実態とか、役所が発表した内容の分析とか、テレワークを活用した事例とか、そんなものばかりであった。つまり未来に向けての提案とか、数年後の予測とか、そういったものはほとんど無い。あったとしても「◯◯はこのように予測している」というようなもの。せっかく学者が集まってのフォーラムなのに、ネットで調べれば誰でも分かるようなものを小難しく理屈っぽく発表しているだけのことのようでもあった。いかにオリジナリティーが欠落した人が多いか、いかに理論的に説明できないことを恐れているか、いかに事例が無いことを発表することにビビっているか、ということが浮き彫りになったようにも見えた。予測が当たらなかったとしても誰も責めはしない。とういか、誰が何を予測したかなんて誰も覚えちゃいない。


●ギャグ   2020.11.13
知識人やインテリが言うギャグはだいたいにおいてつまらない。勉強のしすぎで頭が理論的になりすぎてセンスとか感性というものが欠落してしまった、のかというとそうではない。ギャグとか冗談というものを軽く、甘く、下のもの、と見ているからだ。お勉強は頭を使うがギャグは頭を使わないものと勘違いしているのだ。確かにギャグや面白いことを咄嗟に思いついて口に出す人もいる。「よくそんな面白いことが咄嗟に思いつくなぁ」と思われるかもしれないが、それは決して咄嗟ではなく、「こういうことが起きたらこれを言おう」「こんな状況になったらこんなことを言おう」と常に準備をしているのだ。そして時にはその準備と多少は違う場合でも、その応用編を咄嗟に思いつくこともある。お笑い芸人はお勉強はできないかもしれないが、人を笑わすことについては常に研究、勉強している。知識人やインテリはギャグやお笑いは勉強しなくてもできるもの、と思っているからつまらないギャグしか言えないのであった。


●お金が儲かる   2020.11.12
お金が儲かる方法を書いた書籍、お金の儲け方を指南するウェブサイト、お金が儲かる方法をさもありげにアドバイスするおっさん。誰だってお金は儲けたいしお金は沢山欲しい。しかしちょっと待て。お金は無限ではない。誰かが儲ければ誰かが損をすることになる。儲けて幸せになればその分誰かが不幸になる。だから儲けるということは他人を不幸にすることになるわけだ。日本中の人が幸せになれば世界のどこかの国の人が不幸になる。世界のどこかの国が幸せになったせいで日本が不幸になるかもしれない。世界中の人が一斉に幸せになることは無いのだ。お金が沢山あれば幸せ、お金が無ければ不幸、と思っている限りは。


●フォント   2020.11.11
htmlのコーディングを学生にやらせる。すると「何度も確認したが絶対に間違いはないはずなのに動かない」という学生が何人かいる。しかしよくよく確認してみると極めて初歩的な間違いがあったりするものだ。ところが何度確認しても見つからないという場合も稀にある。一般的な間違い捜しの方法としては、疑いのありそうな箇所を順番に削除していきながらタイプミスを特定していくのだが、この方法でも見つけることができない。最後は<html> <body>Hello!</body></html>にまで削ぎ落としても正しく表示されないのだ。やっと分かった原因は「全部全角だった」というものであった。その学生の使っているPCのフォント設定が「極めて全角と半角の区別がつきにくい」ものだったわけだ。そう考えてみると「最近のPCはインストールされているフォントの種類多すぎ!」である。普通の人が一生のうちに使うフォントの種類はせいぜい20くらいであろう。


●マルチタスク化   2020.11.10
学会のオンラインフォーラムに参加する。ZoomのビデオもマイクもOFFにして納期の迫った仕事をしながら発表を聞く。リアルな講演とかではこうはいかない。発表者に対しても運営者に対しても失礼であるからだ。しかしオンラインではこれが可能となる。ということは、学生の多くもこうして「ながら」で授業を受けているということになる。希にマイクをOFFにするのを忘れてZoomに参加している学生がいる。そうすると彼らは音楽を聴きながら、YouTubeで動画を見ながら受講していることが分かる。リアルな授業であれば「イヤホンをはずせ!」「YouTubeを観るな!」とか注意することになるが、オンライン授業ではこれができない。考えてみれば音楽を聴きながらであってもYouTubeを見ながらであっても、授業内容をちゃんと理解していれば問題はないのではないか。彼らは我々に比べればマルチタスク化が進んでいる。人間は常に1つのことだけに集中して作業をしている必要はないのであった。


●人は神ではない   2020.11.09
どんな人間でも失敗や間違いはある。どんなに素晴らしい実績を残して多くの人に尊敬されるような人であってもミスや勘違いもある。例えばAさんの言うことは間違いない、とかAさんの考えだから正しいはず、とは限らない。確かにAさんの言っていることはだいたい的を得ているし「なるほど」と思わせることも多い。だからといってAさんは神ではないし、全てのジャンルにおいての専門知識を持っているわけではない。言っている「人」によってその信憑性や確実性を信じてはいけない。「人」は誰でも間違いを犯すことがある、ということを前提に、常に疑ってかかることを忘れないようにしよう。「ひねくれ者」とか「天邪鬼」とか「 へそ曲がり」とか思われない範囲で。


●せっかち   2020.11.08
読んでいて意味の分からない文章というのがある。何を言いたいのか、何を伝えたいのかが、何度読んでも分からない。たぶん、頭の中で考えたこと、思いついたことをそのまま順番に芋づる式に出力しながら文章にしていくので、順番が整理されていないから分からないのだろう。出力する前に一旦頭の中でちゃんと整理して、結論を先に数行箇条書きにする。その後にそれまでの経緯やそこに至った理由や各個人の対応の違いなどを説明すれば良い。至って簡単なことであり、情報を伝える方も受けるほうも手間も時間も省ける。ということが分かっていてもできないのが、いわゆるせっかちというやつだ。せっかちは大人になれば治る人と、死ぬまで治らない人がいる。後者の場合、死に急ぐことになるので気をつけよう。


●世界   2020.11.07
真面目な人がいる。真面目な人が真面目に仕事をしているときに冗談を言うと、その冗談と自分の生きている真面目な世界との区別が出来なくなり、その冗談が非常に面白いものであるにもかかわらず冗談を真に受けて一瞬信じてしまった自分に腹を立て、その怒りの矛先を冗談を言った人に向けて本気で怒ったりもする。そういう人は「お笑い」とかを見たときに、面白いとか思わないのだろうか?と思ったりもする。恐らくお笑いの世界はお笑いの世界、現実の世界は現実の世界、と割り切って生きているのだろう。しかしお互いの世界に他の世界が割り込んでいって、いろいろとやらかすから世の中面白いのだろう。特に真面目な世界は割り込まれやすいので注意しよう。割り込まれるたびに腹を立てていると、性格の歪んだ世界に入ってしまうぞ。


●輪廻   2020.11.06
「生まれ変わったら〇〇になりたい!」とか「私の前世は〇〇だった」とか言ったところで生まれ変われることはないし生き物としての人間のは前世も来世もない。死んだらそれで個の意識もパーソナリティーも1人称の自分というものも全てが無くなりジエンドとなるだけの話だ。しかし人は己の人生には色々と未練や悔いが残り羨ましく思える他人が大勢いる。だからありもしない輪廻などというものを信じたくもなるのだろう。仮にAさんが死んでAさんの意識を生まれたばかりのBさんが受け継いだとしよう。そのときBさんが受け継いだAさんの意識はAさんが何歳のときの意識だったのだろうか?それはたぶん死んだ時点のものなのだろう。もしAさんが死んだ90歳のときのものだったらBさんは生まれたばかりにもかかわらず「わしゃもう十分生きた…」となってしまうではないか。


●選挙人   2020.11.04
アメリカ大統領選挙で選挙人という言葉をよく耳にするようになった。しかし選挙人っていったいどんな人なのかがなかなか分かりにくい。選挙人が一般人を代表して投票するのか?一般人が投票で選挙人を選ぶのか?州ごとに選挙人の数が決まっているのならば人ではなくポイントにしたほうが分かりやすいのではないか?一般投票の結果で揉めたら今度は選挙人による投票が行われるのでやはり人でないとダメなのか?いやいやお笑い番組の審査員に当たるののが選挙人で視聴者投票に当たるのが一般投票みたいなものなのか?と結局のところよく分からないまま誰が大統領になったのか?だけが興味の対象となり、選挙人って何ぞや?という疑問はすぐに忘れ去られ、また14年後に「ところで選挙人って何?」ということになるのだろう。


●いつもキレイにしておこう   2020.11.03
会社案内に地図を載せる。すると自動的にストリートビューが見られるようになる。昔であれば本社ビルの写真をコッテコテに加工してすんばらしいビルに見せることもできたのだが、ストリートビューですげー小汚いビルである事実がすぐにバレてしまう。でもって「ストリートビューの写真が汚いので何とかならないか?」という無茶な要望が来たりもする。そもそもどこまでがウェブ制作者が作ってどこからがGoogleのコンテンツなのかも理解していないからこういう要望を言ってくるのだろう。だったらいつトリートビュー撮影車が来てもいいように、いつもキレイにしておくしかないってことだ。それって会社として当たり前のことだろう。仮に撮影車が来ないにしても。


●更新   2020.11.02
ホームページは何のために作るのか?多くはその主宰する会社や組織や団体が実在することを確認させるためであろう。そのホームページで何らかの営利目的の事業を展開するのであれば頻繁な更新や定期的なリニューアルも必要であろう。しかし実在することを確認させるためだけであれば一旦作ってしまえば下手にいじくらないほうが間違いがないだろう。今やホームページは会社であればあって当たり前であり、飽和状態にある。そんな中でホームページ制作業者は「ホームページを新しくしよう!」と営業をかけるわけであるが、何らかの営利目的の事業を展開するわけではないホームページの多くは、リニューアルも必要なく、アクセスもたかが知れているし、ホームページは「あれば良い」だけのものになっている。主宰する会社や組織や団体の代表者や担当者が、レンタルサーバー費用の更新を忘れて閉鎖になってしまったことを半年間気がつかないでいたりもするくらいなのだ。


●人間はいつかは必ず死ぬ   2020.11.01
人間はいつかは必ず死ぬ。もし死ななければ地球上はあっという間に人間で溢れかえる。地球上の全ての陸地が満員電車のようにびっちりと人で埋まり、全ての海岸が全盛期の豊島園のプールのような芋洗い海岸になることだろう。そうならないように人間はいつかは必ず死ぬようにできている。ただ一つ、死ななくても良い方法がある。それは時間を止めるという方法だ。しかし問題は一度止めてしまったら、再度動かすためのスイッチを押す人がいないということだ。



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