2015年9月

●死ぬ確率   2015.09.30
週刊女性ポスト誌が1年間10万人あたりの死者数の死因から割り出した(病死を除く)死の確率によれば、①自殺:21.9人 ②交通事故:3.2人 ③風呂で溺死:3.1人 ④階段等で転倒:2.1人 ⑤熱中症:1.4人 ⑥地震と津波:1.0人 ⑦豚の生レバー:0.71人、だそうだ。少ないものでは、◎ふぐ:0.033人 ◎大雪:0.074人 ◎航空事故:0.0097人、などとなるそうだ。航空事故が起こった場合はニュースで大きく取り上げられるが、風呂で溺死した場合はニュースにはならない。この統計がどこまで信ぴょう性があるかどうかは分からないが、飛行機に乗るときに墜落することを心配するより、風呂に入るときに溺れないことを3000倍心配したほうが良いということになる。


WebDesign
●天国でアヒルを踏んではいけない   2015.09.29
3人の女性が事故で命を落とし、天国の門の前までやってきた。天使の聖ペテロは言った。「天国には1つだけルールがあり『アヒルを踏んではいけない』というものです」3人が天国へ入ってみると、あたり一面アヒルで埋め尽くされていた。女性たちは可能な限りアヒルを避けて進んだが、そのうちの1人がうっかり踏んでしまった。すると聖ペテロが、見たこともないような醜い男を連れて現れ、彼女と男を鎖でつなぐと、こう言った。「アヒルを踏んだ罰として、永遠にこの醜い男と鎖で繋がれたまま過ごすのです」そして次の日。今度は2人目の女性がうっかりアヒルを踏んでしまった。やはり聖ペテロが極めつけの醜い男と現れて、彼女を鎖でつなぎ、同じ説明をした。3人目の女性は、「醜い男と永遠に鎖でつながれるなんて、まっぴらごめんだわ」と心の底から思い、絶対にアヒルを踏まないよう、死に物狂いで細心の注意を払って歩き続けて、数か月経った後、聖ペテロが現れた。ところが彼女が人生で見たこともないような、背が高く、長いまつげに、スリムで引きしまった肉体のハンサムな男を連れていた。聖ペテロは何も言わずに、ふたりを鎖でつないだ。舞い上がった女性は男に言った。「あなたと永遠につながれるなんて、私は何かそれに値する良いことをしたのかしら?」すると男は答えた。「君については知らないけど、僕はアヒルを踏んじゃったんだ」


株式会社「かくの木」
●ジェスチャーゲーム   2015.09.28
①ジェスチャーゲームで自分がジェスチャーをする番になったら、必死で自分のことを指差す。②そのときに参加している人たちからどんな答えが出てくるかを確認する。これだけで良い。時間制限を設ければ、参加者は必死で「自分」を形容する言葉を遠慮なく思いつく限りに言う。「サラリーマン!」とか「独身!」とかならまだいいが、「サイテー!」「ハゲ!」「ヲタク!」「ロリコン!」など、普段その人を見て思っていること、感じてていることをズバズバ言われるハメになる。このジェスチャーゲーム、同性の同年代同士で、しかも少し酒が入った状態で行うのが望ましい。まわりの人が自分のことをどう思っているかを吐露させる最も簡単で効果的な方法だ。


ふじみ一店逸品
●人生の勝率   2015.09.27
パチンコ屋に毎日通ってる人に聞く「人生トータルでパチンコで勝ってますか?」するとほとんどの人が「まあ、とんとんかな」と答える。そんなわけがないはずであり、あんたらが負けてるからパチンコ屋はあんなに立派なビルが建つんじゃないのか?ということだ。仕事で「今回の事業は結果的に成功といえますが?」と聞くと「売り上げは上がらなかったが今回で得た経験は大きい」ってそれって「失敗」ってことじゃん。スポーツの世界であれば勝ち負けは明確に分かるし、負けたゲームを勝ったとは言わない。しかしビジネスや趣味の世界では人はなかなか負けを認めない。場合によっては「オレの人生、全て勝ってきた」的なことを宣う嘘つき野郎もいる。人生は勝ち負けを繰り返しながら人は育っていき、勝ちの数が多い時期には「優勝」となるのだろう。しかしそんな時期が長く続くことはない。相手あってのことだし、相手も負けまいとして次は挑んでくるはずである。だから「人生、全て勝ち」なんてことは有りえない。しかしたまに「人生、全て負け」な人はいないことはない。


話題の人の似顔絵BLOG
●感謝   2015.09.26
「その足で地球に口づけするかのように歩け」とはベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンの言葉だ。日常生活の中でついつい忘れがちなのが「感謝」という概念だろう。人はどうしても「嫉妬」「恨み」「妬み」などといったネガティブが感情が優先しがちだ。幸せでいることは感謝にはつながらないが、感謝は幸せにつながる。「この経験があってよかった」と心から言えるということで感謝は真の許しを育む。今、持っているものに感謝していると、感謝できるものが増えてゆく。しかし、持っていないものにばかり意識を向けると、いつになっても満足できない。 心から感謝するには、心から今を生きること。などなど「感謝」に関する名言は多い。どれも「なるほど…」と思える言葉だが、全ての人間が常に「感謝」を意識して生活するというわけにもいかないのが現実だ。「その足で地球に口づけするかのように」歩いた次の日には「その足で地面に全ての恨みを注入するかのように」歩いたりもする。


新座市に生息する動植物写真集
●ひとつの生き方   2015.09.25
長年生きている間に人は段々と偉くなる。サラリーマンであればいつまで経っても自分より偉い人が社内に存在するわけだが、個人事業主や商店主の場合は比較的早い時期に自分がトップになってしまうこともある。そうなったとき、気がついてみれば誰も注意したり指摘したり苦言を呈したりしてくれる人がいない。そして、そうなったときに、人は謙虚さを忘れ、 傍若無人な行動をとり、 放埒で不埒な振る舞いをするようになる。それも「ひとつの生き方」であるかもしれない。しかし人生が終わりに近づくころ、周囲に真に心を許せて忌憚の無い話をできる相手がいないことに気付く。そして一人淋しく死んでいくのだろう。それも「ひとつの死に方」であるかもしれない。


ギフト似顔絵ルーム
●軽率   2015.09.24
日本の国民がいかに軽率で安易で学力が低いかということを先日の安保法案騒ぎが象徴している。「安保法案」とは新しくつくられる「国際平和支援法案」と、自衛隊法改正案など10の法律の改正案を一つにまとめた「平和安全法制整備法案」からなる。これだけでも複雑だ。「平和安全法制」の概要だけでもPDFでA4が18ページ相当の中に文字とフローチャートでびっしり埋まっている。そんな法案に対して道行く人に「賛成ですか?反対ですか?」と尋ねると、ほとんどの人が即答する。普通に考えたらこれだけ複雑な問題を「賛成か、反対か」で即答できるわけがない。「法案の内容をよく読んでみてから答えます」というのが普通だろう。読まないくせに「説明を聞いてない!」というのは教科書を読まずに「わかりませ〜ん!」と言う中学生のようだ。そして同じく法案を読んでない頭の悪い芸能人が知ったような偉そうなことを言って学力の低さを露呈していたりもする。もっとも教育をする立場である大学教授が三菱鉛筆が三菱グループと間違えるくらいの一般常識の無さなのだから仕方もあるまい。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●難民   2015.09.23
今年1月から8月までに、35万人以上の移民がヨーロッパの国境に押し寄せた。3分の1は、シリアの大虐殺から逃れてきている。次に多いのが、アフガニスタンやエリトリア。その他イラク、ソマリア、ナイジェリア、スーダン、アルバニア、セルビアなどからだ。彼らは自分の国に居ては「死ぬ」可能性が高いから命がけでヨーロッパを目指しているわけだ。しかし彼らを受け入れるのは簡単ではない。移民が通った跡のゴミの量はマナーの悪いと言われている中国人の比ではないし、受け入れたとしても就労先を探すのは容易ではないだろう。労働意欲、労働に対する意識、生産性は低い人間が多いはずだし、犯罪も増えることが予想される。日本にとっても他人事ではない。アジアにも貧しい国は沢山ある。国際的に日本が数多くの難民の受け入れを強く要求される日は遠くないかもしれない。


一般人の似顔絵
●テレワーカーの適正   2015.09.22
上司などの監視役がいなくなると大抵の人は羽を伸ばす。羽を伸ばしているので緊張感は薄れ、仕事に向かう姿勢は緩くなる。職場から社長以下管理職全てがいなくなったときの極楽のようなめくるめく幸せな世界を思い出す人も多いことだろう。また学校で先生が何かの理由で授業に来れずに「自習」となったときの開放感を覚えているだろうか。「自習」とは名ばかりで実質上の「遊び時間」である。しかし管理職のいない職場でもいつもと変わらず真剣に仕事をしてるヤツ、自習となった教室でもいつもと変わらず真剣に自習をしてるヤツというのが、会社にもクラスにも数人づつはいたような気がする。実はそんなヤツのみが実際にテレワークをこなせる人間なのだろう。全労働者のうちのほんの一握りの人間が。そして多くの人間は、監視役がいないと労働はしない。


エルトゥールル号の響
●高解像度ディスプレイ   2015.09.21
画像解像度はウェブでは72dpi、印刷物では350dpiという感じで教わってきて、これが20年近く「常識」だったわけだが、ここにきてこの常識が覆りはじめた。印刷物は従来通りの常識であるが、スマホではRetinaディスプレイを始めとする高解像度ディスプレイ、パソコン用モニターでは4kが登場して、解像度の考え方が変わってきた。いずれも従来通りのソースでも支障はないが、スマホの場合は、ディスプレイのポテンシャルをフルに活用するためには画像を2種類用意して、srcsetというタグで振り分ける。background-imageとしてCSSで指定している場合は、画像の切替をCSSですることができるが、このCSSにはベンダープレフィックスが含まれているので、もう少し待ったほうが良さそうだ。パソコン用のモニターについてはネット上にもほとんど情報が載っていない。世の中の人の多くが、そもそもパソコン用モニターというもので、ウェブを閲覧するという行為自体に、もはや誰も興味を持ってないのだろう。


よくわかる実習 情報
●安保法案   2015.09.20
これだけ揉めた原因はテレビやネットで色々な人間が色々なコトを言い過ぎたために、コメントや見解が百花繚乱玉石混合となり、一般の人は何が何だか分からなくなったためだろう。色々な意見が出ることは悪いことではない。しかし(自称)政治に疎い芸能人までもが、混乱させるようなことを言い過ぎた。例えばあるお笑い芸人のツイート「俺の望む日本って、ケンカしたらつよいけど絶対しない。これが格好いい。」だそうだ。まず国防に「格好いいかどうか」は関係ない。それに「つよい」かどうかなんて誰もわからないし、つよいほうが勝つなんてこともない。圧倒的な軍事力を誇る「アメリカ」が東南アジアの小国「ベトナム」に敗れたのがベトナム戦争である。国家の安全保障という重要な問題が、中学生のケンカみたいなミーハーな底辺レベルで揶揄されてツイートされているのはいかがなものか?芸能人は政治に疎いとしても、その発言の影響力は◯◯大学◯◯教授ようりも大きい。発言するならば少しは勉強して責任のある発言をすべきだし、それができないのであれば発言は慎むべきだろう。


人生を変える似顔絵
●腕の悪い職人は割高   2015.09.19
「近頃の畳職人は畳針もろくに使えやしねぇ!畳一枚作るにも全部コンピュータ頼りだぁ。確かに早ぇかもしんねえが心がこもった仕事なんて出来やしねぇ!」と同じように「近頃のウェブデザイナーはHTMLひとつろくに書けやしねぇ!ホームページ1ページ作るのにも全部ワードプレス頼りだぁ。確かに早ぇかもしんねえが、融通が効かねえし、細かいところでかえって割高になっちまうし、オリジナリティのあるデザインなんて出来やしねぇ!」という感じだ。PhotoshopやIllustratorが使えねぇウェブデザイナーもうようよと居る。そして「こんな修正、HTMLがきちんと書けて、Photoshopの画像処理ができれば五千円の仕事」を5万円とかぼったくりやがる。技術がない分、制作時間がかかり、かかった時間分を請求してくる結果だ。腕の悪い職人に頼むと、かえって割高になってしまうのは昔からよくある話だ。


WebDesign
●言葉が市民権を得た頃には   2015.09.18
ITに詳しい人に言わせれば「ホームページ」という言葉は今さら使わないそうだ。しかし中小企業の社長さんや個人商店の商店主に「ウェブサイト」と言ったところでイメージはできない。「ウェブサイト」は立派な会社が本格的に作った、例えばYahoo! JapanやGoogleMAPやアマゾンやぐるなびやリクルートみたいなもののことで、◯◯商店のものは「ウェブサイト」とは呼ばないと勝手に思っている。だから「ウェブサイト」を作りませんか?と言われるとウン千万円かかると思って速攻で断られてしまう。またスマホで見るのが「ウェブサイト」で、パソコンで見るのが「ホームページ」だと勝手に思っている人もいる。QRコードを見た大学生が「えっ、これってスマホでも使えるんですか?てっきりガラケー用の何かだと思ってました」。言葉が市民権を得た頃には状況が大きく変わっていたりもする。


株式会社「かくの木」
●iPhone6s   2015.09.17
デザインに大きな変更は無い。恐らくこれが究極のフォルムなのだろうから、敢えて今、変える必要は無いのだろう。しかし外観とは裏腹に中身は格段にグレードアップしているようで、そこいらにある数年前のパソコンのスペックを凌駕する勢いだ。これは「確実にパソコンを使う人が減る!」ということを意味していることでもあり、パソコン用のホームページなどはもはや必要ない!ということに繋がるのだろう。デスクトップのパソコンを使うのは専門分野の限られたユーザーだけとなり、一般の人がウェブを閲覧して情報を収集したり、ネットで買い物をしたりする行為は、あと数年後には完全にスマホにとって代わられるだろう。米IDCが現地時間2015年8月26日に公表した世界のパソコン市場に関する調査によると、2015年の年間出荷台数は、前年から8.7%減少する見通しだそうだ。これで3年連続での減少だ。しかし減少したのは出荷台数であり、既にユーザーが使っているパソコンの数は急に減るものではない。従ってホームページのアクセス数はまだまだデスクトップが多いようだが、いずれじわじわと、確実に、スマホ(モバイル)に移行していくはずである。


ふじみ一店逸品
●ショートメール   2015.09.16
スマホは若者だけのものではない。50〜60歳代でパソコンブームに乗り遅れた人たちというのは実は沢山いる。彼らはパソコンというものがよく分かっていないにも関わらず世間体のためにパソコンを購入して、パソコンができるようなフリを続けていたのだ。しかし実際にはメールの送受信の方法も分からず非常に困っていた。いい歳したおっさんがそんな初歩的なことを人に聞くわけにもいかず「パソコンのできるおっさん」を演じ続けてきた。そこに登場したのがスマホというデバイスだ。このスマホのショートメール(Cメール、SMS、メッセージアプリ)という機能を利用すればパソコンのメールよりもずっと簡単にメールのやりとりが出来る!パソコンのように起動するたびにワケの分からないメッセージがたくさん出てくることもなければ起動時間もかからない。ということで彼らはショートメールを非常に重宝して使っていたりもする。あまり知られていないが、そういう人が意外に多い。


話題の人の似顔絵BLOG
●マーケティング-2   2015.09.15
「マーケティング」という言葉が頻繁に使われるようになったのは「メールマーケティング」「ウェブマーケティング」というようにインターネットを使った顧客情報の収集が行われるようになってからだろう。それまでは、お店にやってきたお客様を「お客様は神様です」と言いながら、失礼のないように丁重に扱い、決して気分を害させることなく、気持ちいい状態で商品やサービスを購入していただく。というのが商売の常套手段であった。これに対して「マーケティング」ではターゲットユーザーを明確にして、そのターゲットに対して有用な情報を流して顧客を集めるといったようなやり方なわけだ。だから呼び込み、囲い込みに成功した顧客に対しては「お客様は神様です」などと言って揉み手をする必要は全くない。顧客とは対等な立場でビジネスという「取り引き」をするだけのことだ。全く同じ商品でも「ウチで買ってもらう」ために「お客様は神様です」と言って機嫌をとってきたものが、そもそもが全く同じではなく、「ウチだけにしかない」商品なので、その必要もなくなるということだ。そして「ウチだけにしかない」商品を売るためには、やはり「マーケティング」が必要になるわけだ。


新座市に生息する動植物写真集
●マーケティング-1   2015.09.14
「マーケティング」というと、古い人間は「市場調査」という意味だと勘違いしているようだが、wikipediaによると「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動」ということだそうだ。これは実は昔から言われ続けてきた「お客様の立場での商品やサービス」ということだろう。そもそもが資本主義経済下でのビジネスというものは、お客様ではなく、売る側の都合で全てが活動したきたのだ。だから「商売」「売り上げ」「小売」「売り場」というように、「売」という文字で表現されていた。それを今更「顧客が真に求める…」と言われるということは、いかに今まで「顧客が真に求める…」を無視し続けてきたか?ということでろう。にもかからわず「お客様は神様です!」と言ってきたわけだ。


ギフト似顔絵ルーム
●どんどんと時短されていく   2015.09.13
中高生の会話を聞いていると、その話題の移り変わりの速さにびっくりすることがある。今、話していたテーマが3秒後には全く別のテーマに変わっていて、その変化の速度に会話している全員がついていっている。脳みそのクロック周波数が高いのか?または思考回路自体が極めて短いのか?いずれにしても我々が若かったころよりはるかにスピードアップしているように思う。Vineの動画は6秒で、twitterは130文字で、Yahoo! Japanのニュースヘッドラインは13文字で、GoogleAnalyticsの平均ページ滞在時間が0秒で、世の中の時間の基準がどんどんと短くなっている。そんな中、60分もあるNHK大河ドラマの視聴率が下がるのも納得できる。ただ、どんどんと時短されていく中で、唯一時間が長くなっているのもは人間の「寿命」だ。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●佐野研二郎ネタがまだ出てきた   2015.09.12
カナダ出身の建築家フランク・ゲーリーの展覧会で、チラシやチケットに展開されるメーングラフィックの制作を佐野が担当した。しかしこれがまた酷い。フランク・ゲーリーに対するリスペクトやトリビュートの念は1ミリも感じられない。ただの素性の悪い落書きである。パクり無しで作った作品はこうなんだ!ということも改めて分かった人も多いだろう。かつてピカソが通りすがりの女性ファンに頼まれ30秒ほどで小さな絵を描いて「この絵の価格は、100万ドルです」と言ったそうだ。するとその女性は「だってこの絵を描くのに『30秒』しかかかっていないのですよ?」と言うと、ピカソは微笑みながら「30年と30秒ですよ」と答えたそうだ。佐野の落書きはさすがに30秒ではないと思うが、少なくてもじっくり時間をかけて描いたとは思えない。思いつきと成り行きといい加減な気持ちで早く終わらせたいという気持ちで描いたように見える。どんなにセンスや才能がなくても、じっくり時間をかけて試行錯誤しながら描いた作品にはそれなりの魅力はあるものだが、この佐野の作品にはそんな苦労の跡は1ミリも感じられない。しかし気分だけはピカソだったようだ。そして主催者側の賢明な判断で、このグラフィックの撤回を決めたそうだ。賢明な判断だ。


一般人の似顔絵
●責任の分散   2015.09.11
個人ではなく会社が責任を持つ。聞こえは良いが社内の人間がお互いに保身をするための作戦であり口実である。例えば納期どおりに商品が納められずにクライアントがカンカンだったとする。本来であれば部長が直々に出向いて陳謝しなければいけないような事態だ。しかし部長は忙しくて時間が取れないということで部下の課長にその陳謝に行くよう命令する。しかしその課長は実際にはそのプロジェクトに絡んでおらずクライアントにとっても初顔である。部長にとっては自分がのこのこと頭を下げに出ていけばクライアントからの集中砲火にあい、賠償責任まで問われかねないので、その矛先を躱す意味でも初顔の課長を派遣するわけだ。クライアントにとっては初対面の人間に対して頭ごなしに怒るわけにもいかず、課長のほうはといえば自分に直接責任が無い(ということをクライアントに仄めかしつつも)にもかかわらず終始低姿勢で繰り返し謝罪の言葉を述べるている。クライアントのほうでも「ちょっと可哀相…」と思えてきて、怒りの言葉も柔らかくなっていく。もちろん部長は忙しかったわけではなく、行きたくなかっただけのことだ。このようにして日本の企業内では巧みに責任の分散が行われている。しかしこれが積み重なると誰も責任を取らない体質へと汚染されていくのである。


エルトゥールル号の響
●佐野恵子   2015.09.10
佐野研二郎もひどいが会社の広報でもある妻の佐野恵子もひどい。ある大手メディア関係者が明かしたという記事によると、疑惑を検証する記事を掲載した社には、執拗な抗議電話が来て「担当者を出しなさい」「書いた人を呼びなさい」「(担当者が)出るまで電話は切らない」「今じゃなきゃ駄目だ」「弁護士をこっちはつけている」「こっちは記録に残したいんだから責任者を出しなさい」「上の人間を出せ」「そっちの弁護士を呼びなさい」と怒り心頭にヒステリーなのだそうだ。んなことをやってるから『佐野研二郎の妻がマスコミを恫喝 → 報復記事で逆襲されて火に油を注ぐwwwww』『記者たちも辟易、佐野研二郎氏の妻が行う恐怖の「抗議活動」とは?』とか書かれてしまうのだ。怒り心頭なのは国民だ!という意見もあるが、それよりも著しく価値とステイタスを下がられた日本全国のデザイナーという職業の人たちであり、名誉を貶められた多摩美の卒業生だ。


よくわかる実習 情報
●五輪とリエージュのロゴの類似性   2015.09.09
そもそもが五輪(2020年東京オリンピック)とリエージュ(ベルギー、リエージュ市のリエージュ劇場)のロゴは似てたのか?これが類似かどうかを議論するのはナンセンスだろう。こんなものは実際に裁判で争ってみない限りは判らない。著作権や意匠権に関する裁判で、同じような案件にもかかわらず全く異なった判例が出るのはよくあることだ。ではなぜリエージュが佐野デザインの五輪ロゴを訴えたのか?と、ここからは全くの想像であるが…、まずリエージュ劇場はヨーロパでも歴史のある有名で劇場であり、2013年には敷地内に新たなホールが併設され、その新設資金の大部分は「フランス語共同体政府」からの出資によるものだったそうだ。ということを考えると確かに自分たちが慣れ親しんだロゴの右上に◯がくっついただけのロゴマークが東洋の東の果てにある日本という国で開催されるオリンピックのロゴマークとして発表されたとすれば、そりゃ驚くことだろう。歴史と伝統のあるヨーロッパの劇場としてのプライドもあり、黙っているわけにはいかなかった、ということだろう。

P.S.佐野研二郎は報道機関に対して「近時の過熱報道について」と題された文書を送付したそうだ。その文章の最後に「名誉棄損等で関係機関等に対して人権侵害で申立てを行う予定である」との旨のことが添えられてたそうだ。「関係機関等」って誰やねん?ってことだ。盗作がバレてみんなにイジメられてイジメられて感情がおさまらないためにとった行動なのだろう。


人生を変える似顔絵
●デザインの評価とは?-2   2015.09.08
学生が提出したデザイン課題を採点する。もちろん正解があるわけではないので、模範解答と照らし合わせるというわけにはいかない。細かい項目を設けて1つずつチャックしていく方法もある。例えば、構成、色彩、技術、表現力、奇抜性、といった具合である。しかしこの場合、総合的に点数の高い作品が有利になってしまう。奇抜性がダントツな作品は構成や技術点が低かったりもして、群を抜いて印象的でもあるにもかかわらず採点は低くなってしまう。従って結局は人間の目によって総合的な印象で採点することになるが、その採点基準をどのへんに設定するのか?数多くの作品を採点しているうちにその採点基準がズレてしまわないか?などを注意しながら採点作業を進めなければならない。同じようなデザインを続けて見ていると「飽きる」ということにもなるが、そこを常に「初めて見たときの印象」を想定しなければならない。また作品に名前が書いてあった場合には「あいつ一生懸命やってたしな…」「確かここで悪い点だと落第するかも…」といった私情にも影響されやすい。学生作品であれば、こういった私情による救済も必要だが、プロの場合は、公平性を維持する意味でも絶対に私情が入ってはいけない。一切の私情をシャットアウトするためには、審査員や関係者に知り合いや親戚がぞろぞろと居てはいけない。


WebDesign
●デザインの評価とは?-1   2015.09.07
「デザインなんて個人の好みなんだから良いの悪いのと評価できるものではない!」という人もいる。しかしそれを言ったら音楽も文学も演劇も映画もみんな同じことが言えてしまう。誰かがどこかで評価して採点しなければいけない。だから審査員はその道に精通したプロッファショナルでなければならない。「デザインの好みを判断するだけであれば 素人でもできることだ」という考えで、自分の着るもののデザインは全て奥さんに選んでもらったことしかないおっさんたちがぞろぞろと集まってデザインの評価をしたが故に、プロジェクト自体がとーんでもない方向に行ってしまった、というのはよくある話だ。デザインを評価するために必要なのは、センスや造形力だけではない。コンセプトを理解できる能力、マーケティング力、企画力を総合的に持ってないといけない。しかしそのおっさんたちは「かっこいいかどうか」だけを見ればいいものと勘違いしている。で、そこだけを見ようするからワケが判らなくなって、自分では決断しようとはせずに、適当なコトを言ってはぐらかして、自分に責任が来ないことだけを考える。そんなおっさんばかりだと、とーんでもない方向に行ってしまって当然である。例えば森善郎みたいなおっさんが入ったとすれば、とーんでもない方向に行ってしまう確率は確実に上がるだろう。しかしだからといって審査員を身内だけで固めたデキレースはダメだ。

P.S.話題が豊富すぎる。「MR_DESIGN」は佐野が代表の東京都渋谷区の会社だ。しかし大阪にもホームページ制作会社「ミスターデザイン」という会社があるそうだ。創立は「ミスターデザイン」のほうが2年ほど早い。そうなるとネット民の間では「会社名までパクりやがった!」ということになるが、会社名や屋号の場合は同じ地域でなければ同じ社名でもOKなはずだ。でなければ全国の「鈴木商店」が困ってしまう。「MR_DESIGN」がスタートしたのは2008年、インターネットは十分に普及している時期でもあり、普通に考えて新たな会社を作るのであれば、正式に申請する前に同じ名前の会社がないかどうか検索するはずだがどうだったんだろうか?ちなみに「ミスターデザイン」は大変な風評被害にあっているにもかかわらず、社名を変えずに頑張っていくという姿勢が多くの人の賛同を得ているようだ。


株式会社「かくの木」
●多摩美は学生にパクりを教えているんじゃないか?   2015.09.06
政治家が汚職事件を起こすと、世間の人々は「政治家はみんな汚職をしてるんじゃないか?」と思うわけだ。今回佐野研二郎のおかげで「デザイナーはみんなパクりをしているんじゃないか?」「多摩美は学生にパクりを教えているんじゃないか?」と思われるようになってしまった。そして今回は、深澤直人が故ナンナ・ディッエルさんのデザインを丸パクりをしたことが槍玉に上がった。ナンナさんのデザインは1952年に発表されたため意匠権は切れているため法的に問題は無いそうだ。しかし深澤直人はこのデザインを発表した際にナンナさんのことは一切触れず、あたかも自分がオリジナルでデザインしたような説明をしていたそうだ。深澤直人は教授であり学科長でもある。デザイン教育者としてあるまじき行為である。こんなことをやっていたんじゃ「また多摩美かー!」と思われて当然である。

また卒業制作で優秀賞を受賞した作品が「いわさきちひろ」そっくりだという件。学生なんだから有名な画家の作品を参考にする、時には模写するということは頻繁にある。そして100人が描いた作品が、100点とも完全なオリジナルでどんな作品とも類似していないなんてことは有りえない。ジョルジュ・ブラックの作品は一時期パブロ・ピカソの作品と区別がつかないほど似通っていた。「いわさきちひろ」にしても最初はマリー・ローランサンを目指していたわけで、マリー・ローランサンに似ている作品も少なくない。ただし、今の佐野研二郎のおかげで「パクリ」が旬な時期に優秀賞の選考にはもっと気を使えよ!って話だ。

ひよこのピアスは、作ってもいいが、こういうのはクローズドにしておけということだ。イベント会場で並べるなよ!それを動画で撮って公開するなよ!大学HPに「東京銘菓ひよこ」とうたって載せるなよ!ってことだ。この学生が騒動の初期から佐野研二郎を擁護するツイートをしていたという点も世間を敵に回すことになったわけだ。


ふじみ一店逸品
●佐野研二郎デザインは何が問題か?-2   2015.09.05
次に……問題なのは佐野研二郎のデザインは、全体的にクウォリティも完成度も極めて低いということだ。たとえ最初はパクりであってもデザインを詰めていき、クウォリティと完成度を上げていくことで、パクりからトリビュートになり、最後はオリジナルを凌駕することになるはずだ。しかし佐野のデザインは全て未熟の段階で止まっている。だから一般の人でも感覚的にそのことに気づき、最初にスモークとともに現れた佐野デザインのエンブレムのデザインを見て「こんなん?でいいの?」「「かっこ悪!」「ダサッ!」と思ったはず。最初の印象が「かっこいい!」「素敵!」「いいじゃん!」ということになれば、後から多少の盗作疑惑が出ようが「選ばれなかったデザイナーの僻みじゃねえ?」「世の中素直じゃないヤツもいるもんだ」程度にしか思われず、「似てるかもしんないけど佐野のデザインのほうがぜんぜんいいじゃん!」と、多くの賛同意見の中で盗作疑惑 なんてもんは打ち消されていったことだろう。だいたいデザインが優れていればデザイナーが「私の中でのデザインの集大成です!」なんてことは言わなくても良い。作品が全てを語ってくれるからだ。プレゼンが上手いに越したことはないが、それ以前に作品が優れていることが重要だ。世の中のほとんどの制作物はまずは「パクり」から始まっている。その「パクり」を「オリジナル」と言えるものにするのは、その制作者の努力と拘り次第である。

P.S.「MR_DESIGN」広報担当者は15年9月3日夜、J-CASTニュースの取材に応じ「犬の画像については、紙で切り絵を制作しMR_DESIGNで撮影したものです。 メガネの画像については、この作品を担当したスタッフが実際使っていた メガネを撮影し制作したものです」との回答があったそうだ。「犬の画像」については、影絵の写真をトレースして実際に切り絵を作ったとすれば、かなり近いシルエットのもになるだろう。その場合の影絵の写真の著作権はどうなるのかは分からないが。しかし[メガネの画像」については、いくら奇跡に奇跡が重なっても、あれほど完璧にシルエットが一致することは有りえないし、何で指を後から合成したんだ?ということになる。仮にこのJ-CASTニュースへの回答を信じるとするならば、父親が、庭の植木鉢を倒して壊してしまった子供に対し「誰がやったんだ?」と聞いたところ「空からドラゴンが降りてきて壊して行ったんだ!」という話も信じなければいけなくなる。


話題の人の似顔絵BLOG
●佐野研二郎デザインは何が問題か?-1   2015.09.04
昨日で最後にはならなかった。。。今回の佐野研二郎の一連のパクり疑惑では、多くの人が「世の中には似たようなデザインはいっぱいある」ということが解ったことであろう。意匠登録や商標登録を申請していないものを含めれば、世界中にある会社や団体の数だけロゴマークがあり、プロに依頼して作ったものから、社長自らWordで作ったもの、社長の娘が色鉛筆で描いたものまで様々だ。その中にはパクり、盗用、真似っこ、そのままコピー、トレース、色だけ変えた、左右反転、マークそのままで社名だけ変えた、なんてものはざらにある。Googleの画像検索でも似たようなものはいくらでも出てくる。また例えばオーディオブーム真っ盛りのころのカセットデッキ、オーディオアンプ、CDプレーヤーなどはどこのメーカーの製品もブランド名を隠せば全く解らないくらいに似通っている。それでもメーカー品は全て意匠登録を申請し、登録されているはずだ(特許庁の審査官も苦労したことだろう)。そんな状況の中で似通ったデザインがあるのは仕方がない!と思うかもしれない。しかし佐野研二郎の場合は仕方がないでは済まされない。まずはデザインした対象がオリンピックのエンブレムであり、大手企業のノベリティーであり、公共施設のロゴマークであり、社会的な露出度は中小企業のロゴマークに比べると格段に違う。デザイン制作費用も格段に違うはずだ。その制作費の中には「類似がないかどうか」を調べる調査費も含めれているはずだ。次に……明日へ続く。


新座市に生息する動植物写真集
●まだ出てくる佐野研二郎の盗作疑惑   2015.09.03
今日で最後にしたいが。。。パクられ元がウェブに掲載したのが2012年5月19 日で、2012年5月30日に佐野パクリデザインがウェブで紹介されるとされている。漢字の「涼」の字をアレンジした「団扇展」のポスターを、佐野がパクってデザインした「京扇堂」というお店のポスターだ。「デザイン」という単語を敢えて日本語に訳すと、それは「設計」という言葉になる。基本設計(基本デザイン)が完成すれば、仕事の8割は終わったようなもの。パクるということは、その8割が終わった時点からの仕事であり、最初からオリジナルでデザインするのに比べれば2割の労力で済んでしまうわけだ。にもかかわらず10割のデザイン料を請求していたとすれば、それは「詐欺」だろう。にもかかわらず「京扇堂」のポスターは出来そこないの福笑いのような何とも間の抜けた緊張感の無いやっつけ仕事のデザインだ。にもかかわらず「京扇堂」の「京」にさんずいがくっついてオリジナルそのままの「涼」になっているところもさらに間抜けだ。そして佐野は自身の事務所のホームページ『MR_DESIGN』でコメントを発表した。そのコメントに対する2ちゃんねるの反応→「盗人猛々しい」。


ギフト似顔絵ルーム
●今日もツッコミどころ満載の佐野研二郎の盗作疑惑   2015.09.02
東京五輪の公式エンブレム使用中止という大きなニュースの影で目立たなくはなってしまったが、毎日、確実に配達されてくるヤクルトのような小さな盗作疑惑ニュースの枚挙にも暇はない。今日は「メガネのポスター」。販売されている『Zoff Smart』という製品の宣材写真をそのまま使っているというのではないかと盗作疑惑が浮上している(これまた)多摩美のポスター。オリジナルの「つる」の内側の文字のみをフォトショで加工して(消して)ある。試しに実際にフォトショで重ね合わせてみると見事に一致した。製品写真を撮ったことのある人なら分かると思うが、仮にZoff Smartを実際に購入して撮影したとしても、これだけ完璧に一致させることは至難の技である。オリジナル写真を撮影するときに使ったレンズの焦点距離なども判らない状態で、何十枚撮っても完全に一致させることは不可能であろう。また、この多摩美のポスターには右端に人間の親指と人差指の画像もフォトショで合成してある。しかし実際にはこの指の位置ではメガネをつまんで持ち上げることはできない。つまんでいるのではなく「机上のメガネに手を添えている」にしても、その指の角度から想定される位置では手の甲の行き場が無くなる。この「指のCG合成」自体もあまりに稚拙で安易だ。というわけで今日もツッコミどころ満載の佐野研二郎の盗作疑惑でした。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●今日も出た   2015.09.01
さすがに今日は出ないだろうと思っていたが、今日も出た。一連の盗作疑惑で「デザイナー」という職業と「多摩美術大学」という大学に泥を塗られた感があったが、よりによって今日は多摩美のポスターの写真が盗用疑惑にあがった。個人のブログに公開されていた、手で作った犬の顔の形の影絵の写真だ。その写真は人間の手とわかるように撮影されていたが、これをシルエットだけにフォトショで加工してポスターにしたものだ。シルエットにしちまえば元の写真がどうなのかなんて分かりゃしない!という心根が腐ってる。もはや弁解の余地も擁護する理由もないだろう。1日もはやくデザイナーと多摩美を辞めて欲しいものだ。


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