▼天声人誤

●臓器移植

臓器移植法案が可決された。臓器を提供する予定のある人だけに脳死の判定が認められるというものだ。この中途半端な判断に対しては各方面から色々と批判があるようだが、ここで最も大きな問題は脳の移植を待っている人は死んだ脳しかもらえなくなってしまうということだ。

死んだ脳など移植されたら死んでしまうではないか。臓器移植法案だから臓器、つまり染みわたる五臓六腑の"臓"がつく名の部分に限られ、脳はこれに該当しないため脳死判定による移植対象とはならないから生きた脳でも移植してもらえるという説もあるが、例えば角膜のように臓器でなくても法案の要項に含まれているものもあるため、やっぱり駄目であるようだ。

ところで角膜はなぜ移植できるのだろうか?目玉ごとというわけにはいかないのだろうか?もしうまくいけば青い目がもらえるかもしれない。しかし必ずしも1セット2個そろっているとは限らず片方だけブラウンになる可能性もある。

肛門は移植できないのだろうか?死んでしばらく経っていても大丈夫なような気がするのだが。問題は肛門の場合どこまでが肛門でどこまでが尻なのかその境目がはっきりしないということだ。

仮に移植するとしたならば、恐らくパイナップルの芯ぬきのように円筒形でエッジの効いた金属で周囲の尻の一部もろともえぐり取るのであろう。そして同じ器具で移植される側のダメになった肛門も取り去り、新しいのを挿入するため寸法は間違いなく合うはずである。

しかし円筒形であるため多少は回転して付いてしまうこともあり、正確に肛門が円筒の中心であれば問題はないが、この中心がズレていた場合、肛門の位置がいままでと違う場所になってしまう。

尻の谷の凹んだところから尻の斜面の途中のところに移動してしまい、大便の後尻を拭くときなど、それまで習慣で身についたものを修正するのは意外に大変なものである。

歯とか爪は移植できないのだろうか?これらは死んでからかなりの月日が過ぎたものでも使えるように思えるのだが。仮にこれらが移植できた場合、例えば歯についてはぴったりはまるサイズのものを捜すのは結構たいへんなのではないのだろうか。

従って移植される側もサイズさえ合えばそれ以上の要求はできず、その歯の種類が前歯であろうが奥歯であろうが受け入れなければならない。最悪全部奥歯でもしかたがないのである。口を開いて笑ったときは草食動物的な顔に見えるがその程度は我慢するしかない。

その点爪の方が問題は少なく、特に男の足の爪などはあればいいので苦労はない。ただし新しい爪を植える前にダメになった爪を抜く必要がありこれが結構辛い。

ちょっと大きめのスプーンのエッジを砥石で丹念に研ぎ、こいつを足の親指と爪の間にぐぐっと、多少左右に揺らしながら押し込み、スプーンの先端が爪の根元(外側から皮膚で覆われている部分)からさらに1cmのところまで到達したときに、てこの力でスプーンをぐいっと持ち上げ一気に引き抜いてしまうのである。このときできれば前もって麻酔を射ってもらうことをお勧めする。

舌の移植というのはどうだろうか。これは自分の舌が病気や怪我で使えなくなったとか、喋り過ぎて擦りへってしまったとかで新しいものに交換しないと死んでしまうという人は滅多にいないので、主に舌足らずの人の継ぎ足し用、または政治家、一流企業の幹部、評論家、営業マン、新興宗教の布教活動者などのアップグレード用(舌を一枚足して二枚舌にする)として使われる。

これは使い方を極めれば、蛇のように舌で外気温や他人の体温、臭気や超音波を感じ取ることができるようになる。

異生体間移植というのがある。アメリカでおこなわれたヒヒの心臓を人間に移植するというのがこれに当たる。種の異なる動物の間でおこなわれる移植のことであり既にかなりのところまで研究がすすんでいるらしい。

これが実現すれば今まで想像上の生物や神、モンスターなどが現実のものとなる。馬の体に人間の上半身がくっついたやつ、人魚や半魚人、狼男やエレファントマン、ハエ男やヘビ女、アミタイツをはいた人間の足がついている魚、枚挙に暇が無い。

ちょっと小遣いがたまったら近所の医者に行き、自分の体のいろんな部分をいろんな動物のパーツと交換しチューンナップしてもらうのだ。コウモリの耳にフクロウの目、犬の鼻、クロコダイルの口、歯はホオジロザメ、コモドドラゴンの舌、胃袋は牛、心臓は馬、といった具合で相当にポテンシャルの高い人体に改造できるが、たぶん健康保険がきかないのでチューンナップしすぎに注意しよう。

人間の体は、はたしてどこまでが移植が可能なのだろうか。仮に拒絶反応を完全に抑えることが出来たとした場合、手や足、骨や筋肉はできないのか?今から100年前の医学では恐らく人間の心臓を他の人間に移し替えるなどということは考えも及ばなかったはずであり、誰もがそんなことは不可能であると思っていたに違いない。

しかしこのことは、現在多くの人が、いくらなんでも脳を移植することはできないだろう、と思っているのと同じ話であり、つまり100年後には脳の移植が日常的に行われているかもしれないのだ。ただし脳の場合他の臓器とは決定的に違う事がある。それは移植された側と提供した側でどちらが最終的にオリジナルの本人なのかわかりずらいという点であり、どちらがドナーなのかもわかりずらく、場合によってはケンカになる。ただし一人でやるので他人に迷惑はかからず、どっちが勝っても何も結果は変わらないのである。

やはり脳味噌まるごと全部は問題が多いので部分移植だけに限定されるかもしれない。この場合今まで知らなかった事が突然知るようになりちょっと怖いがかなり便利ということになる。また自分の子供の頃の記憶が途中で突然他人のものとすり変わっていたりもする。知っている人の数が倍になったり、急に外国語が喋れるようになったりもする。同じ種類のパソコンを使っている人であった場合、アプリケーションの操作やファイルの保存場所などは混乱してしまう。

しかし記憶や知識だけならばどうにか対処できそうだが性格や欲求にもその変化の範囲が及ぶとさらに面倒なことになりそうであるが、どのように面倒になるかは想像するとキリがないので省略する。

現在世の中は急激に変化しつつあり、今日までの多くの"常識"が崩れはじめている。国家の概念、貨幣の意味、銀行の役割、教育の在り方、年功序列、終身雇用..そして次の時代では、自己、個人、自我、といったものの常識が変わってしまうのだろうか。

天声人誤

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