2023年10月



●人の不幸は蜜の味   2023.10.31
小学校1〜2年生は同級生の不幸を「かわいそう」と思い、小学校5〜6年生は同級生の不幸を「ざまー!」と感じるが、そのことを口には出さない。しかし3〜4年生は「ざまー!」を口に出し、誹謗したりいじめたりする。小学校の先生に聞いた話である。つまり人間の一生のうち小学校3〜4年生の2年間だけは「人の不幸は蜜の味」を表現できるわけであり、それ以降は「人の不幸は蜜の味」を表に出さずに心の底で祈るようになる。「ジャニーズが干されますように...」「ビッグモーターが潰れますように...」と。とくにジャニタレが嫌いというわけでも、ビッグモーターで修理代をボラれたわけでもないのに。人の不幸は蜜の味...


●何のために生きているのか分からない大学生   2023.10.30
大学で遅刻して教室に入ってくる。友だちの席の隣に座って笑談。一通りの笑談が終わると机に突っ伏して睡眠。目が覚めると勝手に教室を出てく。テストをやらせる。回答が載っている教科書を見ても良し!とする。にもかかわらず20点しか取れない。勉強が出来なくても、他に何か秀でたものがあるのかというとそうではない。ほとんどの教科は苦手なのだそうだ。得意な教科は無いそうだ。いったい何のために生きているのだろうか?と、思って壁を見ると、1匹のガガンボがとまっていた。「ああ、このガガンボと同じで、何となく生きてるだけなんだなぁ」と思うと妙に納得できる。しかし偉いと思うのは、この学生を卒業させた高校の先生だ。


●不老不死   2023.10.29
ある男が不老不死の薬を手に入れた。不老不死なので死ぬことはない。そしてその薬を飲んで2億年が経過した。人類はとっくの昔に滅亡したので、家族も友達も知り合いも誰もいない。孤独なんてもんじゃない生活をもうかれこれ1億9000万年続けている。すでに地球の時点は遅くなり1日は26時間になっている。これから先の1日はもっと長くなっていくのだ。どうやってヒマをつぶせばいいのだ!といってもまだ地球という大地があるからいい。あと48億年後には太陽が大爆発をして地球も消えてなくなる予定だ。そうなると残りの人生を宇宙空間を漂いながら過ごすことになる。そうしたら、どうやってヒマをつぶせばいいのだ?


●日本熊森協会   2023.10.28
一般財団法人日本熊森協会という団体があるらしい。秋田県美郷町の作業小屋に立てこもったクマ3頭が駆除された際には、全国各地から苦情や批判の声が殺到し、大きな物議を呼んだ。これに対して日本熊森協会の森山まり子名誉会長に聞いてみたところ「クマは本来、とても臆病で賢い動物です。クマに人を襲う習性はありません。それなのにすみかを追われ、食べるものがなく人里に下りてきたら捕殺される。クマの方こそ被害者です。クマを森に返すとまた戻ってくるという声もありますが、怖い思いをしたクマは、ほとんど二度と人里に近寄りません。」なのだそうだ。人を襲う習性はないってことは、あくまで習性であって、腹の空き具合などのその時の状況によっては人を襲うこともあるってことだろう。個体差によっては凶暴なやつもいることだろう。ほとんどのクマは二度と人里に近寄りません。ってことは、また人里に近寄るクマもいるってことだろう。温暖化が進み人口が減り、自然も社会も環境が大きく変わっているにも関わらず、昔の概念でクマを擁護しているようだ。クマはX-MENのような強力な爪で一撃で人間を殺せるのだよ。日本豬森協会や日本毒蛇森協会や日本毒キノコ森協会や日本スズメバチ森協会の人たちも同じようなことを言うのだろうか。


●戦争映画   2023.10.27
特に第二次世界大戦中のドッグファイトなどは、CG技術の進歩により「すっげーリアル!」になっている。コックピット内に敵味方で3カメずつ、空中に3カメ、みたいな設定で迫力もリアリティーも満点である。実際には映像資料が存在しなかったシーンを、これだけリアルに再現できるということは凄い!ことだ。翻って昔の戦争映画では、例えば1970年公開の「トラ・トラ・トラ!」では、実存の練習機を改造して零戦に見た立てて撮影するなど、当時としては話題になった作品だった。が、真珠湾攻撃で爆撃される米軍の滑走路で被弾して燃え上がるP-40Eの胴体から四角い鉄骨が現れたのを見たときには「うっそでぇー、ハリボテじゃん!」と子供心に思ったものだ。1968年公開の「連合艦隊司令長官 山本五十六」では、出陣する戦闘機を空母の甲板から見送る人たちが、人形よりも粗末な紙の切り抜きであった。しかも手を振る動きが、後ろから棒を通して一斉に動かしていたのは、何とも滑稽でありツッコむ気にもなれなかったのを覚えている。


●惑星   2023.10.26
「奇跡の惑星、地球」とか「命育む惑星、地球」とか言われているが地球って「惑星」ではないだろう。正しくは「恒星に対しての」「衛星」である。惑星とは、天体において他の星と同様の動きをしないで不規則な動きをしたことから「彷徨える星」「惑わす星」として名付けられたものであり、地球から見れば水金火木土天冥海は惑星である。しかし他の恒星、例えばシリウスから見れば太陽系の衛星である水金地火木土天冥海は、大きく見れば惑わすような動きには見えないはずなので惑星ではない、ということになる。ていうか地球上に住んでいる我々から見れば地球が惑わすような動きをすることは絶対に無いので、惑星と呼ぶのはおかしい。では「猿の惑星」というと、そもそも惑星の恒星の存在が不明であり、どこから視点で見た「猿の惑星」なのか分からないので、なんとも言えないが、英文タイトルが「Planet of the Apes」で、直訳すれば「猿の惑星」となる。英語の「Planet」の方が日本語の「惑星」よりも、彷徨える感が強いので、SF映画のタイトルとしてはハマったのかもしれない。


●AIタレント   2023.10.25
『伊藤園「おーいお茶」CMに生成したAIタレントが話題となっているようだ。「えっ、AIなの?全然分からなかった!」というのが街の声のようだが、専門家から見れば、比較的AIと見破るのはカンタンだ。細かい部分では色々とあるが、最も分かりやすいのは髪の毛だ。最初に未来の自分がスキップしながら迫ってくるシーンで揺れる髪の毛。実際の人間の髪の毛は太さが0.2mmで10万本だ。これは現状のモニター解像度では制作できない。頑張って1mmで数千本だろう。だから揺れるときに束というかカタマリになってバセット・ハウンドの耳のようにバッサバッサと揺れるように見える。そしてその揺れるグレーの髪であるが、未来の自分を表現するには髪の色を変えるとういうのが手っ取り早かったのだろう。もちろん顔の皺も増えているようだが、これも実際の皺をCG(AI)が表現するには限界がある。そうして未来の自分は顔は40歳なのに髪は70歳となってしまったようである。CGはツルッとしたものはカンタン、シワシワのものは難しいのだ。


●パレスチナ戦争-2   2023.10.24
1948年から1973年までに4度起こった中東戦争。歴史上世界で起こった戦争のうちの多くがその原因が「宗教」であったように、中東戦争もことの発端はユダヤvsイスラムという構図になる。しかし11世紀の十字軍かずっと敵対し続けてきたイスラエルとアラブ諸国が、なぜ1948年に戦争というかたちでその対立が勃発したのだろうか、というとそれは中東戦争が代理戦争と言われた通り、ウラではイスラエルにアメリカが、アラブ諸国(アラブ連盟)にはソ連が、それぞれ大量の武器を供与して、戦争を煽っていたためのようだ。第二次大戦が終わり、大量に作ってしまった「型落ち」の兵器を消費させるという目的もあってのことだろう。それでも消費しきれなかった本来裏方であるはずのロシア(旧ソ連)は、もはや自分で出てきて第二次大戦中に製造した戦車とかをウクライナで消費しているみたいだけどね。


●パレスチナ戦争-1   2023.10.23
イスラエルvsパレスチナの戦争。空襲のターゲットはパレスチナ国の行政区画であるガザ地区だ。パレスチナ国は国際連合には未加盟だが、2021年時点で138の国連加盟国が国家として承認している。領土はヨルダン川西岸地区およびガザ地区。ハマスは1987年12月、ガザ地区で発生したパレスチナの武装組織。この地区では1948年から1973年までに大規模な戦争が4度起こっていて、以降も燻り続けている。最初はイスラエルvs周辺のアラブ諸国であったが、現在はイスラエル寄りまたは中立のアラブ諸国も増えてきて、イスラエルに対して公に敵対を表明しているのはイランとシリアの2カ国程度のようだ。イスラエルvsパレスチナといっても、その戦力はイスラエルがパレスチナの100倍とも言われていて、現時点では、ハマスのテロ行為に対してキレて反撃しようとするイスラエルに対して国際社会が「待った!」をかけているような状況だろう。遡れば11世紀末からの十字軍、その前の聖地エルサレムのアラブによる支配となってくるので、特に日本人とかからは分かりにくい構図となっていることだろう。そしてここにはメソポタミア文明最盛期のハンムラビ法典「目には目を」がそのまま今でも繰り返されているようだ。


●婚活   2023.10.22
人間には「選ぶ権利」がある。ただしその対称が多すぎると処理しけれなくなって選べなくなったりヘンなものを選んでしまったりする。例えば飲食店のメニューが多過ぎた場合などでは、空腹感と焦りが相まって、本当に食べたいものではないものを選んでしまったりもする。頭の中のルーレットが何周かしてヘンなところで止まってしまった結果なのだろう。またスマホを機種変するときに数あるモデルのスペックを比較研究しすぎて、思いもよらぬマニアックでマイナーのモデルを選んでしまったりもする(特にAndroidには膨大な選択肢がある)。いずれも結果的に理想とは程遠いにしろ、選べたのだから良しとしよう。そして最終的に何も選ぶことができなかった例としては「婚活」が挙げられる。そもそも自分の価値を正当に評価できないまま、相手の理想を高く設定しすぎたことによって一生結婚できないままで終わるという人間も増えているようだ。そういう意味では親族が勝手に結婚相手を決めるという昔の制度的なものも捨てたもんじゃないな、という感じもする。


●見える化   2023.10.21
その昔、電話ボックスなるものがあった。しかしこれは比較的クローズドで外から中の様子が見えにくかったために、その電話ボックスの中で赤ん坊を出産してしまうという事件があり、それ以降電話ボックスは全面ガラス張りで中が完全に見えるようなデザインとなった。また、昔のゴミ袋は黒と決まっていた。ごみ収集日には真っ黒なビニール袋に入ったゴミが街のあちこちで山積みされるという異様な光景を見ることができた。しかし中の見えない黒いゴミ袋に、捨ててはいけないモノも忍ばせる輩が多かったために、その後は透明、または半透明に統一された。というように時代とともに「見える化」が進み、お互いが監視できるような世の中になっていった。しかし、その昔、電話帳というものが各家庭に配布されて、個人情報の「見える化」が進んでいたのだが、これは今では全くの「見えない化」になってしまった。


●ロボット   2023.10.20
ロボットがかなり人間に近づいている。このままいけば、いずれ人間と全く同じロボットが完成するのではないか?と思っているSFファンの皆さん。しかし実際には現在の最新鋭のロボットであっても人間には遥かに及ばない。どこが程遠いかというと、例えば人間には自己再生能力というものあがる。怪我や病気も自然治癒するという能力だ。もちろん腕が取れても再生はしないが、小さな傷は放っておいても治ってしまう。これはある意味すごいことである。さらに人間は自ら食料を探してきて、その食料を食することで、代謝、成長を行う。いよいよ劣化して能力が落ちて代謝、成長の限界が来る以前に、自らのコピーを作り増殖しておくのだ。さらには、この増殖をする過程で変異を起こし進化もするのだ。それに比べるとロボットは、人間が付きっきりで介助介護していないと何もできないタダの木偶の坊だ。


●伝言ゲーム   2023.10.19
伝言ゲームでは人数が増えれば増えるほど、情報が正確に伝わらないというのは誰でも普通に知っていることだ。しかしこの伝言ゲームのような情報伝達方法が今でも当たり前のように使われているのも事実である。1つのプロジェクトに複数の会社が関わっていたりする場合にこの伝言ゲームが発生する。文章のやりとりなので大丈夫だろう?とも思うのだがそうでもない。その文章を伝えるときのちょっとしたメールの本文や、メールする相手のCCのメールアドレス、それとそのプロジェクトの中に伝えなければいけないのだが実は伝えたく無い相手がいた場合、自分のミスを覆い隠そうとしている場合などだ。さらにそのプロジェクトにプログラミングが絡んできたときにはカオスになる。プログラミングは理解している人と分かって無い人が完全に二極化する。分かって無い人は到底不可能な納期やコストを要求してくるし、何か質問されると分からないのを理由に次の人に丸投げする。従ってそのプロジェクトはいつまで経っても完了しないのではあるが、関わった全員が「オレのせいじゃない!」と自信を持って言えたりもする。さあ、困った!でもオレのせいじゃないから、まっ、いいか。。


●広島県安芸高田市のYouTube動画   2023.10.18
ここ数週間で広島県安芸高田市のYouTube動画が急激に増えているように思う。なぜこんなに人気があるのかと言うと、正義の味方石丸市長が、老害難癖揚げ足取り議員たちをバッサバッサと論破していくところの痛快さなのだろう。これはフィクションではなく実際にオンタイムに起こっていることだからリアリティーがある。今まで市議会などというものに1mmも興味を持っていなかった若者がYouTubeを見るようになったという石丸市長の日本の政治全体に対して及ぼした功績は大きい。それにしても笑ってしまうのが、老害難癖揚げ足取り議員たちの頭の悪さだ。市の公募した内容に要件が合わなかったという部分を担当部長が何度説明しても理解できないので、石丸市長だコンビニのバイト募集を例にあげて説明した。これはさすがに小学生でも理解できるような内容であった、が、老害難癖揚げ足取り議員である山本優議員は、「コンビニではそうじゃない!」と例え話に喰ってかかって来た。なんという頭の悪さだろうか。しかもその頭の悪さを日本全国数万人に晒しているわけだ。きっとこういう人は将棋の3手詰めとかできないんだろうなぁ、いや1手詰めでもハードル高いかな?とか考えながら日本全国数万人の視聴者は見ていることだろう。


●リンク-2   2023.10.17
現在生き残っているX、Facebook、Instagram、LINEなどのSNS。なぜ現在生き残っているかといえばそれぞれの特性があるからであり、その特性はホームページやブログとは異なる。逆にホームページやブログがなぜSNSに喰われずに行き残っているかと言えば、SNSとは違った特性があるからだろう。LINEは家族の連絡帳、Instagramはスナップ写真集、Xは個人の無責任な呟き、Facebookは中高年の自慢大会の場、といった感じだろう。そんなSNSにわざわざ地方の自治体がアカウント取って役所の職員に運営させるって無理があるだろう。SNSのフォロワーというのは基本的に無責任のカタマリなのだ。「いいね!」するやつは輪をかけて無責任である。そんな無責任の数が増えたところで何に使う?ちなみにホームページの特性は倉庫、ブログは備忘録、といったところだろう。もっとも今のブログの多くがSNSになっているけどね。いずれにしてもアクセス数はそのツール単体で稼ぐようにするのが基本だ。リンクはその後だ。X、Facebook、Instagram、LINEなどへのリンクを貼ったところで、誰が何のためにクリックするのだ?あんらだったらクリックするかい?


●リンク-1   2023.10.16
ホームページやブログにやたらとSNSへのリンクが貼ってあるもをいまだによく見かける。SNSとはX、Facebook、Instagram、LINEだ。「そんなもんクリックしねーよ!」というのが現実だろう。ネット上には諸々のコンテンツが超供給過多の状態で存在している。誰も読んでくれないであろう投稿が腐るほどあるのだ。クリックするということは、ドアを開けるろとうことで、そのドアの向こうに何があるのか分からないドアは人はよっぽどの好奇心が啜られない限りは開けない。逆に今見ているコンテンツと同じものがドアの向こうにあるとすれば、それは無意味だ。いずれにしてもSNSでもきちんと運営して、それなりのアクセス数やフォロワーを増やしていくのは、それなりの力仕事だ。SNSへのリンクを貼ることは「これでアクセスは増える」ではなく「仕事が増えてもアクセスは増えない」行為なのだ。


●再配達   2023.10.13
宅配便の配達先が留守で再配達となった場合には、その分を追加料金にすればいい!とか勝手なことを言っている無責任なコメンテーターもいるようだが、現実はそう簡単にはいかない。例えば宅配便が来る→便所に入っていてすぐには出られない→出た時には宅配便は帰ってしまった。これで再配達の追加料金かよ?とか。呼び鈴が故障してたとか、返事をしたのに聞こえなかったとか、小さなトラブルは続出するだろう。そもそも時間指定してない場合は1日中家に居ろってか?送る方は受け取る方の事情はいちいち考えていないので時間指定などはしていないし、予定よりも早く送るケースも少なくないし。だったらみんな置き配にしてしまえってか?そりゃ宅配業者は大喜びだろが泥棒はもっと大喜びだろうな。出張のため15日までお休みします。


●子ども放置禁止条例   2023.10.12
埼玉自民党県議団では“子ども放置禁止”条例案を取り下げることとなった。小学3年生以下の子どもだけでの外出や通学をさせてはいけない!などを盛り込んだ条例であったのだが、普通に「大人の数が圧倒的に足りなくなる」ということはちょっと考えても想像できるはずだ。ということで、この非現実的な条例はめでたく取り下げとなった。しかし日本を訪れた外国人の多くがぶったまげること、それはランドセルを背負った小さな子供が1人で電車に乗って通学していること、だそうだ。海外の多くの国では、そんなことしたら「一瞬で攫われる」そうなのだ。今回の条例取り下げで、良かった良かったと胸を撫で下ろすと同時に、日本が世界でも異常なくらいに安全で安心な国であるかということを再認識する必要もあるだろう。


●デッサン   2023.10.11
絵画作品を「これ、私の作品♪」と自慢気に見せる人。それに対して「あ、でもデッサン狂ってるね」と言うと、大抵は不機嫌になる。「そんな専門的なこと言われても。。」という具合にだ。デッサンが狂ってる絵画作品は、音程が狂ってる音楽が「聴くに値しない」のと同じで「見るに値しない」のだ。音程が狂ってる音楽というのは多くの人が「音程が狂ってる」ということは分かる。それが分からないまでも「何かヘンだな」とか「不快な感じがする」ということは分かるだろう。しかしデッサンが狂ってる絵画作品は、ヘンとか不快とか感じさせる以前に、見る人はモチーフがユニークだ、とか色がキレイ、塗り方が上手い、とかいう情報が先に入ってきてしまい、デッサンが狂っているか否かいう本質的な部分が蔑ろになってしまうのだろう。聴覚と視覚の情報量の差、というのもあるが、「線を描いて色を塗る」という塗り絵文化的な稚拙で幼稚な美術教育の影響も大きい。


●お花畑   2023.10.10
「敵が攻めてきたら、一緒に酒を酌み交わそう」とか「敵が攻めて来る前に、攻めて来ない方法を考えよう」とか言っている人たちを「脳みそお花畑」と言う。世界の情勢を知らずに自分の価値観や置かれた環境だけを前提として、己に都合の良いことを言っている、要するに「頭の悪いやつ」だ。ギリシア神話の「トロイアの木馬」の話の最後に「人は真実を信じるのではなく、信じたいものを信じる」と締め括っている。「脳みそお花畑」の人たちは、戦争はイヤだ!。戦争や人殺しは信じたくない!、という思いが、回り回って「敵が攻めて来る前に、攻めて来ない方法を考えよう」という落とし所に行き着いたのだろう。真実を見ようとせずに、信じたいものを信じた結果なのだ。だから「脳みそお花畑」の人たちの脳みそを治療しても治ることはない。イスラエルに襲撃してきたハマスの戦闘員に「一緒に酒を酌み交わそう」とか言っても100%無意味であるっことはニュース見ただけでも分かるだろってもんだ。


●ウクライナ侵攻   2023.10.09
鈴木宗男が熱弁「ロシアのウクライナ侵攻が国際法違反なら、何でアメリカのイラク侵攻は国際法違反じゃないのだ!」、おいおいちょっと待て、そもそもはイラクがクエートに侵攻したのがきっかけなんだけどね。そもそも現代の戦争っていうのは色々な要素が複雑に絡み合って、色々な国家や組織の思惑が錯綜しながら起こっていることだから、一概に「どちらが悪い!」なんてことは言えるわけもない。もしかすると、ロシア:「古い兵器の在庫が溜まり過ぎて何とかしたいんだが?」アメリカ:「オタクも?ウチもそろそろ何とかしようと思っていたところなんだよ。維持費だけでもバカんなんねえし」ロシア:「でしょ!そろそろ消費させないとな」アメリカ:「だよな、じゃ方法考えたらまた連絡するわ」なんていうことかもしれぬ。


●テレビ離れは   2023.10.08
「テレビ離れは起こっていない」。レグザ(東芝のテレビ)300万台の視聴データからわかった「現代のテレビの使われ方」なのだそうだ。バッカじゃねえのか?テレビを買ったユーザーからとったデータだろ。泥棒300万人からデータをとれば「窃盗は正しい」ということになるのと同じだ。「テレビ画面の視聴時間は5年前と比べて大きな変化はない」ってそのうちの多くはネット動画の視聴時間だそうだ。つまりパソコンモニターとして使っているだけのこと。テレビである必要もねえってことだ。テレビ離れが加速して台数が捌けなくなってきているから大画面化で価格を吊り上げ、売上高の減少を防ごうとしているだけのことだろ。同時に大画面化で消費電力が大幅にアップして地球温暖化の推進にも貢献しているってもんだ。


●夏と冬   2023.10.07
ついこのあいだまでの暑さはどこに行ったのだろう。秋とか春はほんの一瞬で、もはや夏と冬の二択しかなくなっているような状態だ。「夏と冬の間に秋を置きました」とのことだったが、その効力は衰える一方だ。こんなに急に寒くなるんだったら、大きなビニール袋に暑いの間の暑い空気をいっぱい入れておいて、寒くなったらその空気を部屋の中で出せばいい。そしてカラになったビニール袋には、寒い空気を入れておいて、また暑くなったら出す。これを繰り返すことで相当な冷暖房日の節約になるはずだ。とか考えながら、ふと振り返るとこんなものが部屋の中にあるではないか。こんなものがあるから寒いと厚いの二択しかなくなるのかもしれない。→寒暖計。


●めんどくさいヤツに発言させない   2023.10.06
ジャニーズ事務所の指名NGリストが問題となっているようだ。しかし「めんどくさいヤツに発言させない」という作戦は、農耕民族の日本では古くから定着しているのではないかな。たとえば「総会」。主催者の回し者の声のでかいオヤジが「意義なし!」と間髪を入れずに叫ぶ。とか、セミナーなんかでもサクラの聴講者が質疑応答のときに長い質問をする。それが分かっていて司会者はそのサクラを指名して、一般の参加者には質問させない。記者会見も一種のイベントである。イベントである以上は成功裏に、つまり主催者側の思惑通りに終わらせたい。だからそのための手段を色々と考えるのだ。葬式の「泣き女」、お笑いの「笑い男」もこのためにいる。といっても写真いりの名簿をビデオに映されてるのはダサいし、名簿の件を口外していまうイノッチも、スタンスが経営者側じゃねえーよな。


●ステレオタイプ   2023.10.05
ステレオタイプは、多くの人に浸透している先入観や思い込みのことを指す。 例えば、「男性は仕事、女性は家事・育児に向いている」「A型の人はきちょうめん」などだ。しかしこれは事実ではなく、マスコミを中心とした表面的で浅はかな情報を元に、多くの人の思い込みによって発生する現象だ。ということで連日のジャニーズのドタバタなニュースもある意味ステレオタイプだろう。会見で東山紀之が言っていること、テレビが報道していること、新聞に取り上げられた記事、どれをとっても事実であるようには思えない。その事実であるようには思えない情報を元に該当インタビューで評論家気取りで答えている人もいたりする。多くの人が「ジャニーズのタレント全員がジャニー喜多川にやられているはず」と思い込んでいることもステレオタイプだが、そこに話題が行かないように必死で矛先を変えようとしているマスコミ報道もステレオタイプだ。ステレオタイプは印刷術のステロ版で印刷された印刷物のように、「型を用いて作られたかのように全く同じもの」「既に完成された状態のものとして扱われているもの」という意味なのだそうだ。オーディオのステレオではないので気をつけよう。


●センス-3   2023.10.04
センスだけは生まれつき有る人間と生まれつき無い人間がいると思われがちである。しかしセンスが無い人間というのはそれなりの理由がある。例えばカーデザイナーの場合。というか一流メーカーのカーデザイナーであれば、全員が優れたセンスを持ち合わせているように思われがちであるが、実はそうでもない。じゃセンスの無いカーデザイナーはどんな仕事をしているのかというと、もちろん基本的なスタイリングな仕事はセンスが無いので与えられない。従って新しい材質の研究、コストダウンの方策、図面制作、コンピュータを使ったレンダリング、シートの生地選び、管理職にしてしまう、などなど仕事はいくらでもある。ではセンスが無いカーデザイナーはなぜセンスが無いかといえば、彫刻的造形の緊張感のある部分とユルい部分のバランスというか「間」みたいな力の抜けた部分が演出できないのだ。造形の全部の部分に力が入り過ぎて、力を逃す部分が無いから、優雅、気品、優美な造詣が作れず、全体がバキバキに緊張してるから、地球防衛隊の車輌みたいになってしまうのであった。例えばTOYOTAであっても、本当にセンスがあって基本的なスタイリングを任さられるカーデザイナーは数人しかいない、という話を聞いたことがある。


●センス-2   2023.10.03
センスだけは生まれつき有る人間と生まれつき無い人間がいると思われがちである。しかしセンスが無い人間というのはそれなりの理由がある。例えばバイキングの場合。センスが無いヤツがテーブルに戻ってくると、そのトレイには納豆と春巻きとサンドイッチと漬物と唐揚げと卵スープとオレンジジュースと牛乳とゼリーが乗っていたりする。と、そういうヤツを見たことがある、もしくは自分がそういうヤツになってしまったことがあるという人もいることだろう。これもひとえに計画性の問題である。その場その場で見た美味しそうに見えた料理を全部持って来るから、そういうことになるのだ。最初に和、洋、中、のどれかに決めて、それ以外のモノは選ばないようにすれば良い、という簡単なハナシだ。


●センス-1   2023.10.02
センスだけは生まれつき有る人間と生まれつき無い人間がいると思われがちである。しかしセンスが無い人間というのはそれなりの理由がある。例えばファッションの場合。センスが無い人は、パンツ、シャツ、シューズをそれぞれ単品で見て、デザインが好き、柄が素敵、色が好み、好きなブランドだから、安かったから、とかいう理由で選ぶ。その時点で、例えばパンツは、どんなシャツと組み合わせて着るか?というコーディネートは考えないで購入する。でもって自分がそれを身につけた時に、客観的にどう見えるのか?ということも考えていない。つまりコーディネートと似合うかどうか?を考えていないから、おもちゃ箱をひっくり返したみたいな、なんの脈略もない組み合わせになってしまうのだ。


●私刑   2023.10.01
インターネットが普及しはじめたころ、アフリカの私刑の動画がセンセーショナルだった。盗みやレイプがバレた人間を大衆がボコボコにして最後は火を付けて焼死させる。犯罪者だけではない。魔女狩りと称したり、テロリストと決めてけて私刑にするような場面もあった。最近でも1週間に1本ぐらいは、同じような動画がどこかの動画共有サイトにアップされている。最初は日本人にとってはセンセーショナルであったが、今ではそれが当たり前の国や地域もあるということが分かってきたはずだ。動画がアップされるということは、アップされずに行われている私刑はもっとあるはずであり、私刑と同じようなシチュエーションでの紛争や殺人も世界では毎日行われているわけだ。犯罪の抑止効果とかではない。単に人を殺すことで快楽を得るという極めて原始的で動物的なおこないなわけだ。こんなことが、まだまだ普通に通用する国や地域が、世界中には、たっくさんあるということを、まだまだ平和ボケの日本人はもっと理解しておくべきであろう。



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